◎ 2002年3月14日、私の大学の先輩である職場の上司が、「文藝春秋」3月特別号を貸してくれたので、われらが後輩である長嶋有さんの第126回芥川賞受賞作「猛スピードで母は」を読んでみた。芥川賞の選考委員でもある宮本輝さんは、「小説は最初の1行をいかに読ませるかに左右される」と語っていたが、「猛スピードで母は」の出だしの1行(344ページ)は、「何度か雪が降り、いよいよ積もりそうになると母は車のタイヤ交換を手伝わせた。」というもので、平凡な感じを受けた。
◎ 以下は、銘柄を特定していないが、「煙草(たばこ)」が登場していいる場面である。
(文藝春秋358ページ)
母はもう運転席の方に回っていた。勢いよく乗り込んだが、キーを回す手つきも発車もまったく慌てなかった。発進しても背後の怒声は夜道に響いた。
「塩まいてる」と母はいった。えっと聞き返した。
「本当に塩まいてる」と母はいいながら煙草をくわえた。バックミラーではよく分からない。慎は身体をねじって後ろをみた。二人の姿はもう小さくなっている。慎はまだ塩をまくという行為の意味を知らなかった。
(同366ページ)
「それでなんでもすっきり忘れられるんなら、幸せだね」母はいった。頷くと、わかって頷いてるのぉ?と語尾を伸ばして笑った。それから近寄ってきたウェイトレスに短く「喫煙で」と告げた。
(同376ページ)
「そういえばどうでもいいけど」母は停車すると煙草に火をつけてからいった。
「あんた、キャッスルのスペル間違ってるよ」C・A・S・T・L・Eだよ。CASSLEじゃないよ。
「僕が書いたんじゃない」中学生がやってきて、僕の名前で勝手に書いたんだ。正直にいってみると、それはなんでもないことだった。
「馬鹿が多いんだね」母は眉間に皺を寄せて、煙草をふかした。
「おじいちゃんずっと一人暮らしだと寂しいから、私たちが引っ越しをしなきゃ」
「うん。いいよ」
「今度の学校も馬鹿がいないとは限らないよ」母はすでに吸殻でいっぱいの灰皿に煙草を無理矢理押し込んだ。
「平気だよ」自分でも意外なほどきっぱりとした言い方になった。母は慎の横顔をみつめた。
(同376ページ)
二人の乗ったシビックはワーゲンに先導される形で早朝の国道を走った。慎は母が喜ぶと思い自分も嬉しくなった。しかし見通しのよい上り坂になって前方をワーゲンばかりが更新するのをみているうちに母は急になにかこみあげてきたみたいになった。母はまた煙草をくわえ火をつけると、アクセルを思い切り踏み込んだ。
(同376ページ/最後のフレーズ)
根元まで吸ったたばこを捨てようとしたが、灰皿にはもう押し込めそうもない。母は慎に短くなった煙草を手渡した。
「そこから捨てて」という。まだ先端の赤く灯る煙草を受け取った慎は、あわてて空いた方の手で窓を開けた。左手の海岸に向けて慎はそれを放った。煙草はガードレールの向こうのテトラポットの合間に消えた。
◎ くわえて、詩吟教室に通い始めた私としては、次の記述には思わず苦笑いさせられたことを告白せざるを得ない。現在の日本で、詩吟は明らかに「祖父の領域」なのだろうが、芥川賞受賞作に記載されているという事実からすると、多数の根強い支持者がいることには間違いないのだろうと思った。
(同357ページ)
---- 母も新しい生活のリズムに慣れてきたようだった。祖父もだんだん回復して、車の運転もして詩吟の集いにも出かけるようになった。
◎ 以下は、銘柄を特定していないが、「煙草(たばこ)」が登場していいる場面である。
(文藝春秋358ページ)
母はもう運転席の方に回っていた。勢いよく乗り込んだが、キーを回す手つきも発車もまったく慌てなかった。発進しても背後の怒声は夜道に響いた。
「塩まいてる」と母はいった。えっと聞き返した。
「本当に塩まいてる」と母はいいながら煙草をくわえた。バックミラーではよく分からない。慎は身体をねじって後ろをみた。二人の姿はもう小さくなっている。慎はまだ塩をまくという行為の意味を知らなかった。
(同366ページ)
「それでなんでもすっきり忘れられるんなら、幸せだね」母はいった。頷くと、わかって頷いてるのぉ?と語尾を伸ばして笑った。それから近寄ってきたウェイトレスに短く「喫煙で」と告げた。
(同376ページ)
「そういえばどうでもいいけど」母は停車すると煙草に火をつけてからいった。
「あんた、キャッスルのスペル間違ってるよ」C・A・S・T・L・Eだよ。CASSLEじゃないよ。
「僕が書いたんじゃない」中学生がやってきて、僕の名前で勝手に書いたんだ。正直にいってみると、それはなんでもないことだった。
「馬鹿が多いんだね」母は眉間に皺を寄せて、煙草をふかした。
「おじいちゃんずっと一人暮らしだと寂しいから、私たちが引っ越しをしなきゃ」
「うん。いいよ」
「今度の学校も馬鹿がいないとは限らないよ」母はすでに吸殻でいっぱいの灰皿に煙草を無理矢理押し込んだ。
「平気だよ」自分でも意外なほどきっぱりとした言い方になった。母は慎の横顔をみつめた。
(同376ページ)
二人の乗ったシビックはワーゲンに先導される形で早朝の国道を走った。慎は母が喜ぶと思い自分も嬉しくなった。しかし見通しのよい上り坂になって前方をワーゲンばかりが更新するのをみているうちに母は急になにかこみあげてきたみたいになった。母はまた煙草をくわえ火をつけると、アクセルを思い切り踏み込んだ。
(同376ページ/最後のフレーズ)
根元まで吸ったたばこを捨てようとしたが、灰皿にはもう押し込めそうもない。母は慎に短くなった煙草を手渡した。
「そこから捨てて」という。まだ先端の赤く灯る煙草を受け取った慎は、あわてて空いた方の手で窓を開けた。左手の海岸に向けて慎はそれを放った。煙草はガードレールの向こうのテトラポットの合間に消えた。
◎ くわえて、詩吟教室に通い始めた私としては、次の記述には思わず苦笑いさせられたことを告白せざるを得ない。現在の日本で、詩吟は明らかに「祖父の領域」なのだろうが、芥川賞受賞作に記載されているという事実からすると、多数の根強い支持者がいることには間違いないのだろうと思った。
(同357ページ)
---- 母も新しい生活のリズムに慣れてきたようだった。祖父もだんだん回復して、車の運転もして詩吟の集いにも出かけるようになった。