◎ 今回も「荷風随筆集(下)」の中のたばこをとりあげてみたいが(最終章)、煙管とともに刻たばこは長く日本社会や文化に定着していた。それが、明治以降になると、舶来の葉巻や国内外の紙巻きたばこが流通するようになり、結局は紙巻きたばこの隆盛を迎え現在に至っている。
◎ 前々回に引用したけれども、折檻といえば西洋では鞭(ムチ)に代表され、日本では煙管(キセル)であったことなどは、決して忘れてはいけないことだろうし、まさに文化の違いを説明するには最適な事例だと思う。以下の引用は、長煙管で灰吹きの筒を叩くの音が消えていく、葉巻が上流・中産階級と共に表れてくる、手軽な紙巻きたばこは足早に進もうとする時代を予見していることなどが、巧みな荷風氏の文体に織り込まれており、今読んでも新鮮この上ないのだ。
(156ページ)
当時(明治16、7年)ロッチが見た日本の風景と生活にして今はすでに湮滅(いんめつ)して跡を留めざるものも少なくない。ロッチの著作はわたしが幼年のころに見覚えた過去の時代の懐かしき記念である。長煙管で灰吹きの筒を叩く音、団扇で蚊を追う響き、木の橋をわたる下駄の音、これらの物音はわれわれが子供の時日々耳にきき馴れたもので、そして今は永遠に返り来ることなく、日本の国土から消え去ってしまったものである。
(178ページ)
われは舶来の葡萄酒と葉巻のはなはだ高価なるを知ると共に、蓄音機のワグネルと写真版のゴオガンのみにては、到底西洋の新芸術を論ずる事能わざるに心付きぬ。
(228ページ)
更に近所の煙草屋で内々にきいて見れば、宇都宮とやら高崎とやらにて半玉に出ていたりしが、その後のわけは知らず去年帰ってきたこの土地から出たとの事。
(232ページ)
お力を呼ばれたるは中肉の背恰好すらりっとして洗ひ髪の大嶋田に新わらのさわやかさ、頸元(えりもと)ばかりの白粉も栄なく見ゆる天然の色白をこれみよがしに乳のあたりまで胸くつろげて、煙草すぱすぱ長煙管に立て膝の無作法さも咎める人のなきことよけれ。
(262ページ)
その間、抽斗(ひきだし)の草稿は一枚二枚と剥ぎ裂かれて、煙管のヤニを拭う紙縒(こより)になったり、ランプの油壺やホヤを拭う反古紙になったりして、百枚ほどの草稿は今すでに幾枚をも余さなくなった。(270ページ)築地本願寺畔の僑居に稿を起こしたわたしの長編小説はかくのごとくして、ついに煙管のヤニを拭う反古となるより外、何の用もなさぬものとなった。
(273ページ)
(余が父は)役所より帰宅の後は洋服の上衣を脱ぎ海老茶色のスモーキングヂャケットに着換へ、英国風の大きなるパイプをくわえて読書してをられた。
(276ページ)
しかるに我が国当世のさまを見るに、新聞記者の輩(やから)は例の立ち襟の白服にて人の家に来たり口に煙草をくわえ肱を張ってパタパタ扇子を使ふが、中には胸のボタンをはずし肌着のメリヤスのシャツを見せながら平然として話し込むものも珍しからず。(2001 12/18)
◎ 前々回に引用したけれども、折檻といえば西洋では鞭(ムチ)に代表され、日本では煙管(キセル)であったことなどは、決して忘れてはいけないことだろうし、まさに文化の違いを説明するには最適な事例だと思う。以下の引用は、長煙管で灰吹きの筒を叩くの音が消えていく、葉巻が上流・中産階級と共に表れてくる、手軽な紙巻きたばこは足早に進もうとする時代を予見していることなどが、巧みな荷風氏の文体に織り込まれており、今読んでも新鮮この上ないのだ。
(156ページ)
当時(明治16、7年)ロッチが見た日本の風景と生活にして今はすでに湮滅(いんめつ)して跡を留めざるものも少なくない。ロッチの著作はわたしが幼年のころに見覚えた過去の時代の懐かしき記念である。長煙管で灰吹きの筒を叩く音、団扇で蚊を追う響き、木の橋をわたる下駄の音、これらの物音はわれわれが子供の時日々耳にきき馴れたもので、そして今は永遠に返り来ることなく、日本の国土から消え去ってしまったものである。
(178ページ)
われは舶来の葡萄酒と葉巻のはなはだ高価なるを知ると共に、蓄音機のワグネルと写真版のゴオガンのみにては、到底西洋の新芸術を論ずる事能わざるに心付きぬ。
(228ページ)
更に近所の煙草屋で内々にきいて見れば、宇都宮とやら高崎とやらにて半玉に出ていたりしが、その後のわけは知らず去年帰ってきたこの土地から出たとの事。
(232ページ)
お力を呼ばれたるは中肉の背恰好すらりっとして洗ひ髪の大嶋田に新わらのさわやかさ、頸元(えりもと)ばかりの白粉も栄なく見ゆる天然の色白をこれみよがしに乳のあたりまで胸くつろげて、煙草すぱすぱ長煙管に立て膝の無作法さも咎める人のなきことよけれ。
(262ページ)
その間、抽斗(ひきだし)の草稿は一枚二枚と剥ぎ裂かれて、煙管のヤニを拭う紙縒(こより)になったり、ランプの油壺やホヤを拭う反古紙になったりして、百枚ほどの草稿は今すでに幾枚をも余さなくなった。(270ページ)築地本願寺畔の僑居に稿を起こしたわたしの長編小説はかくのごとくして、ついに煙管のヤニを拭う反古となるより外、何の用もなさぬものとなった。
(273ページ)
(余が父は)役所より帰宅の後は洋服の上衣を脱ぎ海老茶色のスモーキングヂャケットに着換へ、英国風の大きなるパイプをくわえて読書してをられた。
(276ページ)
しかるに我が国当世のさまを見るに、新聞記者の輩(やから)は例の立ち襟の白服にて人の家に来たり口に煙草をくわえ肱を張ってパタパタ扇子を使ふが、中には胸のボタンをはずし肌着のメリヤスのシャツを見せながら平然として話し込むものも珍しからず。(2001 12/18)