【24ページ】企業活動は国によってコントロールされ、規制がたくさんあった。企業同士の競争はもちろんあったけれど、弱肉強食のようなどぎつい競争は少なく、「みんな仲良く」という、談合的な体質の経済になっていた。
こんな形の社会になったのは、日本のいわゆる指導層たちが学生時代にマルクス経済学を学んでいたからだったと、こういう風にもいわれているんですね。
【30ページ】両親がユダヤ教からキリスト教に改宗しているということは、いろいろ信仰で悩んでいたはずです。旧約聖書や新約聖書もしっかり読んだはずです。つまりカールという人も、子どものころから聖書に親しんでいたはずです。『資本論』を読んでいくと、聖書を読んでいたからこそ出てくる論理が見え隠れしています。(中略)
マルクスのお父さんは弁護士でした。結構豊かな家に生まれたんですね。裕福だったものだから、大学進学率が高くない時代に、ボン大学の法学部に進学します。そこからさらにベルリン大学の法学部に移ります。法学部にいたのに弁護士にならず、哲学にはまってしまって、ヘーゲル哲学を学び、哲学の博士号を取ります。
[ken] 24ページは事実として、私はたくさんの先輩たちとお付き合いさせていただき、直接お伺いしました。また、東京大学でマルク経済学の教鞭をとっておられた先生、およびそのお弟子さんとも知り合い、多くのことを教えていただきました。30ページの聖書については、英語版から日本語版まで数冊購入しましたが、どうにも馴染めずに引越しをする過程で、とうとう廃棄してしまいました。通読する必要性を今さらながら感じているところです。(つづく)
こんな形の社会になったのは、日本のいわゆる指導層たちが学生時代にマルクス経済学を学んでいたからだったと、こういう風にもいわれているんですね。
【30ページ】両親がユダヤ教からキリスト教に改宗しているということは、いろいろ信仰で悩んでいたはずです。旧約聖書や新約聖書もしっかり読んだはずです。つまりカールという人も、子どものころから聖書に親しんでいたはずです。『資本論』を読んでいくと、聖書を読んでいたからこそ出てくる論理が見え隠れしています。(中略)
マルクスのお父さんは弁護士でした。結構豊かな家に生まれたんですね。裕福だったものだから、大学進学率が高くない時代に、ボン大学の法学部に進学します。そこからさらにベルリン大学の法学部に移ります。法学部にいたのに弁護士にならず、哲学にはまってしまって、ヘーゲル哲学を学び、哲学の博士号を取ります。
[ken] 24ページは事実として、私はたくさんの先輩たちとお付き合いさせていただき、直接お伺いしました。また、東京大学でマルク経済学の教鞭をとっておられた先生、およびそのお弟子さんとも知り合い、多くのことを教えていただきました。30ページの聖書については、英語版から日本語版まで数冊購入しましたが、どうにも馴染めずに引越しをする過程で、とうとう廃棄してしまいました。通読する必要性を今さらながら感じているところです。(つづく)