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中国ラーメン揚州商店(中区役所前)

2017年01月19日 | ここで一服・水元正介
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『資本主義の極意』その8/完

2017年01月19日 | O60→70(オーバー70歳)
【231ページ】
1930年代以降の日本の失敗を、私たちは忘れるべきではありません。「絆」や「結束」の強調は、ファシズムへの一歩を踏み出すことになります。「一億総玉砕」を想起させる「一億総活躍」を打ち出す安倍政権は、意識しているかどうかは別として、ファシズムに向かっている。つまり安倍政権というのは、新自由主義的な要素とファシズム的な要素とが無自覚に同居しているのです。

【233ページ】
神学者のカール・バルトは、「急ぎつつ待ち望む」と言いました。
その時が来るまで、私たちは高望みせず、しかし決してあきらめない。そして、その時が到来したときこそ、私たちは資本主義社会を超えた、良い社会をつくらなければならないのです。

(ken) 「資本主義社会を超えた、良い社会」をカール・バルトの「急ぎつつ待ち望む」という言葉を借りつつ、佐藤優さんは本書以外でも繰り返し述べています。クリスチャンである佐藤氏の面目躍如とも言えますが、そこまでの執念と意志について、自分自身が末永く持ち続けていけるのか、正直申し上げて不安です。しかし、妻子の行く末や人材育成、組織の将来についても「急ぎつつ待ち望む」姿勢を肝に銘じていきたいと思います。(終わり)
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洋紙屋さん前で!

2017年01月19日 | ここで一服・水元正介
昨日のお昼休みの途中、三田4丁目(株)奥山用紙店の喫煙所です。紙屋さんだから、火の元には十分に気をつけて、お店の前の方に灰皿を置いているのですね。
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ネコの用たしについて!〈英訳付〉

2017年01月18日 | 気ままな横浜ライフ
▶︎1月15日の日曜日、横浜外人墓地近くの傾斜地で、白いネコが用をたすため、しつこく土かきをしていました。

On Sunday, January 15th, a white cat was persistently digging up the soil on a slope near the Yokohama Foreign Cemetery to defecate.
▶︎用をたし始めたところで、「久しぶりにみたなぁ!」と満足し、その場を立ち去りましたが、今思えば、用をたした後の砂掛けの儀式も見ておけば良かったと後悔しています。

As soon as the cat started to defecate, I thought to myself, "It's been a while since I've seen this!" and left the place, satisfied.

Looking back, I regret not having seen the sand-throwing ritual that takes place after the cat has defecate.



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『資本主義の極意』その7

2017年01月18日 | O60→70(オーバー70歳)
【212ページ】
日本では、労働組合によるストライキが今やほとんど行われなくなりました。賃上げについては、労働組合が春闘で一括交渉をする。ただし、現在の組合幹部は、一般の組合員から遊離しており、経営陣に加わると通過点のようになってしまっています。
それでもないよりはマシですが、組合の機能そのものが衰退しているのが現状です。
だから今後も、放っておけば賃金は下がっていく。組合がほとんどない非正規雇用の賃金水準を見れば、それは一目瞭然でしょう。
すでに見たように、賃金は労働力を再生産するための費用です。この費用の水準は、再生産のためにいくらかかるのかによって決まりますから、100円ショップやユニクロ、牛丼で生きることができるようになった日本のような先進国では、資本はどんどん賃金を下げようとします。

【228ページ】
映画の寅さんの名文句な、「労働者諸君!稼ぐに追いつく貧乏なし」というのがある。(中略)
高望みせず、しかしあきらめないこと。飛び交う情報に流されず知識をたくわえ、自分のアタマで考えること。平凡なようですが、これが資本主義とつきあうキモです。

(ken) 昨年12月に横浜市南区へ引っ越しましたが、最寄りの伊勢佐木町モールにはあらゆるチェーンストアが軒を並べているなかで、格安カットのQBハウスが一軒もありません。それというのも、すでに伊勢佐木町モールおよびその周辺のカット価格は1,000円(消費税別)がほとんとで、高くても2,000円(洗髪付)でした。おそらく、かつての理髪組合は低価格競争の果てに解散し、現在のような状態になったものと推察しています。かくいう私は、昨年まで暮らした相鉄線沿線のいずみの駅構内のQBハウスを利用するようになってから、安いということもありますが、手軽な「10分程度の理髪」に慣れてしまったのです。そして、「100円ショップやユニクロ、牛丼で生きることができる」についても、ここにドンキを加えた完成形の中で暮らしている人々を数多く見てきました。100円ショップ、ユニクロは自分にとっても、食料品スーパーと同様に利用しています。わが家では、格安な商品やサービスと、横浜そごうや高島屋での買い物を合わせて楽しむことにしていますが、このような現実をみれば、「労働者諸君!稼ぐに追いつく貧乏なし」とは、まさに資本主義の現実を鋭く突いた名言ですね。(つづく)
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ジェームズ・ワットによって発見された蒸気の力!

2017年01月17日 | O60→70(オーバー70歳)
▶︎1月11日の夕方のことでした。今夜のメニューはトマトスープパスタにしようと考え、まずはスープ作りをするために、にんじん、玉ねぎ、ナス、ペコロスを下ごしらえし、圧力鍋にコンソメスープを入れ、鶏の骨付き肉を7本投入し煮込みました。刻んだ野菜をフライパンで、焼き目をつけ、煮込んだ圧力鍋の中に入れました。その間、火力を強くしたり、弱めたり、フタに付いているくるくる回るやつで、圧力鍋の水蒸気を抜いたりしていましたが、肝心なところで手順を間違えてしまいました。スープにトマトピューレも加え、しばし煮込んでから、火を止めて、まだ圧力が高い段階でフタを開けるときに、蒸気を抜くのを忘れてしまったのです。カミさんの静止する声が聞こえている中で、思わず手が動いてしまいフタを開けてしまいました。
▶︎というより、フタを開ける途中でものすごい蒸気が圧力鍋から四方八方に吹き出してしまったのです。せっかく新居に引っ越しできて、まだピカピカのキッチンがトマトスープだらけになってしまいました。おまけに、自分の着ていたシャツやズボンまでスープだらけになり、流し台の下にまでスープが侵入し、壁一面に飛び散り、本当にとんでもない有様になってしまったのです。私は、あっけに取られると同時に、「あーっ、これがジェームズ・ワットによって発見された蒸気の力なのだ!」ということを冷静に思い起こしていました。そばにいたカミさんは、急いでタオルや、キッチンペーパーを大量に取り出し、「せっかく新しい私のキッチンなのに」と言いながらも、せっせと手を動かしお掃除をしてくれました。そして、圧力鍋から水蒸気が吹き出した時、まさに子どもが帰ってきた瞬間でした。ドアを開けたら、プシューッという水蒸気の吹き出す音がしたので、子供もびっくりしていました。そして、「あ〜ぁ、お父さん、やっちゃったね。でも、今日はお母さんの機嫌がいいみたいだから良かったね」と、なかば呆れながら笑って言いました。
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『資本主義の極意』その6

2017年01月17日 | O60→70(オーバー70歳)
【193~194ページ】
主要な日本株の3分の1以上を外国人株主が保有しています。残りの株式の多くは、企業の持ち合いなど長期保有を目的としていることを考慮すれば、株価上昇の恩恵を最大限に享受できたのは、日本株を投機対象として売買している外国人株主ということになる。日本では一部の機関投資家や富裕層だけが儲かったにすぎません。

【202~203ページ】
現在の日本では、明治以来初めて「教育の右肩下がり」が進行しています。
資本主義が定着し、発展していくためには、就職するまでの基礎教育がきわめて重要になる。だから資本主義では、基礎教育期間が非常に長くなるのです。

【205ページ】
2013年の文部科学省の調査によると、国公立大学ですが年間の授業料が50万円以上かかります。私立大学の文系では平均して74万円、理系が104万円、医科歯科系では276万円もかかります。
日本経済が深刻なデフレに見舞われ、ビジネスパーソンの給料が下がる一方だった「失われた20年」の間でさえ、授業料は一貫して値上がりを続けました。その結果、文部科学省の「学校基本調査」によれば、ずっと右肩上がりだった大学・短期大学の進学率が、いったん2010年度をピークとして頭打ちとなり、その後も53~54 %台を保っています。

(ken)「主要な日本株の3分の1以上を外国人株主が保有」している現実については、JTの場合をみても同様でした。合計20億株のうち、政府および地方公共団体が6億6692万株強(33.35%)、金融機関(14.86%)、そして外国法人が7億3956万株強(36.98%)という持株保有となっています。私は社会勉強のためにも株を購入しようと思いましたが、そのたびにためらい「損をしたらしゃくにさわるし、得をしてもさほどのことはない」という理由で、いまだに一株も所有していません。今年中に、30~40万円の範囲で手をだしてみようとは考えていますが、どうなることやら。205ページの「教育の右肩下がり」については、「学歴は親の収入額に合致する」とか、「奨学金未払い問題」とかの言説で、何かと話題になってきました。資本の暴走が続き、価値の源泉である労働力さえ、継続的に再生産できない(少子化)状態を生み、さらに人的な競争力の前提となる教育がおろそかにされていることは、資本それ自体の自滅を意味しているのかも知れませんね。資本は地域をまたぎ増殖を続けますが、労働力という人は置いてきぼりになり、飢えと荒野が待っているなんて、断じて嫌ですね。(つづく)
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iPhone6Plusのカメラ画像について

2017年01月16日 | ここで一服・水元正介
▶︎iPhone 6Plusのカメラを交換したあと、横浜高島屋地下にあるサンジェルマンのショップで買ったパンを撮ってみました。
▶︎このひと月ほど、カメラのピントが合わずに困っていましたが、新しくしたらパンの画像のとおり、まさに復活したような感じで嬉しくなりました。
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『資本主義の極意』その5

2017年01月16日 | O60→70(オーバー70歳)
【162~163ページ】
満州事変と満州国建設は、植民地経営で日本が不況から抜け出すシナリオを示しました。さらに農民を満州に植民させる動きが本格化し、農民の貧窮もとりあえず解決することができた。
これらは軍部の力ですから、国民の間に軍部への期待感が高まる。と同時に、政府と財閥の癒着に対する不信感はどんどん高まっていきました。

【180ページ】
新・帝国主義はコストのかかる植民地を持たず、全面戦争を避けようとする点が、かつての帝国主義とは異なる点です。

【181ページ】
帝国主義の下では、資本の過剰は恐慌か戦争のどちらかで処理されることになる。この考え方は、現代においてもなお有効です。
たとえば、なぜ日本はステルス戦闘機F35の部品輸出や、オーストラリアとの潜水艦共同開発など「経済の軍事化」を着々と進めるのか。
それが過剰な資本を処理する近道だからです。~安倍政権は、軍事産業の対外輸出を最大の成長戦略として位置づけている。

(ken) 恐慌か戦争かと問われれば、私はどっちも嫌です。不確実性の名の下に、反知性主義や大衆迎合(ポピュリズム)的な二者択一を迫るような言説が横行してきました。商人資本----重商主義、産業資本----自由主義の時代を経て、現在の金融資本----帝国主義はいかなる動機をもって進むのか、その論理をおおまかに理解した上で、政治社会の動きを見ていこうと改めて思いました。(つづく)
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『資本主義の極意』その4

2017年01月15日 | O60→70(オーバー70歳)
【132~133ページ】
工業の躍進によって、工業(工場)生産額は農業生産額を追い越した。工場労働者数は大戦前の1.5倍に増えて150万人を超え、中でも男性労働者は重化学工業の発展により倍増して、女性労働者の数に迫った。それでも、工業人口は農業人口の半数以下にすぎなかった。(『日本史A』)

【135ページ】
大戦前の貿易黒字も、1919 (大正8)年には輸入超過に転じてしまいます。この戦後恐慌に追い打ちかけたのが、1923 (大正12)年の関東大震災です。この関東大震災の影響で、銀行破綻がします。具体的にはこういうことです。
震災によって、企業は事業どころではありません。そのため、銀行は手持ちの割引手形の決済ができなくなります。
割引手形というのは、決済日以前に、銀行が利子率や手数料を割り引いて企業から買い取った手形のことです。だから決済日となったら、手形を発行した企業が銀行に決済することで手形の取引は完了します。
ところが震災が起きたことで、こういう割引手形の決済ができなくなってしまった。つまり、手形を発行した企業がお金を払えなくなったわけです。

(ken) 今でこそ「女性活用」とかいわれていますが、軽工業が中心だった日本の工場労働は女性が担っていました。繊維工場はもとより、たばこ工場でも同様でした。それが重化学工業、電器・自動車と変遷するなかで、農村の潤沢な潜在的過剰人口が工場労働者として供給され、現在に至っているわけです。農業は工業を優先する国策との関係で、保護政策によって守られたけれども、過疎化という現実よって時代の外に放置され続けました。本書を読みながら、農村に暮らしていた頃には気づかなったのですが、教科書を学んでいたはずなのに、まったく現実との関わりとして理解できない「授業」だったのかなと思います。135ページの関東大震災で何が起きたかについて、私は教科書の内容さえ断片的にしか記憶しておらず、歴史認識に関するメンテナンスを怠っていたと反省させられました。(つづく)
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