『もの思う葦』(太宰治著、新潮文庫)を読む。
もともと太宰の生前の随想は全集にしか収められていなかったが、既出のものに未発表分を加え、昭和55年に新潮文庫から発売された“企画版”。
読み進めていくと「これどっかで読んだな」と思う文章が頻繁に出てくる。もしかして以前に読んだのかと本棚を見てみるが、『斜陽』『晩年』『走れメロス』しか置いていない。おそらく色々な所で様々な人が紹介していたり引用してたりしたのが記憶に残っているのだろう。それだけインパクトの強いアフォリズムが多い。
一番最後の『如是我聞』では、志賀直哉や当時大御所と言われた既成文学者に対して、捨て身の批判をしている。批判的精神と言ってしまえば聞こえは良いが、要するに志賀に対する悪口(陰口ではない)。よくここまで名指しで書けたなと思う。だが読んでてそれほどネガティブな気持ちにならないのは、綺麗な日本語で書かれているから。悪口を綺麗な言葉で述べるというのも文学的才能であるのかも。
もともと太宰の生前の随想は全集にしか収められていなかったが、既出のものに未発表分を加え、昭和55年に新潮文庫から発売された“企画版”。
読み進めていくと「これどっかで読んだな」と思う文章が頻繁に出てくる。もしかして以前に読んだのかと本棚を見てみるが、『斜陽』『晩年』『走れメロス』しか置いていない。おそらく色々な所で様々な人が紹介していたり引用してたりしたのが記憶に残っているのだろう。それだけインパクトの強いアフォリズムが多い。
一番最後の『如是我聞』では、志賀直哉や当時大御所と言われた既成文学者に対して、捨て身の批判をしている。批判的精神と言ってしまえば聞こえは良いが、要するに志賀に対する悪口(陰口ではない)。よくここまで名指しで書けたなと思う。だが読んでてそれほどネガティブな気持ちにならないのは、綺麗な日本語で書かれているから。悪口を綺麗な言葉で述べるというのも文学的才能であるのかも。