『雑文集』(村上春樹著、新潮社)を読む。
村上春樹が作家としてデビューしてから30年余り。これまで単行本として発表されなかった文章が集められている、まさに「雑文集」。エッセイ、他者の本の序文・解説、質問に対する回答、各種あいさつ、短いフィクションなどが掲載されている。
この手の本は、作者没後に、企画物として編纂されたりすることがよくあるが、本書は筆者自身が編集に携わり、過去の文章からサルベージしている。それぞれに本人の短い紹介文が付いており読みやすい。
特に自身の小説や文章の書き方について言及しているエッセイがいくつかあり、それらが興味深かった。
(以下抜粋)
「音楽にせよ小説にせよ、いちばん基礎にあるのはリズムだ。自然で心地よい、そして確実なリズムがそこになければ、人は文章を読み進んではくれないだろう」(『違う響きを求めて』より)
-インタビュアーの「あなたの小説はだいたいにおいて『オープン・エンド』になっています。あなたが解決を読者に委ねている理由はなんでしょう?」という質問に答えて-
「僕が書く小説は、最終的な明白な結論を必要としていません。必要がないものを無理に書く必要はない、ということです。ぼくは明白な結末というのが好きではないのです。日常生活のすべての局面において、そんなものは存在しないわけですから」(『ポスト・コミュニズムの世界からの質問』より)
「僕の小説が語ろうとしていることは、ある程度簡単に要約できると思います。それは『あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけることのできる人は多くない。そしてもし運良く見つかったとしても、実際に見つけられたものは、多くの場合致命的に損なわれてしまっている。にもかかわらず、我々はそれを探し求め続けなくてはならない。そうしなければ生きている意味そのものがなくなってしまうから』ということです」(『遠くまで旅する部屋』より)
村上春樹が作家としてデビューしてから30年余り。これまで単行本として発表されなかった文章が集められている、まさに「雑文集」。エッセイ、他者の本の序文・解説、質問に対する回答、各種あいさつ、短いフィクションなどが掲載されている。
この手の本は、作者没後に、企画物として編纂されたりすることがよくあるが、本書は筆者自身が編集に携わり、過去の文章からサルベージしている。それぞれに本人の短い紹介文が付いており読みやすい。
特に自身の小説や文章の書き方について言及しているエッセイがいくつかあり、それらが興味深かった。
(以下抜粋)
「音楽にせよ小説にせよ、いちばん基礎にあるのはリズムだ。自然で心地よい、そして確実なリズムがそこになければ、人は文章を読み進んではくれないだろう」(『違う響きを求めて』より)
-インタビュアーの「あなたの小説はだいたいにおいて『オープン・エンド』になっています。あなたが解決を読者に委ねている理由はなんでしょう?」という質問に答えて-
「僕が書く小説は、最終的な明白な結論を必要としていません。必要がないものを無理に書く必要はない、ということです。ぼくは明白な結末というのが好きではないのです。日常生活のすべての局面において、そんなものは存在しないわけですから」(『ポスト・コミュニズムの世界からの質問』より)
「僕の小説が語ろうとしていることは、ある程度簡単に要約できると思います。それは『あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけることのできる人は多くない。そしてもし運良く見つかったとしても、実際に見つけられたものは、多くの場合致命的に損なわれてしまっている。にもかかわらず、我々はそれを探し求め続けなくてはならない。そうしなければ生きている意味そのものがなくなってしまうから』ということです」(『遠くまで旅する部屋』より)