金沢に「笑って死ねる病院」がある、と四日市の知り合いの看護師に
聞いていた。調べてみたら、ドキュメンタリー番組になっており、
youtubeで(なぜか)観れた。
http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-495.html
5月末に亡くなった、知り合いのおじいさんのことを思って涙が止まらなかった。
おじいさんといっても、62歳だったと思う。
最近の60代といえば「おじいさん」と言えない元気な人が多いが、
ずいぶん年老いた様相だった。
穏やかで、人を警戒しない九州出身のおっちゃん。
介護していた妻を殺め、執行猶予中だった。
亡くなる前の週に、四日市に行ったついでに家に寄って
少し話しをしていた。
一人暮らしだったから、もしかしたら私が最後に会って話した
人間かもしれない。
翌週に、毎週泊まりに来ている娘さんが、亡くなっているのを見つけた。
携帯の着信から、私に連絡してくれた。
心臓が悪かったので、「発作的なものかも」ということだった。
今年二月ごろに高熱を出し、右耳が聞こえなくなって、
歩くときもバランス感覚が変になっていた。
最後に会ったときには、一歩一歩がおぼつかないほど。
食事は作れるし、よろよろと身の回りのことはこなせる。
病院で薬ももらっている。
訪問リハビリとか利用すれば、少し体が楽になるんじゃないかなと
思って、四日市の知り合いのケアマネさんに相談してみようと、
考えていた矢先に訃報を聞いた。
拘置所から出てからは、生活保護を受けていた。
最初は「仕事、どうですか?見つかりました?」
という話を意識的にしていた。でも建設作業関係の仕事はなかった。
肝臓が悪く、毎週点滴に通っていて、心臓も悪いということになった。
これでは仕事もだめ。
気休めでも、前を向いてもらうにはどういう言葉をかければいいのか
分からなかった。いつも、庭の野菜作りの話や、病院の話などをぽつぽつした。
娘さんは市内でそのだんなさんと暮らしていた。
仲がいいでも悪いでもない風だった。
この家では、息子さんが高校生の時に自殺している。
思い出話を聞くことも、家族の話をするのも、少しためらわれた。
「やり残したこと、今やりたいことはないんですか?」
と、聞いてあげればよかった。ドキュメンタリーを観ながら思った。
なんていうか、まさか亡くなるとは思わなかった。
食べたいものとか、行きたいところとか。
生きる欲求みたいなものが、少しでも刺激されるような話が
できればよかった。
死ぬときは「ぴんぴんころり」といきたいが、なかなかいけないのが
現実の数字だ、という話を在宅医療をする医師に聞いたことがある。
ぴんぴんころりと、本当に行きたいのだろうが。
死期を悟り、準備するのは怖いことだと思うが、
できることなら覚悟するほうを選びたい。残される人も、覚悟したいのではないか。