「医療刑事裁判における医学鑑定のあり方を問う
―医師を裁くのは鑑定書―」
というタイトルのシンポジウムに、先日行ってみた。
お盆休みの最中の13日に、東京で開かれたもの。
http://www.iryokeiji.com/morita/
2006年に産科医が逮捕され、大きな議論となった
福島県立大野病院事件の弁護団が主体で、
この事件の鑑定書がどのような役割を果たしたのか、
得られる教訓は何か、といったことがテーマ。
(裁判は被告側の勝利で終わっている。)
弁護士、産科医、医療過誤の被害者、メディア関係者
が出席していたようだ。
シンポジウムを通してのアピール(個人的な印象に基づく)は2つ。
①医療裁判では警察・検察側の鑑定書が、起訴/不起訴に
大きな影響を及ぼすが、この鑑定書自体の中立性、
一般的な医学水準を保つ仕組みはない。
実際、まともな鑑定書だったら大野病院の医師は拘束され、
起訴されなかったはず。
医療事故が医療事件となる入り口がこんなあやふやでは、
必ずしも争わなくてもよい裁判をしなくてはならない
可能性がある。裁判や警察による拘束が、医師にとって、
関係者にとって多大なコストであるのに、なんとも
ナンセンスではないか。
②この多大なコストを考えれば、無罪よりも起訴されないことが
大事。弁護士はその役割を自覚しなければならない。
医療裁判は通常の刑事裁判に比べ、医師はインテリで話は早いし、
医師会や学会の応援を受けられることも多いので、
事実関係や医療水準(起訴は妥当かどうか考える基準)を
比較的早く把握できる。だから、逮捕や書類送検されてしまった
(しまいそうな)医師や病院はすみやかに弁護士に連絡し、
対策(上記事項の把握や記録の保全、証拠隠滅の可能性がないこと
のアピールなど)を練るべきだ。
(通常は起訴されてから弁護士に連絡することが多い。)
私がこのシンポジウムに参加したきっかけからして、
医療鑑定の影響力の大きさを感じていたからだ。
医療鑑定は、医師や病理学者らの鑑定書が「適切な処置と思われる」
と書くか書かないかが注目される。適切とすれば、医療の専門家
ではない裁判官は過失なしに動くし、反対であれば過失ありに動く。
鑑定は、捜査段階で警察側が委託し、そのまま検察が調書(起訴の
証拠)として使う(ようだ)。
大野病院事件では、このシンポジウムで知ったことが、
鑑定医は事故後の胎盤の写真(被告とされた医師が撮影していた)
がせっかく残っているにもかかわらず、見ずに、解剖後の胎盤の
分析のみで鑑定していたようだ。その写真を見ればありえない
範囲の処置を、「ありうる」としている。しかし、弁護団側の
鑑定や、写真からの観測をあわせると、やはり「ありえない」。
そう裁判官が判断して、無罪となった、という流れのようだ。
シンポジウムでは、実際に裁判に臨んだ弁護士たちが語ったが、
やはり彼らだって胎盤剥離に詳しいわけではなく、医師らに
相当レクチャーしてもらうところから始まった。だから、
鑑定のおかしさを断言できた。
そういう事件化の「構造」が早くつかめればメディアも苦労しない
のだが、そこまでの道のりは険しい。鑑定書は読んだことがあるが、
医学的にはわからないことが多くても、鑑定医のメッセージ
(「適切と思うかどうか」)は分かるし、おかしいという指摘に
共感できる部分もある。数をこなせば、少しは構造を知るのに
早くなる、かもしれない。最近は、医療鑑定を引き受ける医師が
いなくて医療鑑定の時間がやたらかかると聞いたこともあるが・・・
どうなのだろう。
―医師を裁くのは鑑定書―」
というタイトルのシンポジウムに、先日行ってみた。
お盆休みの最中の13日に、東京で開かれたもの。
http://www.iryokeiji.com/morita/
2006年に産科医が逮捕され、大きな議論となった
福島県立大野病院事件の弁護団が主体で、
この事件の鑑定書がどのような役割を果たしたのか、
得られる教訓は何か、といったことがテーマ。
(裁判は被告側の勝利で終わっている。)
弁護士、産科医、医療過誤の被害者、メディア関係者
が出席していたようだ。
シンポジウムを通してのアピール(個人的な印象に基づく)は2つ。
①医療裁判では警察・検察側の鑑定書が、起訴/不起訴に
大きな影響を及ぼすが、この鑑定書自体の中立性、
一般的な医学水準を保つ仕組みはない。
実際、まともな鑑定書だったら大野病院の医師は拘束され、
起訴されなかったはず。
医療事故が医療事件となる入り口がこんなあやふやでは、
必ずしも争わなくてもよい裁判をしなくてはならない
可能性がある。裁判や警察による拘束が、医師にとって、
関係者にとって多大なコストであるのに、なんとも
ナンセンスではないか。
②この多大なコストを考えれば、無罪よりも起訴されないことが
大事。弁護士はその役割を自覚しなければならない。
医療裁判は通常の刑事裁判に比べ、医師はインテリで話は早いし、
医師会や学会の応援を受けられることも多いので、
事実関係や医療水準(起訴は妥当かどうか考える基準)を
比較的早く把握できる。だから、逮捕や書類送検されてしまった
(しまいそうな)医師や病院はすみやかに弁護士に連絡し、
対策(上記事項の把握や記録の保全、証拠隠滅の可能性がないこと
のアピールなど)を練るべきだ。
(通常は起訴されてから弁護士に連絡することが多い。)
私がこのシンポジウムに参加したきっかけからして、
医療鑑定の影響力の大きさを感じていたからだ。
医療鑑定は、医師や病理学者らの鑑定書が「適切な処置と思われる」
と書くか書かないかが注目される。適切とすれば、医療の専門家
ではない裁判官は過失なしに動くし、反対であれば過失ありに動く。
鑑定は、捜査段階で警察側が委託し、そのまま検察が調書(起訴の
証拠)として使う(ようだ)。
大野病院事件では、このシンポジウムで知ったことが、
鑑定医は事故後の胎盤の写真(被告とされた医師が撮影していた)
がせっかく残っているにもかかわらず、見ずに、解剖後の胎盤の
分析のみで鑑定していたようだ。その写真を見ればありえない
範囲の処置を、「ありうる」としている。しかし、弁護団側の
鑑定や、写真からの観測をあわせると、やはり「ありえない」。
そう裁判官が判断して、無罪となった、という流れのようだ。
シンポジウムでは、実際に裁判に臨んだ弁護士たちが語ったが、
やはり彼らだって胎盤剥離に詳しいわけではなく、医師らに
相当レクチャーしてもらうところから始まった。だから、
鑑定のおかしさを断言できた。
そういう事件化の「構造」が早くつかめればメディアも苦労しない
のだが、そこまでの道のりは険しい。鑑定書は読んだことがあるが、
医学的にはわからないことが多くても、鑑定医のメッセージ
(「適切と思うかどうか」)は分かるし、おかしいという指摘に
共感できる部分もある。数をこなせば、少しは構造を知るのに
早くなる、かもしれない。最近は、医療鑑定を引き受ける医師が
いなくて医療鑑定の時間がやたらかかると聞いたこともあるが・・・
どうなのだろう。