金曜の夜にベトナム語授業を入れると、1週間分の疲れと相まって
土曜日の午前中まで不調だ。
昨日は、つたないベトナム語で「ベトナム戦争後の女性たち」の話を
一生懸命聞き取ろうとしたものだからなおさら。
先生は、戦争終了時(1975年)16歳で大学生。
話してくれたのは、ベトナム戦争で夫や、恋人、「若い・年頃の男性」を 亡くし、
一方でとてつもなく家族を欲した多くの女性たちの話だ。
ベトナム全土が戦場となり、軍人だけでなく民間人もが戦闘に参加したこの戦争で、
200万人を超えると言われるベトナム人が死んだ。
女性も分け隔てなく参加したとはいえ、後方支援や軍需工場で働いた
人が多く、死に至ったのはやはり男性が多かっただろう。
北ベトナム軍がサイゴンに入り、「解放」した。
戦争が終わったが、女性のみが残ったのでは「幸福(hanh phuc)」を
誰にも求められない。
女性たちは男性を、子供を持つことを求めて男性を探した。
たとえば、ベトナム南部から北部へ戻る北ベトナム軍の車などには 女性が群がり
わき目も振らずに体を求めたという。
「運転手たちは、『お金をあげるから許して』と言ったけど、
『お金なんていらないのよ』と運転手の服をはぎ取った」 ・・・らしい。
野外映画場などでも同じようなことが起こり、そして男性たちは去っていったから
父親のいない子供がたくさん生まれた。
今の60歳代、70歳代の女性たちは、苦労して、授かった子供を育てた。
だから「今の30歳代で父親がいないと聞いても驚かない」のだという。
ベトナムの人口ピラミッドを見てみると、確かに男女比率は
60歳(2012年)(終戦時23歳)で女100に対し男は80.
70歳(2012年)(終戦時33歳)では女100に対し男64.
平均寿命75歳ほどの長寿の国で、あまりにも差がある。
当時は、年頃の男性がいなくなってしまって、すごく年の離れた結婚を
しなければならなくなるケースも多かったのだそうだ。
人間の生命力が、戦中と戦後の社会をかろうじてつないだ。
ふと、沖縄はそういう意味でどのような戦後を生きたのか関心が飛んだ。
土曜日の午前中まで不調だ。
昨日は、つたないベトナム語で「ベトナム戦争後の女性たち」の話を
一生懸命聞き取ろうとしたものだからなおさら。
先生は、戦争終了時(1975年)16歳で大学生。
話してくれたのは、ベトナム戦争で夫や、恋人、「若い・年頃の男性」を 亡くし、
一方でとてつもなく家族を欲した多くの女性たちの話だ。
ベトナム全土が戦場となり、軍人だけでなく民間人もが戦闘に参加したこの戦争で、
200万人を超えると言われるベトナム人が死んだ。
女性も分け隔てなく参加したとはいえ、後方支援や軍需工場で働いた
人が多く、死に至ったのはやはり男性が多かっただろう。
北ベトナム軍がサイゴンに入り、「解放」した。
戦争が終わったが、女性のみが残ったのでは「幸福(hanh phuc)」を
誰にも求められない。
女性たちは男性を、子供を持つことを求めて男性を探した。
たとえば、ベトナム南部から北部へ戻る北ベトナム軍の車などには 女性が群がり
わき目も振らずに体を求めたという。
「運転手たちは、『お金をあげるから許して』と言ったけど、
『お金なんていらないのよ』と運転手の服をはぎ取った」 ・・・らしい。
野外映画場などでも同じようなことが起こり、そして男性たちは去っていったから
父親のいない子供がたくさん生まれた。
今の60歳代、70歳代の女性たちは、苦労して、授かった子供を育てた。
だから「今の30歳代で父親がいないと聞いても驚かない」のだという。
ベトナムの人口ピラミッドを見てみると、確かに男女比率は
60歳(2012年)(終戦時23歳)で女100に対し男は80.
70歳(2012年)(終戦時33歳)では女100に対し男64.
平均寿命75歳ほどの長寿の国で、あまりにも差がある。
当時は、年頃の男性がいなくなってしまって、すごく年の離れた結婚を
しなければならなくなるケースも多かったのだそうだ。
人間の生命力が、戦中と戦後の社会をかろうじてつないだ。
ふと、沖縄はそういう意味でどのような戦後を生きたのか関心が飛んだ。