リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

間合い

2020年09月30日 12時17分53秒 | ウソゆうたらアカンやろ!他【毒入注意反論無用】
某日某新聞の夕刊。某コラム。著名な経済学者の方がフリージャズで知られるY氏のジャズトリオのことについて書いていました。70年代のヨーロッパツアーが大成功でスタンディング・オベーションが止まらなかった話から音楽の内容に入っていきます。当トリオが「外来の和声進行やビートというジャズの様式にしばられず」と書いていましたが、自分のことばでここまでの書き方ができる人はプロ同等の音楽実践ができる人、そうでない場合その内容はデタラメです。

氏はコラムの後半、トリオの「合わせ方」について言及して、彼らは「間」でリズムを決めているとおっしゃる。「クラシックは指揮者、ジャズはビートが演奏を「外」から進める」・・・「力士」が呼吸で立ち合いを決める相撲と同じ・・・」ともあります。えっ・・・・!私のような古楽の末端演奏家でもトリオで通奏低音をつとめるときはお互いの間合いを最も重視します。歌の人とリュート・ソングを合わせるときは、歌い手の息遣いに合わせるものです。

弦楽四重奏でも「間」が重要でしょうし、おそらく他のジャズプレイヤーでも同じなのではないでしょうか。氏は「間」が日本文化の専売特許だとお考えのようで、当トリオが日本文化の嫡子だとおっしゃる。このお考え、私からするとかなり的外れのような感じがします。西洋の音楽でも、ことばも定義づけもありませんが、日本の「間」に相当するものはあると思います。そこらへんのおっさんがブログなんかに書いている分には別にどうってことはないでしょうけど、文化欄が充実していることで有名な日本の有力紙のコラムに著名な方が書いているわけですから、このコラムの記事、十分な発信力はあります。

以前も当該某新聞の音楽関連のコラム記事で事実誤認があり当ブログでも指摘をしました。某新聞社にもお節介ながら指摘をさせていただきました。今回は私が指摘したときのような単純な事実誤認(たとえば描かれているのがバロック・ギターなのに「ルネサンス・ギター」だと言い張るとか、椅子の上に描かれている楽器がシターンなのにリュートだと言い張るような)ではないので多少状況が異なりはします。とは言うものの事実誤認には違いなく、たとえある分野で著名な方でも別の分野の深い部分に立ち入ったことを書くと頓珍漢な内容になってしまうことになりかねないということです。このコラムを読んだ物知り風のおっさんが飲み屋で知り合いに博識ぶりを披露する、いやな構図ですねぇ。もっとも最近は新型コロナの影響でそういったシーンは少なくなっては来ましたが。