リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

the Lady Cliftonはどういう人ですか(4)

2023年05月13日 17時42分13秒 | 音楽系
イギリスリュート協会出版のファクシミリ版Dd.2.11(ケンブリッジ大学図書館)の解説には同写本の成立は1588年頃~1600年頃の間としています。その理由のひとつとしてあげているのが、写本に出てくるエドワード・ピアースという人の役職です。写本の曲では「王室教会堂のエドワード・ピアース」という名前が出てきます。1600年に彼が王室教会堂の職を離れたということが別の資料で知られていますので、少なくとも1600年を超えてから同曲が成立したということはあり得ません。また別の研究者は、同写本の成立はもっと前の時期を推定しています。

101フォリオ(ページでいうとその倍)が綴じられており、曲数は324曲を数える大写本はそれなりの時間をかけて成立したはずです。真ん中を少し越えた58枚目のフォリオ書かれている「ジョン・ダウランド作曲キャサリン・ダーシーの御心」が筆写されたのは、1590年代前半まででしょう。作曲されたのはもちろんそれの何年か前ということになります。
一方ロバートが生まれたのが1591年頃だと言われています。(正確な年は分からないようです)なお亡くなった年は1641年以降、少なくとも1641年までは生きていたということで没年はっきりしていません。

写本の成立時期とロバートの生年を併せて考えてみると、写本の曲の方がオリジナル、作曲は明記されている通りジョンの作品であって、VARIETIE OF LUTE-lessonsにおける同一曲がそこに示されているようにロバートの作曲というのはまずあり得ないということになります。もしロバート作だとすると幼児が作曲したことになるでしょう。まぁ、5歳で作曲したモーツアルトの例もありますが・・・ロバートが生まれる前に作曲されたという可能性も充分あります。