ルーマニアからきたお嫁さん

2008年07月22日 | 日々のこと
我が家の近くに、ルーマニアからお嫁さんが来たのは4年近く前。素敵な出会いで、ロマンスが生まれ息子さんが、「この人を」と言ってきた時、家族は大きな戸惑いを感じながらも、応援したのでした。

 幾度となく上京してお役所に通ったのは、仕事をもつ息子に代わってお父さん。
本当に、複雑で面倒な手続きを踏んだのでした。
 そして今では、2歳の息子のお母さんです。

 お父さんが「白鳥のよう」と形容しましたが、我が家での食事会の折も、どんなに見ないようにしていても、美しい彼女に目がいってしまうのでした。

 そのお嫁さんが、結婚して間もない頃、お父さんに向って「お願いがあるのですが」と切り出したとのこと。・・・・それが何と「ヤギを飼いたい」とのこと。
ヤギを飼い、その乳でチーズを作って販売したいと。
 人生をもう少し生きた、40代、50代の人が言うならば、そうかなと思ったのだか、20代の若いお嫁さんが・・・・と私は仰天したのでした。

 それはまさしく、彼女の生きてきた背景を見たのでした。彼女のお国の家庭では、それが常日頃当たり前の家事だったのでしょうと。・・・・お国柄と言ってしまえばそれまでだけど、日本人なら誰しも、味噌や醤油を作れるかといえば、作れるわけではない。・・・・しっかりとした自給自足の考えが根本にあるのを感じたのでした。

 そのお嫁さんが、運転免許を取り、農協に自分の口座も開設し、農業を始めたのでした。子育てしながら、本当によく頑張っています。

 この頃散歩コースを変えて、彼女の家の横を通りますと、彼女が野菜の袋詰めをしている姿をよく見かけます。

 異国の地で結婚して、そこの大地でたくましく生きている彼女に感動します。
日本語もすっかり上手になり、美しさにさらに人間的なたくましさが加わったのを感じます。
 
 自分の働いたお金で、里帰りをしたいと思っているのかな・・・なんて思っているのですが、家族が皆で応援しているのがよくわかります。彼女一人で出来ない仕事が、いっばいあるでしょうから。

 やはり自給率40%というには、それなりの訳があるんだなと思います。
彼女が農業をするという土壌が、彼女の国にはあるということです。自分の食は自分で守るという、それは今の日本人が失ってしまったものだと思うのです。
それは農業国、工業国という以上に。
                                
                            依田 美恵子

  


【 中島木材のホームページは こちら


軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする