Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

安全運転の看板

2008年03月04日 | バリ
 先月のインドネシア滞在で最も気に入った看板が、この安全運転SAFETY DRIVERの条件を記した看板である。ヘルメットの絵があるので、バイクのドライバーだけに訴えかけた看板のように思えるが、これは車も含めたドライバー全般に対して出されたものだ。
 これがどこにあったかというと、タバナンに行く幹線道のトラックやバスが100キロ近くでぶっ飛ばす場所にでかでかと立てられている。バイクに乗る私も、始めは速度のせいでこの看板に気が付かなかったのだが、何度もこの道を通るうちに、その看板の大きさが気になり、何回か同じ道を走るうちに、徐々に内容が気になり始め、ついにはそのあたりでスピードを落として読もうと努力をするようになって、とうとう道路脇に車を止めてじっくり読んでデジカメにおさめたのである。
 当たり前のことが書かれているのだが、これが私にはどれも面白い。一つ目には、「昼でもランプをつけて走ろう。」と書かれている。1,2年前には昼にランプをつけていると、よく対向車に「ランプついでるぞ。消せ!」と手で合図されたものだが、とうとう日本と同様に昼にもランプをつけるように指導している。まあ、これはバイクに対してだろうが、今だ昼にランプをつけて走っているバイクには出くわしたことがない。次には「ヘルメットのベルトはしっかり止めよう」と書かれている。日本でバイク事故を起こした私は、このヘルメットの重要性を実感しているのだが、インドネシアのヘルメットはJISマークが入っているようなシロモノではないので、地面にぶつかったらヘルメットが割れて、その破片が頭に刺さらなければいいなと思ったりする。三つ目は、車にも言えることだが、バックミラー、方向指示器、ブレーキチェックである。反論の余地はないが、これまで借りたレンタルバイクで、この三つが完璧だったことはまずない。最後はキープレフトである。インドネシアは日本と同じ左側通行なのだが、なぜか右側を逆走する車に頻繁に遭遇する。要するに幹線道路をラリーのコースだと考えているのだろう。
 いうなればインドネシアでは四つのうち、どの項目も守られていないのだ。だからこそ、こんな看板が必要なのだろうが、たぶん馬の耳に念仏である。今日もこの看板の横を、ジャワに向かう高速バスが、他社のバスとラリーを繰り広げているだろう。そして、夜にもかかわらずライトのつかない家族連れの四人乗りのバイクが、楽しそうな会話しながら家路に向かっているんだろう。


サトウキビ

2008年03月03日 | 那覇、沖縄
 「ザワワ ザワワ・・・」で始まる有名な歌のサトウキビ畑は、北海道やアメリカにあるような広大な畑をイメージさせるし、私もサトウキビ畑というものはそんなものだろうと長いこと思っていた。しかし沖縄に住むようになってから、私の住まいの周辺の市外地にはそのサトウキビ畑が、まるで練馬ダイコンの畑のように住宅地の間にポツリポツリと存在していることを知ったのである。
 さて、そのサトウキビ畑は今が刈り入れ時期であることをご存知であろうか?先週だったか久米島ではじめてプロ野球の試合があった時、主催者は「このサトウキビの刈り入れの忙しい時期にもかかわらず島民の3分の1の人々が観客として・・・」と話していた。
 近所のサトウキビ畑の横を通ると、すでに刈り取られたキビの束がまとめられて畑の横に置いてある。たぶん近いうちにトラックが来て北部の製糖工場に持っていくのだろう。山のようにサトウキビを積んで街を走るトラックなんて、沖縄に来なければ見ることのできない光景だ。そんなトラックに出会った観光客は幸運である。なんといっても季節限定の風景なのだから。


ふっくらと輝くご飯

2008年03月02日 | 家・わたくしごと
 わが家では、テレビが壊れる前に、実は9年使用した炊飯ジャーの雲行きが怪しくなっていた。ご飯が炊けなくなるのは一大事ということで、今から3ヶ月前に新しい炊飯ジャーを購入したのだが、雲行きが怪しいまま、とりあえずはご飯がたけるので3ヶ月古いものを使い続けて、新しい炊飯ジャーは箱に入れたまま大事に保管されていた。運がいいのか悪いのか、その後もいっこうに古い炊飯ジャーは壊れずにいたのだが、それでは新しいものの出番がいつになっても来ないのである。もう3月になったので、「古い炊飯ジャーは引退」ということで、昨晩かみさんは新しい炊飯ジャーを古いものと取り替えたのだった。
 さて、朝から私はソワソワである。新しい炊飯ジャーではどんなに美味しい米が炊けるのか楽しみで仕方ない。朝起きてきたかみさんに「今日は新しい炊飯器でご飯を炊くんだよね」と確認する。するとまた冷たい答えが返ってくる。「今日とは限らない」というのである。せっかくあるのにそりゃないよ。後で聞くことによれば、「豆ご飯」があったのでそれを食べなくなくてはならないということだったらしいのだが、あんまり私がしつこく「楽しみだ」と繰り返すので、豆ご飯はあきらめて冷凍したらしい。
 そして、今晩は新しい炊飯ジャーで炊いたご飯を食べることになったのである。最初に炊けたジャーのふたを開け、ご飯をよそうのは私の仕事である。開けたときのまあ、香りのいいこと。それに見た目もきらきら光っているのである。まずはよそったご飯を一口食べてみる。旨いではないか!この1週間の間にわが家は液晶テレビに加えて、炊飯ジャーまで新しくなり、なんというか、もうブルジョア生活満喫である。


乱立する携帯ショップ

2008年03月01日 | 那覇、沖縄
 このところ、家の周りには携帯ショップが乱立している。どうしてこんなに必要なのかと思うのだが、それでも携帯ショップが次々に作られている。朝のウォーキングで気が付いたのだが、コンビニだった店がなくなり、やっぱり携帯ショップに代わってオープンした。確かに国民が一台の携帯を持つ時代になったのだから、携帯ショップは必要なのかもしれない。でも携帯を一回買えば、数年は使えるはずである。そう考えれば携帯ショップがそれほど多くある必要はないはずだ。
 ちなみに私の携帯は7年も使っている骨董もので、カメラの機能もまだ存在していなかったときのものだが、それでも十分に充電できるし、日常的に使用するには全く困らない。まあ、私くらいの年代にとっては「お洒落な携帯」なんて必要ないし、へそ曲がりな私は、骨董品の携帯を持つことに誇りすら感じる。「これ使えるんですか?」と尋ねる不届き者の学生がたまにいるが、「当たり前です」と言って、学生達が小学生時代の携帯をじっくりと見せるのである。
 たぶん私のようなひねくれ者は例外なんだろう。新しい携帯が出れば、次々と買い換えたり、メーカーを変更したりするのが当たり前だからこそ、こんなに携帯ショップが乱立するに違いない。ただ思うに、携帯ショップというのは、どうしても無味乾燥な雰囲気が漂っている気がする。店の回りに「ノボリ」をぼこぼこ立てて、同じような装飾の店内の中に携帯がポツリポツリと並び、奥に店員が座るカウンターがあるだけだ。どこも同じっていうのもつまらない。携帯ショップを新たに作るなら、ジャングル風にするとか、カフェ風にするとか、あるいはバー風にするとか、とにかく違うタイプの携帯ショップを作って欲しいのだ。どうせ、当分入ることの無い携帯ショップなのだから、外から見て楽しい店構えにしてもらいたいものである。