筆者は、学生時代の恩師である。
昨今話題となっている「スピリチュアルペイン/ケア」を考えるとき、ゼミで取り組んだ「人間の立体的な理解」が頭をよぎる。そのため、あらためて読み返した。
本書はスーパービジョンがメインとなっているが、ソーシャルワーカーとしての姿勢、視点についても紹介されている。
引用
・人は、社会のなかで生活をしているが、その生活は多くのしがらみや限界のなかで展開されている。しがらみには重みがあり、大きく幾重にも人々に影響を与える。そのしがらみは、心理的、精神的、物理的、身体的、社会的、霊的の六側面から生活に枠をはめる。
・人の理解というものは平面的、断面的ではその存在を認めていることにはならない。問題点ばかりを列挙することでなく、その問題点の背後に埋もれているこの人たちの努力を何とか認めていくことが必要であろう。
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スピリチュアルペインの根底は、「自身の存在が脅かされていることにある」と、多くの学者、実践者が説いている。
ひとは、多くの側面をもって存在しているものであり、何が欠けても「自分らしくない自分」「本来の自分ではない自分」と理解するであろう。
そう考えたとき、ひとを「いま」だけではなく、「過去から未来へ生き続ける/存在し続ける」という視点で支援をするソーシャルワーカーは、スピリチュアルケアを実践しているといえるのではないだろうか。
今夏、米国のホスピスを見学をする機会に恵まれた。そこのチャプレンの話を聞けば聞くほど、「ソーシャルワーカーとの役割分担は???」と疑問がよぎるばかりであった。
そのチャプレンの答えは「明確ではない。双方は複雑に絡み合っているが、とてもうまく分担/協働できている」ということであった。しかし「葬儀の手配や(入院患者の)礼拝への出席の手配など、宗教と密接に関わっていることについては、唯一チャプレンの業務として確立している」ということであった。
日本では、「スピリチュアルペイン=霊的な痛み=宗教的なもの/超越しているもの」と理解されていることが多いように感じるが、もしかしたらとても身近で、終末期に限らず、いま・誰にでも起こっているものではないかと考える。
昨今話題となっている「スピリチュアルペイン/ケア」を考えるとき、ゼミで取り組んだ「人間の立体的な理解」が頭をよぎる。そのため、あらためて読み返した。
本書はスーパービジョンがメインとなっているが、ソーシャルワーカーとしての姿勢、視点についても紹介されている。
引用
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・人は、社会のなかで生活をしているが、その生活は多くのしがらみや限界のなかで展開されている。しがらみには重みがあり、大きく幾重にも人々に影響を与える。そのしがらみは、心理的、精神的、物理的、身体的、社会的、霊的の六側面から生活に枠をはめる。
・人の理解というものは平面的、断面的ではその存在を認めていることにはならない。問題点ばかりを列挙することでなく、その問題点の背後に埋もれているこの人たちの努力を何とか認めていくことが必要であろう。
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スピリチュアルペインの根底は、「自身の存在が脅かされていることにある」と、多くの学者、実践者が説いている。
ひとは、多くの側面をもって存在しているものであり、何が欠けても「自分らしくない自分」「本来の自分ではない自分」と理解するであろう。
そう考えたとき、ひとを「いま」だけではなく、「過去から未来へ生き続ける/存在し続ける」という視点で支援をするソーシャルワーカーは、スピリチュアルケアを実践しているといえるのではないだろうか。
今夏、米国のホスピスを見学をする機会に恵まれた。そこのチャプレンの話を聞けば聞くほど、「ソーシャルワーカーとの役割分担は???」と疑問がよぎるばかりであった。
そのチャプレンの答えは「明確ではない。双方は複雑に絡み合っているが、とてもうまく分担/協働できている」ということであった。しかし「葬儀の手配や(入院患者の)礼拝への出席の手配など、宗教と密接に関わっていることについては、唯一チャプレンの業務として確立している」ということであった。
日本では、「スピリチュアルペイン=霊的な痛み=宗教的なもの/超越しているもの」と理解されていることが多いように感じるが、もしかしたらとても身近で、終末期に限らず、いま・誰にでも起こっているものではないかと考える。
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