どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

死神と神さまがでてくる昔話

2020年05月11日 | 昔話(外国)

死神の名付け親(グリム)

 貧乏な男に13番目の子が生まれ、一番初めに出会った人を、子どもの名づけ親に頼もうとでかけます。

 はじめに出会ったのは神さま。

 神さまと聞いた男は、「あなたは、金持ちに物をやって、貧乏人はひもじいめにあわせる」と断ります。

 次に会ったのは悪魔。「あんたは人間を騙したり、そそのかしたりする。」と、男は名付け親になってもらうのを断ります。

 男は死神にであうと「あなたは金持ちも貧乏人も、わけひだてなく、つれていってしまう」と名づけ親になってもらうことに。

 この男の子が大きくなると、死神は森の中に連れていくと、そこにはえていた薬草をさしていいます。

 「おまえに名付け親からの贈り物をやるとしよう。わしお前を有名な医者にしてやる。お前が病人のところへ呼ばれていったときは、いつでも、わしが姿を現してやるよ。もしわしが病人の頭の方に立っていたら、おまえは、この病人をきっと治すと言って、この薬草を飲ませれば、病人はなおってしまう。だが、わしが病人の足の方に立っていたら、病人はわしのものだ。」

 やがてこの若者は世界中で一番有名な医者になりました。そして、あっちからもこっちからも人々がやってきて、どっさりお金をくれたので、金持ちになりました。

 ところがそのうち王さまが病気になり、この医者が呼び出されました。王さまのベッドにいってみると、死神は病人の足の方に立っていました。これでは、どんな薬草をつかってもききめがありません。「ちょっと死神をごまかせたらいいんだがなあ。死神は気を悪くするだろうさ。だが、とにかく名付け子のやることだから、目をつぶっていてくれるだろう。」と、医者は王さまの体をつかむと、ぐるりとおきかえ、死神が王さまの頭のほうにくるようにしました。そうしておいて薬草を飲ませると、王さまは元気をとりもどします。

 死神は「お前はわしをだましたな。お前は名付け子だから、こんどは見逃しておいてやる。だが、もう一度こんなことをやったら、命はないぞ。」と脅します。

 それからまもなく、王さまのお姫さまが重い病気になりました。

 一人っ子のお姫さまの命を助けようと、王さまは、お姫さまを死からたすけたものを、お姫さまの婿にして、跡継ぎにすると、おふれをだしました。

 お医者がお姫さまのベッドにいってみると、死神が足の方に立っているのがみえます。

 そのとき医者は死神のこわさを思いだせばよかったのですが、お姫さまがとても美しいのと、うまくいけばお姫さまと結婚できる幸せに夢中になって、ほかの考えは、きれいさっぱり、すっとんでしまいました。

 ここでも、医者はお姫さまの頭と足をさかさまにして、薬草を飲ませ治してしまいます。

 自分のものをだましとられた死神は、氷のように冷たい手をのばし、手むかいできないような力で、ぎゅっと医者をつかまえると地面の下のほら穴につれていきます。

 そこには、何千何万というろうそくが、何列にもなって並んでいて燃えていました。そのろうそくは大きいのもあるし、中くらいのも、小さいのもあります。それが、まばたきするくらいのまに、いくつもの火がふっと消えて、ほかのいくつかが燃えあがります。

 死神は「いいか、これが人間の命の火だ。大きいのは子ども、中くらいのは元気ざかりの夫婦のもの、そして小さいの年よりのだ。だがな、子どもや若いものでも、小さいろうそくしかもっていないのが、ときどきあるのさ」といいました。

 医者が自分のはまだまだ大きいと思って「わたしの命の火はどれですか?」と、死神にきくと、死神は、いまにも消えてしまいそうな小さい燃え残りをさして「ほれ、これがそうだ。」といいます。

 医者は、新しいろうそくをつけてくれるように懇願しますが、死神は望みをかなえてやるふりをすると、小さなろうそくはころっとたおれ、ふっと消えます。そのとたんに医者は地面に倒れ死神の手に落ちてしまいます。

 

 神さま、悪魔、死神の比較がとてもわかりやすい話です。昔話では人間のほうが一枚上手の方が多いのですが、仏の顔も三度ならぬ「死神の顔も二度ならぬ」といったところでしょうか。

 ところで「死神の名付け親」というタイトルの ”の”という助詞にひっかかっていましたが、「死神とその名づけ子」としているのもありました。(世界の民話6 ドイツ編 赤ひげとぶどう酒商人ほか/小川一枝 佐藤忠良・絵/家の光協会/1978年)

 「名付け親になった死神」というタイトルは、完訳グリム童話(小澤俊夫・訳/ぎょうせい/1985年)。

 「名づけ親の死神」はグリムの昔話1 福音館文庫の大塚勇三訳です。

 タイトルにも、いろいろあって、この場合は小澤訳がピッタリしていると思うのですが、「死神の名付け親」のほうが一般的になっているので、これをかえるのは大変そうです。

名づけ親になった死神  (「ジプシー」の伝説とメルヘン/浜本隆志:編訳/明石書店/2001年) 

 グリムとの関連はよくわかりませんが、ロマの昔話。

 子だくさんの貧しい男は、悪い病気で子どもを亡くしてしまいました。ふたたびうまれた子どもの名付け親になってやろうという人をみつけるこができませんでした。

 子どもたちの墓のそばで沈み込んでいると、死神がやってきて、名付け親になってやろうともちかけます。そして名付け親の贈り物として、医者になって金持ちになって名を揚げるだろうといいのこします。

 ここでも死神が病人の足元に立っていると、その人は生き延び、頭のところにたっていたら、その人は死ぬというのです。

 ところが医者が病気になると、死神が頭のところにたっています。そこで医者は、いつ人間が死ぬのかを、どうやって判断するか知りたいと死神にいいます。

 死神は医者を地下の住まいに案内します。そこには無数のランプがあり、油が燃え尽きたら死神が迎えに行くというのです。

 医者が「父親のランプが見たい」というと、死神は蔵に入っているからと部屋をでていきます。死神がでていくと、医者は自分のランプに、油をいっぱい注ぎたします。

 死神はカンカンになって怒り、医者を追い出してしまいます。

 医者が長生きするのと、死神の手に落ちる結末とでは、長生きするほうをとりたいのですが・・。

 

神さまと死神さま(魔法のオレンジの木/ダイアン・ウォルクスタイン採話 清水 真砂子訳/岩波書店/1984年初版)
       
 神さまと死神が、ある男に水をくれと頼んでみて、どっちに水をたくさんくれるかみてみようと、はじめに神さまが頼むことに。

 男がいうには「水を汲むのに往復18キロもある。ところがあなたときたら、ある人たちに水を全部やってしまって、わしなんぞはほうりっぱなし」とことわります。

 死神がたのむと、男はすぐにヒョウタンに冷たい水をいっぱいもってきます。
 男の言い分は「死神はえこへいきしない。金持ちでも貧乏人でも、若くても年とっていても死神さまには、みんな同じ」というもの。

 水にめぐまれないハイチの昔話ですが、ここでは持てるものと持たないものを作りだした神さまへの痛烈な皮肉があって、神さまもあまり評判がよくありません。

 グリムでは死神が男を連れ去るが、ハイチのお話では、水をくれた男の家を避けていくという終わり方です。


ウリボとっつぁん(世界むかし話3 南欧 ネコのしっぽ/木村 規子・訳/ほるぷ出版/1979年初版)
       
 タイトルからは想像できませんが、文句なしに楽しいイタリアの話。

 貧しいが、自分より困っている人がいると、自分のものを気前よくわけてやったウリボとっつぁんのところに、神さま(キリスト)と12人の巡礼が、食べものをもとめてきます。
 半分のパンしかなとく、暖炉の火は消えかけ、ぶどう酒も半分しかないなかでも、ウリボとっつぁんはもてなそうとします。
 こんなやさしいウリボとっつぁんに、神さまは奇跡をおこします。パンはたっぷり、暖炉には薪が、ぶどう酒瓶は1ダースも。
 ローマにむかおうとする神さまの弟子が、ウリボとっつぁんに、何か願い事をしたらどうかというので、囲炉裏の傍にある椅子に誰かが座ったら、いいというまで、立ち上がれないようにしてほしいと願い事をします。
 なんて馬鹿げた願い事をするんだと弟子がいうので、次は、「誰かが木にのぼったら、わっしがいいというまでおりられないようにしてくださいまし」。
 さらに三つまでおねがいできるというので、「ポーカーをやったら、かならず勝つようにしてくださいまし」と願い事をします。
 ここまでは、後半への舞台設定。

 後半は、願い事をしてから何年もたった2月のある日、死神がむかえにやってきます。ウリボとっつぁんはこの死神を椅子に座らせ動けないようにして300年の命をえます。
 300年後に死神がやってくると、今度は木に登らせ、動けないようにしてさらに300年の命をえます。

 次に死神がやってきたとき、ウリボとっつぁんは661年も生きたしと、死神とでかけることにします。
 途中、地獄の門を通りかかったとき、二度ポーカーもできなくなると悪魔とポーカーをすることに。
 1回勝ったら地獄にいる12人の魂をいただくという条件で、ウリボとっつぁんは勝ち続け、地獄はからっぽになってしまいます。
 そして地獄から助かった数百の魂と天国に旅立ちますが、ここでも一波乱。

 訳もなじみやすく楽しい話です。勉強会で話してみました。22分でおさまりました。
 女性の方は語りにくいと思っていたら、やはり話をされていた方がいらっしゃったようです。
   

死神のふくしゅう(大人と子どものための世界のむかし話12 フィンランド、ノルウエーのむかし話/坂井玲子・山内清子・編訳/偕成社/1990年初版)

 ノルウエーの昔話でグリムの「死神の名付け親」と話型は同じです。       

 ビールづくりの親方のところで、長年奉公した若者が、小型のビール樽をもらって、国に帰る途中、樽がだんだん重くなります。

 ビールを一緒に飲んでくれる人を探している若者に、神さまが声をかけます。
 若者は、この世の人たちに差別をつけ、公平なあつかいをしないからと、これを断ります。
 次に出会ったのは、悪魔。人を苦しめ悩ませるからとこれも断ります。

 次に会ったのは死神。死神とは一緒にビールを飲みます。

 すると死神は、どんなにビールをのんでも、ビール樽がからにならないようにして、樽のビールが<いのちの水>となって、これを飲めば医者がみはなした病を治すことができるようにします。
 ただ、いのちの水の効力は死神が病人の足元にすわったときだけ。枕元にすわったら、いのちの水でも病人を助けることはできません。

 そののち、若者は有名な医者になり、あるお姫さまの病気を治すことになりますが、死神は枕元にすわっています。
 死神がうつらうつらといねむりをはじめたとき、若者はベッドをくるりとまわして、お姫さまの病気を治すことに成功しますが・・・。
 最後に、若者が主のいのりをとなえるところがでてきますが、印象に残る終わり方です。

 神さまを拒否した若者が、最後は神さまに祈るという皮肉な結末です。

 

 ノルウエーの民話(米原まり子・訳/青土社/1999年)では、「ビール樽を持った少年」というタイトルです。