画本 オツベルと象/宮沢賢治 画・小林敏也/バロル舎/1987年
ある日、学校ぐらいもあって頑丈な小屋に、新式稲扱器械が六台もあって、十六人の百姓がイネコキしているところへ白い象がやってきました。
何をしでかすか知れない白い象にかかわりあっては大変と、なんでもないように塵をとばしながらイネコキをつづける百姓たち。
工場を経営するオツベルは、決死の覚悟で象に声をかけます。
「どうだい、ここは面白いかい」
「面白いねえ」とこたえる象に、オツベルが「ずっとこっちにいたらどうだい」と声をかけ、息を殺してまっていると、象はいてもいいよと答えます。
オツベルは、言葉巧みに時計や鎖、靴、四百キロもある分銅を象に嵌めこんでしまいます。
象がオツベルからいわれ川の水を汲んできた夕方は、十把の藁
森から大量の薪をはこんできた晩は、八把の藁
脚をぺたんとおって、半日炭をふいた晩は七把の藁。
五把、三把と減り続ける食料。ある晩、象はふらふら倒れて しくしく泣きだします。
月から「仲間へ手紙を書いたらいいや。」といわれ、筆も紙もないと、しくしく泣く象の前に赤い着物の童子が、硯と紙をもってあらわれます。
童子のもってきた手紙をみた象たちは、白い象をとりもどそうとオツベルの家に押し寄せます。百姓たちは、主人の巻き添えはくいたくないから、すぐに降参のしるしを腕に巻き付けます。
象たちは、オツベルの六連発のピストルをものともせず、丸太なんぞはマッチのように、へしおり、家の中にどしどしなだれこみ、すっかりやせた白い象を救い出します。
弱い者と強い者の関係かと思うと、そうでもなさそうです。
オツベルは、気のいい象に、恐る恐る声をかけ、自分の財産にしてしまうのですが、損得だけを考えると、象を追い込まず、長く働いてもらうことが利益になったはず。
一方、象も衰弱してしまう前に、何か方法がなかったのでしょうか。
助けられた象が、喜ぶのではなく「さびしく」笑ったのは、なぜだったのか気になりました。
牛飼いが物語るように進みますが、「おや(一文字不明)川へはいっちゃいけないったら」という最後は、牛飼いが牛にいったのでしょう。画には川にいる牛、そしてうしろにはワニが描かれています。
象が月を見ながら「ああ、せいせいした。サンタマリア」「ああ、つかれたな、うれしいな。サンタマリア」「苦しいです。サンタマリア」とつぶやき、仏教が発祥したインドでは、白い象がお釈迦様をはこんできたと信じられているといいますから、ここには、二つの世界が混在しています。
新式稲扱器械が動く様子が「のんのんのんのんのんのん」、仲間の象が「グララアガア、グララアガア」と叫ぶようすも独特の表現です。
沙羅樹の下の象が、いちどに噴火したように たちあがる画も圧巻です。