どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ふゆのまほうつかい

2020年11月15日 | 絵本(外国)

     ふゆのまほうつかい/ジュリー・モンクス・作 代田亜香子・訳/小峰書店/2005年

 

雪は ふゆの まほうつかい

あたり一面の銀世界は なにもかも おおいつくします

雪を つかまえてみよう あ! てにのせたとたん すっと きえちゃった

雪の つもった 丘は シロクマの ふかふかの せなかみたい

小さな女の子と 男の子が 雪の上で あそんでいます。日本の作家がえがいているようにも 見えますが イギリスの方の絵本です。

静寂のなかに 子どもの声が 聞こえてきます。

ことり、いぬ、うさぎ、しかも のびのびしています。 


ブドーリネク・・チェコ

2020年11月14日 | 昔話(ヨーロッパ)

          世界むかし話 東欧/松岡享子・訳/ほるぷ出版/1989年

 

 いつもおばあちゃんから、だれがきても戸をあけないようにいわれていた小さな男の子ブドーリネク。というのもブドーリネクは森のそばの小さな家にすんでいて、おばあちゃんは毎日働きにでかけていたのです。

 ある日、おばあさんはお昼ご飯にスープをつくってでかけました。そこへキツネのリュシュカがやってきて、戸を開けてくれたら、しっぽにのせてあげるといわれ、おもしろそうと、ブドーリネクは、おばあちゃんのいいつけをわすれて戸をあけました。するとリュシュカはテーブルの上のスープを、がつがつとぜんぶたいらげてしまいました。おかげでブドーリネクは、お昼になってもなんにもたべるものはありませんでした。

 次の日、おばあちゃんは、おかゆをつくってでかけました。すると、またリュシュカかがやってきて、おかゆを一口でたいらげ、ブドーリネクをしっぽにのせてくれもしないで、走って帰ってしまいました。

 おばあちゃんはブドーリネクの話をきいて、こんどいいつけをやぶったら、おまえのおしりをぶつからねと念を押し、次の日はお豆を煮てでかけました。そこへリュシュカがやってきて、なんどもなんども頼むので、とうとう戸をあけました。するとまたもやおはちに鼻を突っ込んでお豆を全部食べてしまいました。でもこんどはリュシュカは、ブドーリネクを、しっぽにのせてくれました。ところがつれていかれたのは森のなかの穴。ブドーリネクは、三びきの子ギツネと穴の中でいっしょにいなければなりませんでした。子ギツネたちは、ブドーリネクをからかったり、かんだりしました。ブドーリネクは、おばあちゃんのいいつけにそむいたことを後悔し、泣きました。

 ある日、オルガンひきが森の穴をみつけました。オルガンひきは、おばあちゃんの話を聞いて、ブドーリネクをさがしにきたのです。

 オルガンひきは、オルガンにあわせて小さい声でうたを、うたいました。

 ふるギツネが一ぴき、二、三、四ひき、ブドーリネクをたすと、ぜんぶで五ひき。

 リュシュカは、一番上の子ギツネに十円をわたし、オルガンひきにやるようにいいます。

 一番上の子ギツネがオルガンひきに、十円をさしだし、どこかよそにいくようにいうと、オルガン引きは、子ギツネつねをつかまえて、袋のなかにほうりこみました。そして、またうたいだします。

 ふるギツネが一ぴき、二、三ひき、ブドーリネクをたすと、ぜんぶで四ひき。

リュシュカが二番目の子ギツネに十円持たせて外にやると、二番目の子ギツネも、オルガンひきの袋のなかに。

 ふるギツネが一ぴき、それから、もう一ひき、ブドーリネクをたすと、ぜんぶで三ひき。

 うたをつづけて、穴にのこったのはブドーリネクだけ。

 オルガンひきは、木の枝で、袋の上から、おもいっきり四ひきのキツネどもをぶちのめし、ブドーリネクをつれて、おばあちゃんのもとに帰りました。

 

 オルガンひきがうたうと、数がだんだん減っていきます。

 三度も同じ目にあったり、キツネに食べられてしまうのではないかハラハラし、最後はユーモアにおわるという安心?してきける昔話です。


ごめんなさい! だいじょうぶ!

2020年11月13日 | 絵本(外国)

       ごめんなさい! だいじょうぶ!/ルイス・ストポドキン・作 こみや ゆう/出版ワークス/2020年

 

 ウィリー・ホワイトは4歳の男の子。

 ドアを とおるとき ひとを おしのけてしまっても、人の足を うっかり ふんづけてしまっても、コップを たおして 牛乳を こぼしてしまっても「ごめんなさい」と言いません。

 でも、ウィリーのまわりの人たちは、みんな やさしくて しんせつで、れいぎただしいひとばかり。

 ある日ウィリーが木に登っていると、おまわりさんがやってきて、「おっとっと。ウィリーくん、そこは あぶないよ。おりなさい」といいました。

 ウイリーくんが 木から おりて だまっているとおまわりさんは いいました。「きみは『ごめんなさい』が 言えるかな? 『ごめんなさい』って言うと、相手は『だいじょうぶだよ』って言ってくれて、お互いがいい気持ちになれるんだよ」

 そこでウィリーくんは、あいてに「だいじょうぶだよ」と、いってもらいたくて「ごめんなさい」を言ってみることに しました。

 最初のあいては、ちょうちょ、コガネムシを ふみつけようとして、ねこにも いぬにも とりにも うまにも かえるにも。でも、どうぶつたちは だまったままで「だいじょうぶ」と言ってくれません。

 こんどは いえの まえを ゆきかう ひとたちにも 言ってみました。するとみんなは「だいじょうぶだよ! ウィリーくん」と返事をしてくれたのです。

 それからウィリーくんは、ひとに しんせつにしたり ひとを おもいやったりすることが、とっても たのしく なりました。

 はじめから、悪い子というのはどこにもいません。まわりの人が、うまく声をかけてあげることでしょうか。ただ、いつでもいいということはなく、タイミングが大切でしょうか。

 原著は50年以上も前で、絵も空白がうまくいかされています。


ぼくのイスなのに!

2020年11月12日 | 絵本(外国)

       ぼくのイスなのに!/ロス・コリンズ:作・絵 いし ひろし・訳/PHP研究所/2017年

 

あれ!ぼくの イスに シロクマがすわってる。

じいーっと にらみつけても

梨でつってみても

びっくりさせても

まったく 無視

もういい! もういい! もうおしまい! なんだい! このシロクマったら

ひどい! ずるい!ず!る!い!

もういい!

しょうがないからと ねずみは?

シロクマくん ねずみと あそびたかったのかな?

シロクマくん ねずみが いなくなったので やっこらと イスから 立ち上がって おうちに帰ってみると ねずみが シロクマのベッドで、ねむっていました。

 

聞こえてても、シロクマのとぼけた表情が なんともいえません。こんどは シロクマがなにをいっても シロクマのベッドを 占領したのかも。


わんぱくだんの 「まほうのじゅうたん」「ひみつきち」

2020年11月10日 | 絵本(日本)

       わんぱくだんの まほうのじゅうたん/ゆきの ゆみこ 上野与志・作 末崎茂樹・絵/ひさかたチャイルド/2013年初版

 

 シリーズになっているという絵本ですが、はじめてです。タイトルからしてワクワクします。

 空を飛んでみたいというのは、誰もが子どもの頃、一度は空想したことがあるかもしれません。

 けん・ひろし・くみのわんぱくだんが、物置小屋で、ごそごそ何やらさがしていると古ぼけたジュータンが。

 三人が「チチンプイプイ、チチンプイ・・」「ヒラケ ゴマゴマ ゴマ・・・」「ラーメン、タンメン。ワンタンメン・・」と呪文をとなえてみると、ふわりとジュータンがうかび、魔法のくにへ。

 魔法の国では、まほうのロープ、火をふく男、魔法のランプにであいますが、「ひとのにおいがするぞ」と魔法使いたちに見つかって、あわてて逃げ出します。

 ターバンをまいた人物や建物、物語にでてくる主人公などがでてきて、アラビアンナイトの世界をほうふつとさせます。

 一人ではなく、三人で共有する体験というのがいいんでしょうね。呪文のことばを試してみたくなるかもしれません。 

 

       わんぱくだんの ひみつきち/ゆきの ゆみこ 上野与志・作 末崎茂樹・絵/ひさかたチャイルド/2014年初版

 

 3人組の一人、くみが向かった先は近所の空き地。誰もいないことを確認すると、草でつくった小さな小屋に向かって合言葉を唱えると、なかにはけんとひろし。

 ただ小屋の中は、三人だと狭すぎです。ひろしが かいたドアを開けると そこは広い部屋。いつのまにか三人はねこになっていました。するとそこへほんものの ねこがあらわれました。

 三人は、ドラネコだんの 団長ゴンタに誘われて、ネコネコ会議に参加することになりました。

 夜になると、ネコネコ会議の会場につくと、そこは、秘密基地のある空き地。議題は「猫は、ドロボーをしていいか?」。

 ドラネコ団は、ゴンタをはじめ「ねこは、むかしから、ちょいと いただいてきた」と、ドロボーに賛成。飼い猫団の代表リリアンは、ドロボーはやめるべき といいます。

 飼い猫団には、くみの家のフウちゃんもいるようでした。

 賛否同数で、どちらに決定するかは三人組の票次第。くみちゃんのフウの声が聞こえてきて、三人組は、ドロボーに反対。

 怒ったドラネコたちは「こいつら 飼い猫団の 味方だ!」と、三人組におそいかかってきました。三人組が小屋に飛び込むと、もとの人間にもどっていました。

 「ゆめだったのかなあ?」と話し合っていると、フウちゃんが姿が見えました。

 

 秘密基地というと、なにかドキドキ。合言葉も秘密めいています。おまけに変身願望もかなえられるので、夢も広がりそうです。

 ドロボー談義、ドロボーしないと 生きていけないドラネコは どうしたでしょう。

 いまは空き地で遊ぶ子どもは見られません。遊ぶことが禁止され、小屋をつくるのもままならぬ 世知辛い世の中です。


まんぷくよこちょう

2020年11月09日 | 絵本(日本)

      まんぷくよこちょう/なかざわ くみこ/文渓堂/2020年

 

 今日、たあちゃんは、おじいちゃんと「まんぷくよこちょう」にお買い物。
 毎月29日は「ふくのうち おおうりだし」

 まずは、おじいちゃんのいつものきまりの いもがらを買います。

 焼き鳥のいい匂い、おでんに、くだもの、たぬきやきもおいしそう。

 肉屋さん、魚屋さん、花屋さん、漬物店、カレー屋さん、ラーメン店、居酒屋、喫茶店。

 漢方店、駄菓子屋もあり、商売繁盛のたぬきも鎮座している「まんぷくよこちょう」。

 たあちゃんが 福引で当てたのはまねきたぬき でした。

 

 シャッター通り商店街が増える中、まだまだ頑張っている商店街もあります。

 人が行きかい、店の人と会話もはずむ商店街は、一見昭和風。ただ作者は、平成12年ごろの武蔵野市の「ハーモニカ横丁」、葛飾区の「仲見世商店街」を取材されたとありました。

 普段利用するのはスーパー、大型店。ネットでの購入が増え、活気のある商店街がだんだん少なくなっているようです。にぎやかな商店街が描かれているので、だいぶ前の絵本かとおもいきや、今年の出版でした。

 表紙の見返しには、商店街マップ、裏表紙の見返しには、たあちゃんとおじいちゃんが買ったもののリストが。「とりやすのやきとり」「うまみやのするめいか」「つけたろうのたくあん」「おたからどうのおきもの」などと、お店と品物がセットというのも懐かしい。


きょうは みんなで クマがりだ

2020年11月08日 | 絵本(外国)

       きょうは みんなで クマがりだ/マケル・ローゼン・再話 ヘレン・オクセンバリー・絵 山口文生・訳/評論社/1990年

 

 ”きょうは みんなで クマがりだ。つかまえるのは でかいやつ。そらは すっかり はれているし こわくなんか あるもんか!

 “うえを こえては いかれない。したを くぐっても いかれない。こまったぞ! とおりぬけるしか ないようだ!”

 ふたつのフレーズが繰り返されていきます。

 クマ狩りに出かけるのは、子ども三人と赤ちゃんをおんぶしたおとうさん。

 通り抜けるのは、草原、川、ぬかるみ、森、大吹雪、ほらあな。

 

 絵もモノクロとカラーが交互に繰り返します。

 カサカサカサ!  カサカサカサ!  カサカサカサ!

 チャプチャプチャプ! チャプチャプチャプ! チャプチャプチャプ!

 ペタ ペタ ペタ! ペタ ペタ ペタ! ペタ ペタ ペタ!

 擬音語は、小から大へ、クマにあって逃げ出すときは濁音に変わります。

 ほら穴で、ほんとにクマにあうと、みんな逃げ出します。

 

 子どもの遊び歌がもとになっていますが、読むより歌うに限るようです。

 裏表紙の見返しの海岸を歩くクマ、哀愁が漂っています。


美女と野獣

2020年11月07日 | 絵本(昔話・外国)

       美女と野獣/ローズマリー・ハリス・再話 エロール・ル・カイン・絵 矢川澄子・訳/ほるぷ社/1984年

 

 「美女と野獣」は、フランスで1740年に書かれたようで、作者ははっきりしています。昔話は作者不明の場合がほとんでなので昔話というのはどうかというところですが、300年ほど前のものですから昔話に位置づけてもおかしくなさそうです。

 ストーリーは、金持ちの商人の三人娘の末娘が、恐ろしいケダモノと暮らすようになり、いったんは見捨てられたとおもったケダモノが餓死をはかり、急いで駆け戻った末娘が、「だめ、生きるのよ。そして結婚しましょう」というと、ケダモノが世にまたとなく美しい王子にかわり、二人が結婚するというもの。

 でだしは金持ちの商人の船が海賊に襲われ、財産をのこらず失うところからはじまります。一年後、船が二隻無事だったことが分かり、商人が旅に出かけますが、このとき三人の娘に、お土産になにがいいか聞きます。

 姉たちは「扇に、フランスの香水に、ダイヤモンドに、ルビーのペンダント」、末娘は「一輪のバラ」をあげます。

 商人が町で用事をすませて帰る途中、嵐にであって、たどりついたのは御殿。そこの大広間には素敵なごちそうや酒の支度もしてありましたが、なぜか人っ子ひとりいません。商人が疲れのあまり、その場に寝込み、翌日、目を覚ましてもだれもいず、うまそうな朝飯が用意されていました。

 御殿の庭にはバラが一面にさいていて、末娘のために一輪つもうとすると、二目と見られぬ恐ろしい怪物があらわれ、「もてなしてやったのにバラを摘むとは何事だ。いいぶんがあれば、ころされるまえに、お情けをこうがよかろう」といいだします。

 商人が「あわれな父親が娘にバラたった一輪いただくのが、それほどの罪でしょうか」というと、ケダモノは、娘とひきかえに命をたすけるといいます。

 商人はふるえながら家にもどりますが、上の二人の娘はかんかんにおこって姿をけしてしまいす。

 末娘は、父親の命のためならとケダモノのところへ。食べられてしまうのではと父親は心配しますが、末娘の部屋は花が飾られ、音楽が流れていて居心地がよさそうでした。

 ケダモノは昼間はずっと姿をみせませんでした。夕方、末娘がバラをながめているとケダモノがあらわれ「おれはきみのものだ。でも、きみ、おれがそんなにこわいかね?」というと「あなたって、ほんとに親切な方ね」と、末娘はこたえます。

 ケダモノは「おれは、ばかなんだよ。おろかでひねくれたケダモノだ・・」といいますが「あなたはやさしいかたなので、うれしいわ。みかけがいくらきれいだって、あなたよりおそろしいひとが、いっぱいいてよ」という末娘に、結婚を申し込みます。これをことわった末娘をケダモノは、かげからこっそりみまもっていました。でも夕方になるとあらわれて、いっしょにすごします。

 ケダモノはしきりに結婚の話をしますが、末娘は、友だちのままでがまんしてくださいというだけ、

 やがて、末娘のことが心配で病気になった父のところへ一週間だけという約束ででかけます。

 末娘のあたらしいきものや宝石をみた姉二人は、期限に間に合わないよう言葉たくみに末娘をひきとめます。何日かして、御殿のバラがみんなしおれ、ケダモノがのたうちまわっている夢を見た末娘が、御殿にかえってみると、ケダモノは飢死しようとしているところでした・・・。

 

 姉ふたりの名前が、ツントとケチイ、末娘はキレイ。名は体を表しているようです。もうひとりは野獣ではなくケダモノ。絵ではケダモノの顔は二か所だけ。野獣という表現がしっくりしませんが、だとしてもケダモノというのはどうでしょうか。

 描かれた女性の中世風の衣装は華麗です。


ひろいひろいせかいに

2020年11月06日 | 絵本(外国)

      ひろいひろいせかいに/ルイス・スロボドキン・作 木坂涼・訳/偕成社/2020年

 

 世界で膨大に出版されている絵本で、日本で翻訳される外国の絵本は、だれが選択しているのか興味があるところ。何十年も前に出版され版を重ねているものは別として、70年以上の前のものが、いま出版されるのは? この絵本の原著は1955年といいます。

 

 ひろいひろい せかいの中で

 ”あなたは ひとり あなたしか いない”

 ”わたしも ひとり わたししか いない”

と、読み手に、あなたが かけがえのない存在であることを いっているのは、たしかにいつの時代にあっても普遍的です。

 なかなか最後のページまでいきません。なにがまっているか 興味をいだかせておいて、すっきり しめています。


小さなサンと天の竜

2020年11月05日 | 絵本(外国)

     小さなサンと天の竜/チェン・ジャンホン:作・絵/平岡敦・訳/徳間書店/2016年


 むかし、三つの山に囲まれた谷間に小さな村がありました。大雨がふって、がけ崩れ、村の畑は、岩や泥に埋まってしまいました。

 長老たちが話しあい、畑をあきらめて、すみなれた家をあとにします。残ったのは一軒だけでした。その家に、赤ん坊が生まれました。サンと名づけられたその子はすくすく育ちます。

 毎朝、おかあさんは サンをせおって山の向こうの畑にかよっていました。やがて、サンが六歳になったとき、おかあさんはひどくつかれるようになり、とうとう畑仕事にでられなくなりました。おとうさんまで、力なくすわりこんでいました。

 山がなければ、畑仕事は楽になります。「僕が、山を動かす」サンが言うと、おとうさんは「山を動かすなんて、むりだろう」といいます。

 しかし次の朝、サンはつるはしを手にし、樽を背負って家を出ました。つるはしで岩を砕き、かけらを樽に放りこむと、北のはずれに運びました。

 サンは「山を動かすんだ」と、心の中でくりかえしながら、毎朝、岩を削っては、かけらを村はずれに運んでいきます。

 そんなサンを見て、おばあさんは「かわいそうに、やっぱり、この子はどうかしているよ」と、なげきますが、お母さんだけは「いえ、サンはとくべつな子です。いつか、大きなことをなしとげます」と信じます。

 そんな毎日が続き、冬のある日、ほら穴に住む仙人に出会います。仙人は、力の出るキノコをくれ、あしたも、ここにくるようにいいます。

 サンは、毎日、おじいさんのところにいきました。仙人は毎日、サンのあとをそっとついていきます。

 そして、春が過ぎ、夏も終わり、秋がふかまった秋最後の満月の日に、ふたりは三つの高い山をのぞむ岩の上で三つのキノコと、三つの石をおき、三つの盃にお酒を注ぎ、祈りをささげます。

 すると、三筋の稲妻が闇をひきさき、三頭の白い竜があらわれ、三つの山の上をまわりはじめました。竜は火を吐きながら、猛々しく吠え、大地から山を引き抜いて北の方に運んでいきました。すさまじい音がしばらく続き、竜の姿が見えなくなると、あたりは、しんと しずまりました。

 朝日が昇るころ、サンは家に帰っていきました。

 

 聳え立つ三つの黒い大きな山、意志の強そうなサンの表情、三頭の白い竜の存在感がきわだっています。

 祈りをささげる岩の上に、三つの石像?がたっているのは、なぜなのか、仙人(ここではおじいさん)の、その後も気になりました。


まほうつかいとねこ

2020年11月04日 | せなけいこ

       まほうつかいとねこ/せな けいこ/すずき出版/1995年初出

 

 満月の晩の魔法使いの集まりは、ほうきに くろねこをのせて とんでいくのが ルール。
 くろねこのいない魔法使いは、ねこ募集の張り紙を出しました。

 ある雪の日、やってきたのは、寒さに震え、おなかをすかした しろねこ。

 外は雪だしと、泊めてあげた魔法使い。次の日も雪で、天気が良くなるまで泊めることに。その間、しろねこは、暖かなストーブンのそばで毛糸巻きの手伝いをしました。

 雪がやんで、しろねこがでていこうとすると、魔法使いは黒い毛糸ですっぽり 着られるセーターを編んでやり、魔法の集まりに行くことにしました。

 ところが、しろねこがほうきにのる練習をすると、これがさんざん。しかたがないので、魔法使いは、しろねこをおんぶして、とんでいきました。

 魔法使いが踊っている間、ねこたちも踊りました。暑くなって、しろねこが セーターを脱ぐと、「あっ しろねこだ」と、ねこも 魔法使いも びっくり。

 「しろねこでも いいよ。だって、わたしの だいじな ねこだもの」連れて行った魔法使いが言うと、「そうね、なにいろだって ねこは ねこ。それにセーターをきせると、とても すてきだわ」と、ほかの魔法使いも同感。

 次の満月の晩は、カラフルなセーターを着たねこが いっぱいでした。

 みんなやさしい魔法使いたちです。

 ”みんな同じでなくていいよ”と、メッセージも明確です。


ねこのピート はじめてのがっこう

2020年11月03日 | 絵本(外国)

   ねこのピート はじめてのがっこう/作・エリック・リトウイン 絵・ジェームス・デイーン 訳・大友剛 文字画・長谷川善史/ひさかたチャイルド/2016年


 ねこのピートが、靴をはき、リュックをせおい、ギターをもって黄色いバスに乗ってやってきたのは、はじめての学校。

 とにかく ピートの かんがえは あたらしいものに であうって とっても すてきなこと。

 ”ふあんで ドキドキしてる?” ってきかれると ”してない!”

 としょしつ かなりさいこう としょしつ かなりさいこう としょしつ かなりさいこう 

 きゅうしょく かなりさいこう きゅうしょく かなりさいこう きゅうしょく かなりさいこう 

 やすみじかん かなりさいこう やすみじかん やすみじかん としょしつ かなりさいこう 

 おんがく かなりさいこう おえかき かなりさいこう さんすう かなりさいこう かきかた かなり さいこう 

 はじめてのことにも、ピートはノリノリで歌います。

 

 入学前は、親も子ども不安でいっぱい。でもそんな不安をピートが一掃してくれそうです。先生が優しくて、友だちもいっぱいできる楽しい小学校であってほしいものです。

 YOU Tubeで、大友さんが歌っていましたが、すぐに覚えられました。

 はじめての がっこう かなり さいこう! はじめての がっこう かなり さいこう!


みどりのほし

2020年11月02日 | 長谷川善史

       みどりのほし/林 木林・作 長谷川善史・絵/童心社/2020年

 

 山口県周南市生まれの詩人まどみ・ちおさんが百歳を迎えたことを記念して2009年に創設された「こどもの詩 周南賞」で、作詞部門優秀賞を受賞した(2011年)詩に、長谷川さんが絵を描かれています。

 「きょうはなんだかつまんない ひとりで いたい きぶんなんだ」

 そんな、ぼくが、テーブルの夏ミカンをみていて、「てっぺんにみどりのほし、みぃつけた」

 畑の野菜にも あるかなあ。

 あっつ トマト ピーマン ししとう みんな ほしの かんむり かぶっている。

 花にも、みずたまりの中にも、葉っぱにも。

 ぼくも ほしなんだ だいのじに ねそべった。

 ほしとほしが 手をつなぐと ひとり またひとり ほしがふえていく。

 

 野菜のヘタから、緑の星を感じられるのは詩人ならではの感性でしょうか。

 身近な野菜から星座まで、どこまでも広がります。


小さな赤いめんどり・・アリソン・アトリー

2020年11月01日 | 創作(外国)

    小さな赤いめんどり/アリソン・アトリー・作 神宮輝夫・訳 小池アミイゴ・絵/こぐま社/2017年

 

 1969年に出版(大日本図書)された訳に若干の修正を行い、挿絵はすべて新しくなっているとありました。
 

 ひとりぼっちで暮らすおばあさんがいました。親類の人や、ふるい知り合いは、みんなおばあさんより 先に死んでいました。おばあさんは気持ちのしっかりした人で、体が弱いことにも、貧乏にも負けず、立派にひとりで暮らし、通りかかる人には、いつもにっこりと笑いかけ、庭の草花を分けてやりました。

 外にいると、通りかかる人と、話ができましたが、冬、暖炉のそばに引っ越しすると、話し相手がほしくなります。

 ある晩、おばあさんは、また、話し相手が欲しいと、ひとりごとをいいました。すると、ドアをたたく、小さな音が聞こえてきました。音がいつまでもつづくので、おばあさんは立ち上がってドアをほそめにあけてみました。足元で、コッコという声がして、かがんでよく見ると、小さなめんどりが、あがりだんの上に、ちぢこまっていました。

 おばあさんが小さなめんどりに夕ごはんをあげると、めんどりは、もう夢中になって食べました。それから、おばあさんは、めんどりに寝床を作ってあげました。

 そのとき、ドアを乱暴にたたく音がして、でてみると「ちっぽけな赤いめんどりを、みなかったね?」と、ナイフを握った男がたっていました。

 飼い主で、逃げ出しためんどりを探していたのです。男はめんどりを食べようとしていたのです。おばあさんが、ここにおいておくようにたのむと、真鍮のろうそくたてとひきかえに男はかえっていきました。ろうそくたては五十年もの間、部屋を明るくしてくれた、たったひとつの思い出でした。

 翌朝、おばあさんがおきてみると、台所はきれいに掃除され、テーブルはいつでも朝ごはんが出せるようになっていて、水差しには、庭の泉の綺麗な水が、ちゃんとくんでありました。おまけにテーブルの上には卵がひとつ。昨日やってきたもとの主人は、毎晩逃げてばかりいて、たまごをうまないといっていたのですが。

 「おまえは、そうだねえ、この世のふしぎ、ですよ!」と、よころんだおばあさんでしたが、それだけではありませんでした。小さなめんどりは、あっというまに、かたづけごとをし、パンをやいたり、ブリキのコップやスプーンをみがきました。

 森を散歩したり、その途中で落ちている枯れ枝を集めるのも一緒です。

 さらに縫物も、おばあさんよりも念入りで、どんどん縫物の仕事がまいこみます。おばあさんの財布は、お金でふくらみはじめ、暮らしは楽になりました。

 ところが、もとの主人がやってきて、めんどりがとてもふとっていて、しあわせそうなことに気がつき、きゅうに、めんどりがほしくなりました。「買いもどしたい」という男に「売りたくない」と、おばあさんは断ります。

 男は家の中をさがし、めんどりがかくれていた粉袋を強引にもっていってしまいます。

 めんどりは、食べられそうになりますが、ポットのなかにあった小さな青い石をみつけ呑み込みました。青い石は、めんどりの声!でした。

 声が出るようになっためんどりが、新しい声でさけぶと、その声は夜風にのってながれ、あたり五、六キロのおんどりやめんどりが、たちまち目をさましました。おんどりたちは、途中の農場のおんどりたちを、さそいながら男の家にかけつけると、鍵をつついてこわし、ガラスをわると、赤いめんどりのつなをほどきました。

 小さな赤いめんどりは、真鍮のろうそくたてを、つばさのしたにかかえ、おばあさんの家まで、とんでかえりました。

 おんどりたちは、すぐにひきあげず、台所を煤だらけにし、鍋や釜を翼でたたいて、ころがし落とすなど、できるだけ家の見えの中を、めちゃくちゃにしました。男がベッドからおきてくると、おんどりたちは男にとびかかり、くちばしでつついたりしました。男は二階にもどると、ふとんのなかにもぐりこんで、かんだかいおんどりの、さけび声を、がたがたふるえながらきいていました。家のなかが、しーんとしずかになると、ふたりは、こわごわ下におりていくと、そこはなにもかもめちゃくちゃ。めんどりは、わざわいのもと、あんなめんどりは、ぜんぜんねうちがないと、ふたりはいいあいます。

 声をとりもどしためんどりは、おばあさんと、おたがいのことを話し合いました。クリスマスのパーテイや、結婚式、洗礼式のこと、小さな赤いめんどりは、妖精や魔女や、こびと、小鬼のことを話しました。小さな赤いめんどりは、こういうものたちぜんぶの女王さまだったのです。ふたりは、いっしょに暮らし、おばさんは百と一歳まで長生きし、おばあさんが死ぬと、赤いめんどりも、いなくなりました。

 

 ひとりぼっちだったおばあさんが、不思議な力を持つ小さな赤いめんどりと暮らすようになる物語。人は、ひとりぼっちでは生きられない、そんなことが伝わってきます。

 小さな赤いめんどりの出生の秘密、なにげない田舎の暮らしの様子も生き生きと描かれています。

 アリソン・アトリー(1884-1976)が亡くなってから50年近くたっていますが、古さは全く感じません。