岩手県の鉱山のお勉強は盛岡市の南、紫波郡に入りました。ここには大萱生金山という昭和まで採掘が行われていた金山があるほか、その南の花巻との境付近には佐比内、大比内、女牛(めうし)などの鉱山が数多くあり、江戸時代の初期にゴールドラッシュがこの地域で起こり、日本中からいろいろな職業の人が来たとのこと。
その中には、滋賀県高島でいわゆる近江商人だった人が流れ着き、酒造業を日詰で起こし、近江屋と称し、村井権兵衛と名乗ったとのこと。この村井氏がその後、盛岡城が出来た際に盛岡に本拠を移し、「井筒屋」の屋号で盛岡、京都、江戸の三カ所でそれぞれの物資を動かし、一大財閥にまで成長。明治になり小野組に改称し、三井財閥と肩を並べるまでになったそうな。
小野組は、秋田の鉱山を調べていた時にも度々出てきた名前。釜石、阿仁、院内など東北の多くの鉱山経営にも参画していたため、小野組が破綻した際に多くの資料が失われたという。なぜ小野組が阿仁、院内?と思っていましたが、東北に土地勘があったのは、こういうことだったのかと納得。またここで生糸取引の責任者だったのが、後に古河財閥として足尾銅山などを大きくした古河市兵衛であったというのも因果なのでしょう。
時々