新米ペアレントの営業日誌・営業中

2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

移動する「陸奥」の国

2024-07-20 23:36:57 | 秋田古代史

先日来読んでいる秋田県史では、陸奥(国)という地域が度々出てきます。今の時代では陸奥といえば、およそ青森県を指す場合が多いようです。でも秋田県史で古く奈良~平安時代では、「陸奥」はほぼ宮城県仙台周辺を指しています。平安後期~鎌倉時代になると、「陸奥」は奥六郡(胆沢、江刺、和賀、稗貫、志波、岩手)を含む宮城・岩手県を指すようになったようです。

青森県が陸奥と呼ばれるようになるのは、平泉討伐後、鎌倉幕府が武士団を送り込んで日本の内地化を明確に進めた鎌倉時代以降のこと。関東では、住んでいた埼玉県は昔から武蔵(国)と呼ばれ、境界が動くことは多少あったでしょうが、おおむね場所と名前が変わらなかったようですので、地名が時代によって変わるというのはとても違和感を感じました。

陸奥を「みちのく」と読み替えれば、古くからみちのくは白河関を越えると、と言われていたようですので、東北全体を指すことになりますから、広義の意味では外れていないようですが、狭義には東北太平洋側を指しています。

日本海側は古くから「出羽」と呼ばれ、奈良時代には主に山形県を指しており、奈良時代の蝦夷征討軍の派遣とその後の建郡で、奈良時代後半には秋田市あたりまでが「出羽」と呼ばれるようになったようです。現在でも「出羽」は山形県と秋田県で使われており、こちらはその時代の呼称を踏襲しているようです。

時々

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電気代の節約に?

2024-07-19 23:35:35 | 経営

昨日図書館に行っていて感じたのが、しっかり冷房が効いているということ。都会では熱中症対策も含めて、今年はクーリングシェルターなる涼しい場所の開放が行われているとのこと。こちら大曲ではそこまでまだ暑くはありませんが、シェルターの設置が行われており、ショッピングモールや公共施設、少人数ながらも郵便局でもシェルターとして手を挙げているようです。

特に外で作業する仕事でもありませんので、普段なら家でエアコンをつけていれば、シェルターのお世話になる必要はないかと思っています。でもその家でエアコンをつけるということが、電気代高騰の折、はなはだ問題でもあります。ノートパソコンがあれば、図書館でブログを書いたり、文献を入力したりなど家で空いた時間に行っている作業が可能で、電気代の節約にもなりそうです。

ただ問題は、入力のキーボードの音がうるさがられるかなとか、そもそも出不精ですので、図書館に行くのにも、気合を入れて、となっていますから、考えるのは簡単ですが、実行に移すとなるとなかなか難しそうです。7、8月の電気代を見てからもう一度検討してみることにします。

のち

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再び大曲図書館に

2024-07-18 23:29:25 | 秋田古代史

本日、関東や東海地方で梅雨明けとのこと。こちら大曲は気温は30℃歩かないかと関東から比べると涼しそうにも見えますが、湿度が連日80%を超え、気温以上に暑さがこたえます。

今日は買い出しのついでに、再び大曲図書館に。月初に見た本もかなり「読書」が進んで次が必要になってきたことと、来週から学生が夏休みになり、図書館が夏休みの間混むであろうことから、その前に史料の調達となりました。

前回見た秋田県史と横手市史のその先の部分と、今回は鹿角市史を見てみました。自治体史は、その地域を中心に書かれており、秋田県南の歴史は横手市史である程度分かるものの、県北となると横手市史ではあまり詳しくは書かれていませんし、県北の自治体がどういう感じで歴史を語るのか知りたかったことと、特に鹿角地域は「秋田県」に入ったのは明治維新後で、それまでは南部(盛岡)領だったため、秋田県とは少し違う歴史を持っているためです。

ざっと目を通しただけですが、やはり県北地域は平安から鎌倉時代に日本の「内地化」されたとのことで、鎌倉時代以前は特に中央政府の史料にほとんど記述が残されていないので、こうしたものを参考に書かれている自治体史では、かなりあっさりとなっているようです。

のち時々一時

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キュウリ大収穫③

2024-07-17 23:20:49 | 畑・工作

連休明けで畑のチェック。先週大量収穫したキュウリは、その後も順調に結実し、たっぷりの極太キュウリの収穫となりました。前回同様の作業をすると、結果6キロの辛子漬けとなりました。既に冷凍庫に7.5キロの辛子漬けが保存してありますので、合わせて12キロと、ほぼノルマ達成状態ですし、既に冷凍庫のスペースがなくなり、これからまだ収穫が続きそうですが、作っても保存できないし、消費しきれない量になってきました。

まだまだ採れるきゅうりはどうしたものかと、考えてしまいます。以前冷凍保存する前は、大量に極太キュウリを畑の肥料にしていましたし、需要が落ちている状態で作っていますので、今回もこれからのほとんどは畑の肥料にしてしまうつもりです。この時期、直売所などで10本入って200円とか、都会のスーパーなどでは考えられない値段で売られているのは、実はそうした理由があるからで、生産農家としてはいくらでもいいから買ってもらえれば、という想いからだと思います。

キュウリの次は、ナス、トマト、シシトウの収穫が始まります。シシトウは冷凍保存ができることが判りましたが、ナス、トマトはうまい保存方法が見当たらないので、ナスはせっせと焼いてひとりパーティするか、近所の方に配ってしまう予定。トマトは暑い時にスポーツドリンク代わりに食べてしまうことになります。ご希望の方がいれば、食事の際に多めに提供しますので、リクエストしてください。

のち

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消防の立入検査

2024-07-16 23:11:07 | 経営

本日はこの時期恒例の消防署の立入検査がありました。夏休みの繁忙期前、特にここ大曲では夏休み期間の最後に、大曲の花火があり、どの宿泊施設も満室になる状態ですので、この時期に事前検査が入ります。

電話で日時を事前に指定されますので、問題があっても改善する余裕がありますが、当YHはここ数年大きな修繕や変更はありませんし、年2回、業者による消防点検も入っていますので、特段準備することもなく、入念な検査も今回も問題なくパスとなりました。

大きなホテルや公共施設ではマル適マークが掲示してあるところがありますが、当YHのような小規模の施設ではマル適マークは出ません。泊まられたお客様はあまり気にしないかもしれませんが、見た目は古めの民家ですが、押入れの裏などにも火災報知器が付いていたり、壁紙は全て難燃材使用となっていますし、年2回の業者検査は結構な出費になりますし、実はお金がかかっています。

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次は秋田県史を

2024-07-15 23:09:16 | 秋田古代史

本日3連休最終日で、結果的にこの3連休は普通の週末状態。というわけで時間はたっぷりありましたので、昨日までの横手市史のお勉強は、中世に入り、その先はまだコピーを取っていなかったので、次は同じ時に写しを取ってきた秋田県史でまたヤマト王権時代に遡りとなりました。

横手市史を最初に読み始めたのは、出版が平成20年(2008)と比較的新しいものだったためで、次の秋田県史は昭和52年(1977)と出版されて45年ほどたち、その時代の最新情報で書かれたものですが、時と共に研究や発掘がいろいろ進んで、当時の説が今では異なる解釈になったりするケースも出ているようです。とはいえ、横手市史だけでお勉強すると、偏った知識になる可能性もあり、幾つかのものを見て、どれが共通した「常識」で、どれが独自の「見解」なのかを知る必要もあります。

今の出版物は、ほぼすべてがパソコンなどのデジタルツールで作られたものですが、県史の出版された時代はまだアナログ時代。「あった」が「あつた」と写植されていたり、古い言い回しが多く、昨今では使わないような漢字が使われていたりと、打ち込みも一苦労。さらに古い文献をそのまま引用するケースも多く、漢字を探すだけでも大変です。

そのため、打ち込んでいる間に書いてあることや横手市史と比べたりと、頭を巡らすまで行き届かず、ひたすら打ち込みに専念するような状態になっています。新旧の本を比較するのは、ある程度作業が進んだ後に、別枠で行う必要がありそうです。やはり今回形にできるのは、来春位までかかってしまいそうです。それでも1000年を超える時間を知ろうというのですから、半年ぐらいでは乱暴な話とも云えそうです。

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横手市史は古代から中世に

2024-07-14 23:07:48 | 秋田古代史

先日から読んで(打ち込んで)いる横手市史はページが進み、古代から中世に入ってきました。学生時代に授業などで勉強した時には、古代と中世の時代の区分なんて言うことは学んだ記憶がありませんし、区別する必要もそう感じませんでした。

調べてみると、武家社会の到来=鎌倉幕府成立というのが大雑把な考えのようですが、厳密には後白河上皇の院政開始(1087年)という政治史的区分や、武士の力が増すことになった保元の乱(1156年)とする考え方がその界隈では一般的になっているようです。

今回市史を読むにあたり、古代から中世へ移り変わるのは、大きな切り替わりポイントで、章が代わるだけでなく、どうも編者も変わっているようでした。古代編では考古学をやられている方が書いていたようで、先日も書きましたが、遺跡や出土品から状況判断をするために、細かい分析などの記述が多く、パスする局面も多くなってしまいました。

中世になると、古い文献も残り始めて、そうしたものの引用だけでなく、文章の感じが学校の先生が授業をしているような口語体になる場面が多く見られることや、編者の主観的な考えが前面に出ているところも見受けられるようになった気がしました。書く文章は内容は当然重要なことですが、それをどう表現するかということも、「読ませる」ためには大切な要素のひとつだと云うことを痛感しています。

のち

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期待薄の3連休、初日

2024-07-13 23:05:58 | 季節

本日より初夏の3連休ですが、今年はカレンダーがあまりよくないようです。7月第三月曜が海の日で休みになりますが、今年は最も早い海の日(15日)になり、20日より前に海の日が3連休になると、学校の夏休みが始まっていないこともあるのか、まだ7月中旬だからなのか、過去の経験から見ると、夏休みの3連休ではなく、普通の週末状態で、ほとんどお客様が望めない状況になります。

今年はそういう状況ですので、テレビなどでは早くも浮かれた報道が多く、成田空港などの中継があったりしますが、当YHでは期待薄。実際に本日もどうにかお客様がいる程度で、来られたお客様の方が拍子抜けしてしまうようです。

先週続いた雨もこの週末以降、少しは良くなりそうなので、連休明けには少しは外作業をしないといけないようです。この時期を逃して8月になると、暑さもありますが、稲が開花して稔る時期で、盛大な草刈りは近隣の方に迷惑をかけるタイミングになってしまいます。

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秋田県民のご先祖様は?

2024-07-12 23:04:38 | 秋田古代史

引き続き、横手市史を読むことで秋田県の歴史のお勉強中です。弥生/古墳時代から始まり、ようやく10世紀まで来ました。この間は古代の秋田県の歴史。学校で勉強した歴史の時間には、坂上田村麻呂が出てくるぐらいで、ほとんど日本史の教科書には書かれていません。

今回の歴史のお勉強では、今の秋田県民の御先祖様はいつ、どうやって秋田に住むようになったのか?というのがお勉強の目的。お勉強を始める前は、元々秋田にいた、とぼんやり思っていましたが、古代をお勉強すると、いろいろなタイミングで関東や信州、新潟辺りから移住してきた(させられてきた)ということを知りました。

古墳時代、ヤマト王権の勢力は、支配地としては富山-福島ライン辺りまでで、宮城や山形にも古墳は残っていますが、6-7世紀と築造時期が遅かったり、支配と云うより友好種族として文化交流があった結果と、近年ではされているようです。

その後、北や東に勢力を伸ばすために、新潟(渟足柵=垂沼)や(宮城)郡山柵(仙台)と云った先端地に砦を作って支配力を高めるとともに、関東などから移民(柵戸)を送り込んで人を増やすことで、「郡」という行政区域を確立すると云う方法を取ったようです。この政策は、大化改新(645年)以降成立した律令政府の東北経営の重要な政策とされ、10世紀まで、北は秋田県(秋田城)や岩手県(志波城)まで続きました。

また律令政府に服属した現地原住民(蝦夷・えみし)には、宴会でもてなしたり、朝廷から位爵や名前を与えたりという「飴」と、ごく属しなかった蝦夷に対しては、安倍比羅夫や坂上田村麻呂、文室綿麻呂といった鎮守府将軍たちによる征伐軍の派兵といった力による「ムチ」を振るったとのこと。文室綿麻呂という名前は、市史では「坂上田村麻呂に次ぐ有名な」と書かれていましたが、不勉強だったせいか、初耳でした。こうした征伐軍で兵士が送られ来た中にも、後に土着した、なんていう人も多くいたことと思います。

さらに、縄文時代から交易が行われていたということですが、この時代でも東北(から北海道)の物産は、京都などでは貴重品で、多くの商人が入っていたことも考えれます。東北が名馬の産地になったのも、7-8世紀からとの見方もあるようです。

一方で、律令政府による支配やいろいろな賦役、徴税などに不満が溜まり、度々叛乱がおきていたのも歴史の事実で、多賀城から胆沢あたりで活躍した阿弖流為(アテルイ)を典型として、その姿が勇猛果敢だったこともあり、この後の時代でどうしても現地原住民が野蛮人的にみられることになったようです。

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雨上がりのキュウリ大収穫②

2024-07-11 23:01:08 | 畑・工作

昨日までの大雨も今日には上がり、畑のチェックを兼ねて2回目のキュウリの大量収穫作業。連日の引きこもり、打ち込みで、畑は強制的に動くことを求められますので、気分転換にもなります。前回は5日に収穫したので、ほぼ一週間ぶり。きゅうりは水気を好みますので、連日の雨のおかげで腕ほどの長さにもなっており、バケツ一杯ほど収穫できました。。

これを保存しておく場所もないので、一気に漬け込み作業に突入。いつも通り洗って、皮を半分剥いて、半分にして種を取り出し、刻んで辛子粉などを加えれば出来上がり。半日ほど常温で、その後数日冷蔵庫で保存すれば食べ頃になります。その段階で冷凍庫で保存。

前回2.5kg、今回5.0kgほどになりましたが、あと3-4回は収穫出来てしまいそうです。冷凍庫の空スペースが足りるかどうか問題になってきました。

天気予報では週末から晴れが続くと云うものになってきましたが、早くも梅雨明けになるのでしょうか。

一時のち

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