先日から読んで(打ち込んで)いる横手市史はページが進み、古代から中世に入ってきました。学生時代に授業などで勉強した時には、古代と中世の時代の区分なんて言うことは学んだ記憶がありませんし、区別する必要もそう感じませんでした。
調べてみると、武家社会の到来=鎌倉幕府成立というのが大雑把な考えのようですが、厳密には後白河上皇の院政開始(1087年)という政治史的区分や、武士の力が増すことになった保元の乱(1156年)とする考え方がその界隈では一般的になっているようです。
今回市史を読むにあたり、古代から中世へ移り変わるのは、大きな切り替わりポイントで、章が代わるだけでなく、どうも編者も変わっているようでした。古代編では考古学をやられている方が書いていたようで、先日も書きましたが、遺跡や出土品から状況判断をするために、細かい分析などの記述が多く、パスする局面も多くなってしまいました。
中世になると、古い文献も残り始めて、そうしたものの引用だけでなく、文章の感じが学校の先生が授業をしているような口語体になる場面が多く見られることや、編者の主観的な考えが前面に出ているところも見受けられるようになった気がしました。書く文章は内容は当然重要なことですが、それをどう表現するかということも、「読ませる」ためには大切な要素のひとつだと云うことを痛感しています。
のち