ファイザー「首相を出せ」 政府、主導権なき難交渉 ワクチン争奪戦
新型コロナウイルス対策の「切り札」(菅義偉首相)とされるワクチン接種。世界で争奪戦が繰り広げられている。米製薬大手ファイザー社との交渉には霞が関の常識は通用せず、日本が顧客にもかかわらず「首相を出して」と求めてくるなど、忖度(そんたく)のない国際社会の論理に翻弄(ほんろう)された。舞台裏を検証した。
▽うめき
新型コロナウイルスのワクチンを巡るファイザーからの返答に政府関係者は絶句した。ワクチンの総合調整役である河野太郎行政改革担当相が「私が直接、ファイザーと話をする」と乗り出した直後、相手は「交渉には首相を出してほしい」と逆指名し、一閣僚は相手にしないとの強烈な意思を示した。巨大企業との協議はあっという間に暗礁に乗り上げた。
2月9日の国会。「1瓶で5回分しか取れない」とした田村憲久厚生労働相の答弁に動揺が広がった。1月20日にファイザーと年内に7200万人分をもらうと契約したばかり。1瓶で6回分注射ができる前提で積み上がった数字。5回に減れば、全体で1200万人分が消えることになる。
政府内では契約後の1月下旬に事態を把握。「1瓶5回分で7200万人分の確保」を目指し、河野氏が交渉の前面に出る。ファイザーのアルバート・ブーラ最高経営責任者(CEO)側は首相を逆指名した。不調に終わったことが、田村氏の答弁につながる。
主導権が取れない状況に政府関係者は「これが今のファイザーと日本の力関係」と話す。けむに巻くような相手の交渉術に田村氏はうめいた。「向こうに良いようにされただけじゃないか」
▽カードなし
1月の深夜、東京・霞が関の厚労省内。担当の正林督章(しょうばやし・とくあき)健康局長は米国時間に合わせ、ファイザー幹部とのオンライン会議に臨んだ。専門の弁護士も加わり詰めの協議が何日も続いた。
焦点は、接種で健康被害が生じた際の取り決めだった。先方は「ほかの契約国もこの条項だ」と丸のみを迫る。「相手にひどい落ち度があっても、日本が全部責任を負うのはおかしい」(交渉筋)と防戦。製薬企業にとってニーズのある医療データ提供は、日本ではプライバシー保護の観点から不可能だ。厚労省幹部は「こちらから切れるカードはほぼなかった」と劣勢での契約締結を認めた。
▽最大限の努力
「これではワクチンは来ない」。政府内でもブラックボックスと言われたファイザーの契約書の核心を河野氏が知ると、すぐさま電話を取った。状況の報告を受けた首相は「何とか頑張ってほしい」と返すのが精いっぱい。日本への供給は「ベストエフォート(最大限の努力)」とされていた。河野氏には日本の想定通り送ってもらえる確約がない契約だと映った。
さらに日本にとって想定外の事態が起こる。1月末、欧州連合(EU)が、域内で製造されたワクチンの域外への輸出管理を強化すると発表した。ファイザーの主力工場はベルギーなどEU域内。空輸する1便ごとの承認が必要で、確保のハードルが一つ増える。
官邸サイドの要請で駐米大使がファイザー本社に働き掛け、管理強化をはねのける道筋を探る。相手側は「EUの許可が必要だ」の一点張り。政府筋は「輸出管理で戦時中のような状態となり、契約書は紙くずになった」と形容した。
首相は、いまさら悔やんだ。「厚労省がワクチンの治験を含めて早く動いていたら、状況は違っていたかもしれない」
▽足元
ワクチン価格は「契約上の秘密」(ファイザー担当者)とされる。海外の報道では、ファイザー製の1回分はEUで15・5ユーロ(約2千円)、米国は第1便分の額で19・5ドル(約2100円)と報じられている。
コロナ禍の対応が続く首相の立場は切実だ。7月に東京五輪開幕を控え、10月には衆院議員が任期満了となる。接種事業の停滞は避けたい。
確保に苦しむ中、急に風向きが変わった。2月26日の記者会見で河野氏は「6月末までに高齢者約3600万人分の配送を完了する」と言い切った。
背景には、欧米で最初にワクチンの認可を受けたファイザー側の事情が見え隠れする。米モデルナ社を含め後続が激しく追い上げており、先行による独占的な利益の確定を急ぐ必要が出てきた。
与党関係者は3600万人分の確保の裏をこう読む。「足元を見られ、高値でつかまされた」