<森の時計>
『澄んだ作品が書きたかった』
「優しい時間」の脚本のあとがきの初めに、倉本總はそう書いている。
映像もそのとおりに澄んでいたが、主題歌「明日」を唄う平原綾香の声も曲もマッチしていて、なかなかのドラマだったとわたしは思う。2005年の放送だから、2008年の「風のガーデン」の前になる。
テレビドラマ「優しい時間」の舞台となったこの喫茶店「森の時計」は、撮影終了後も営業を続けている。
知らないひとのために、ドラマのあらすじを書いておこう。
三年前、一流商社のニューヨーク支社長を務めていた湧井勇吉(=寺尾總)は、息子(拓郎=二宮和也)が起こした交通事故によって車に同乗していた妻(めぐみ、愛称メグ=大竹しのぶ)が死んだことを機に、長年勤めていた会社を突然辞めてしまう。
東京の家を整理してまとまった金を拓郎に渡すと、勇吉はひとり東京を離れ、めぐみの故郷である富良野で喫茶店「森の時計」を開く。
富良野で喫茶店を開くのがめぐみの夢だったのだ。
めぐみの親友である九条朋子(余貴美子)がこのことを知って、親子の復縁を図り、秘かに勇吉がいる富良野に近い美瑛の陶芸窯に拓郎を住込みで就職させるのだった・・・。
森の時計という店名のいわれがドラマのなかにでてくる。
初めて森の時計を訪れた観光客とマスターである勇吉との会話にである。
「森の時計という名前はいいですね」
「ありがとうございます。――女房の好きな言葉でした」
「森の時計はゆっくり時を刻む――」
「―――」
「だが、人の時計はどんどん速くなる。とつづくんでしたな」
「よくご存知で」
「実は私、時計メーカーのシスコにいるものなンですが」
「そうですか」
「以前ある人から頼まれて、森の時計を作りかけたことがあるンですよ」
「ほう!」
「つまり、十二時間で一回転しちまう時計じゃなく、もっともっとゆっくり、――たとえば一年で
一回転する柱時計が出来ないかって云われましてね」
「―――」
「そんなのうちの技術陣なら簡単に作れますって引き受けたンですがこれが実際にやってみたら、
意外や出来ない」
「―――」
「ゼロコンマ何秒、あるいはもっと細かく刻む時計を作れと云われるなら、技術陣はいくらでも考え
られるっと云うンです。ところがもっと遅く、もっと、ゆっくり廻る時計と云われるとどう考えても
出来ないって云うンですよ」
「なぜなンです」
「なぜなンでしょうね」
「―――」
「人間はデジタル化することによって速い方へは思考が廻るけど、ゆっくりという方角へはもはや思考が
回転しなくなっちまった、ということでしょうかね」
「面白いですね」
この店ではカウンター席がとくに人気である。
自分でミルでコーヒー豆をひいて、それをマスターに渡して落としてもらうのである。
わたしはとくに豆を引きたくもなかったので、ラウンジ席を選ぶことにした。
L字型のカウンターの端、窓際の花瓶の前の席に、誰もいない時間には亡くなったメグが現れる。失われたふたりの時をゆっくり取り戻すように、勇吉はメグと会話するのだった。
コーヒーを落とす勇吉。
間。
勇吉「(落としつつ)ただね」
メグ「―――」
勇吉「この店で、ここに来る色んな人と、何でもない話をしてる時に、――最近時々――どういうか
フッと、――やさしい気持ちになる時があるンだよ」
メグ「―――」
勇吉「何かこう、たまらなくやさしい気持ちにね」
ドラマを観たことのないひとでも、ここ「森の時計」の雰囲気と上等なコーヒーは充分楽しめるはずだ。
わたしは評判だの料金だのが高かろうがなんだろうが、自分が不味いと思ったコーヒーは絶対必ず残すが、ここのは残さなかった。
→「風のガーデン」の記事はこちら
『澄んだ作品が書きたかった』
「優しい時間」の脚本のあとがきの初めに、倉本總はそう書いている。
映像もそのとおりに澄んでいたが、主題歌「明日」を唄う平原綾香の声も曲もマッチしていて、なかなかのドラマだったとわたしは思う。2005年の放送だから、2008年の「風のガーデン」の前になる。
テレビドラマ「優しい時間」の舞台となったこの喫茶店「森の時計」は、撮影終了後も営業を続けている。
知らないひとのために、ドラマのあらすじを書いておこう。
三年前、一流商社のニューヨーク支社長を務めていた湧井勇吉(=寺尾總)は、息子(拓郎=二宮和也)が起こした交通事故によって車に同乗していた妻(めぐみ、愛称メグ=大竹しのぶ)が死んだことを機に、長年勤めていた会社を突然辞めてしまう。
東京の家を整理してまとまった金を拓郎に渡すと、勇吉はひとり東京を離れ、めぐみの故郷である富良野で喫茶店「森の時計」を開く。
富良野で喫茶店を開くのがめぐみの夢だったのだ。
めぐみの親友である九条朋子(余貴美子)がこのことを知って、親子の復縁を図り、秘かに勇吉がいる富良野に近い美瑛の陶芸窯に拓郎を住込みで就職させるのだった・・・。
森の時計という店名のいわれがドラマのなかにでてくる。
初めて森の時計を訪れた観光客とマスターである勇吉との会話にである。
「森の時計という名前はいいですね」
「ありがとうございます。――女房の好きな言葉でした」
「森の時計はゆっくり時を刻む――」
「―――」
「だが、人の時計はどんどん速くなる。とつづくんでしたな」
「よくご存知で」
「実は私、時計メーカーのシスコにいるものなンですが」
「そうですか」
「以前ある人から頼まれて、森の時計を作りかけたことがあるンですよ」
「ほう!」
「つまり、十二時間で一回転しちまう時計じゃなく、もっともっとゆっくり、――たとえば一年で
一回転する柱時計が出来ないかって云われましてね」
「―――」
「そんなのうちの技術陣なら簡単に作れますって引き受けたンですがこれが実際にやってみたら、
意外や出来ない」
「―――」
「ゼロコンマ何秒、あるいはもっと細かく刻む時計を作れと云われるなら、技術陣はいくらでも考え
られるっと云うンです。ところがもっと遅く、もっと、ゆっくり廻る時計と云われるとどう考えても
出来ないって云うンですよ」
「なぜなンです」
「なぜなンでしょうね」
「―――」
「人間はデジタル化することによって速い方へは思考が廻るけど、ゆっくりという方角へはもはや思考が
回転しなくなっちまった、ということでしょうかね」
「面白いですね」
この店ではカウンター席がとくに人気である。
自分でミルでコーヒー豆をひいて、それをマスターに渡して落としてもらうのである。
わたしはとくに豆を引きたくもなかったので、ラウンジ席を選ぶことにした。
L字型のカウンターの端、窓際の花瓶の前の席に、誰もいない時間には亡くなったメグが現れる。失われたふたりの時をゆっくり取り戻すように、勇吉はメグと会話するのだった。
コーヒーを落とす勇吉。
間。
勇吉「(落としつつ)ただね」
メグ「―――」
勇吉「この店で、ここに来る色んな人と、何でもない話をしてる時に、――最近時々――どういうか
フッと、――やさしい気持ちになる時があるンだよ」
メグ「―――」
勇吉「何かこう、たまらなくやさしい気持ちにね」
ドラマを観たことのないひとでも、ここ「森の時計」の雰囲気と上等なコーヒーは充分楽しめるはずだ。
わたしは評判だの料金だのが高かろうがなんだろうが、自分が不味いと思ったコーヒーは絶対必ず残すが、ここのは残さなかった。
→「風のガーデン」の記事はこちら
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます