<こんぴら参り(2)>
江戸時代、伊勢神宮への参拝は庶民の一生一度の夢だった。
それに並んでの庶民の夢は、『丸金』か『京六』かと言われる、讃岐の金毘羅宮と京都六条の東西本願寺への参拝が続くのだ。
現在でも、年間参拝客が金毘羅宮はざっと400万人、伊勢神宮は800万人といわれる。
門内に入ってすぐのところで、「五人百姓」の通称で呼ばれる大きな傘を広げた飴屋が<加美代飴>を売っていた。
そこを過ぎると平らな石畳が続き、しばらくは歩きやすくひと息入れることができる。
大門までは、階段脇に並ぶ店から「アンタ、無理せんとちょっと休んでいったらどーや」視線に晒されて、かえって“負けてたまるか”みたいな気が湧きおこって全身に張り詰めていた。まだまだ先は長いので、平らな石畳くらいで気を緩めてはいけない。
長いようで短かった石畳が終わり、また階段が始まった。
前からは、参拝をすませたせいか、満面に晴々とした表情を浮かべた人びととすれ違う。後ろからは、膝関節に効くサプリメントのコマーシャルにスカウトされそうな足腰年齢だけやたら若い中高年たちが、矍鑠とした足取りで次つぎとわたしを横目に抜き去っていく。わたしは、大山詣りでリハーサルしているのでマイペースを崩さない。
「資生堂パーラー神椿」のある500段目くらいからが二番目の難関、また勾配が急になる。
伊勢参りや金毘羅参りでは当人に代わって、旅慣れた人が代理で参拝する(代参)することもあった。そして代参するのは人間ばかりではなく、「伊勢参り」とか「こんぴら参り」と記した袋を首にかけた犬が飼い主の代参することもあった。袋には、飼い主の名前を記した木札、初穂料、道中費用などが入っていたそうだ。こんぴら参りの代参をした犬を、特に「こんぴら狗(いぬ)」と呼ばれた。
二番目の難関を登りきると、「ついに本宮に着いたか」と、大門で騙されなかった参拝客でさえもが勘違いしてしまうが、628段目にあるこの建物は「旭社(あさひしゃ)」である。
次郎長親分の代参で訪れた、あの森の石松もここで間違えたという逸話がある。
総欅材、二層入母屋造り銅瓦葺きで天保八年(1837年)に建てられた重要文化財である。
九神が祀られ、神仏分離以前の象頭山松尾寺金光院では金堂だった。もし旭社を参拝するのであれば、本宮をお参りしてからの帰り路での旭社参拝が正しい順序である。
大山でもそうだったが、足腰にくるというよりは息が切れまくってしまったので、ここは格好つけずに、息が整うまでたっぷり休息した。
そして最後の難関が、133段続く胸突き八丁、急角度の石段登りだ。
踊場ごとに休み休み、汗びっしょり、ヒーハ―息が切れまくりながらも、ついに本宮に到着した。
こんぴらさんは、海の神さまといわれている。金毘羅宮の祭神は「大物主神(おおものぬしのかみ)」と「崇徳天皇」の二柱を祀り、「金毘羅大明神」と称す。
その歴史は古く、金毘羅宮の鎮座する琴平山(象頭山)が、琴を平らにしたような、あるいは象が寝そべっているように見える特異な山容から瀬戸内海を航行する航海者の目印となったころから始まったそうだ。
あの有名な民謡<こんぴらふねふね>の、どうしても<ぞずさん>て聞こえるわけのわからないのはこの象頭山のことだったのか。
金毘羅船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ
まわれば四国は 讃州那珂の郡(さんしゅう なかのごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現
賽銭箱までの木の階段を登り、参拝する。用意してきた願いごとのすべてを、時間をかけてしっかり祈念した。ありったけの心をこめて。
提灯に書かれた隷書体の「金」の字は、御社紋であり、「まるこん」と呼ばれて親しまれている。ただし、本宮と直轄六社だけしか使えない紋である。
本宮の前にある神楽殿では、奉納の舞いなど様々な行事が行われる。中央には神楽に使用する立派な楽太鼓が置かれていた。
展望台が本宮の右手にある。眼下には、海抜251メートルとは思えない、参拝客へのご褒美みたいな景色が広がっている。
本宮と展望台の間の道は奥社に続き、さらに583段登ることになるが、ここ本宮でわたしはもう充分だ。
よっしゃー、これにてミッション、コンプリートだ!
階段を転げ落ちないように注意して下っていく。
参道の食堂で一杯やってこんぴらうどんを啜るなんてえのもかなり魅かれるものがあるが、ここはやはりまずは温泉だろう。長距離走のお遍路に比べるのはそもそも野暮で、短距離走のこんぴら参りもそれなりに疲れるのだ。朝からずっと我慢していた煙草も吸いたいが。
行きに見つけておいたホテル「湯元 八千代」。こんぴら温泉の宿は意外にも高いとこばかり、だから日帰り入浴(800円)だけで我慢しておこう。
“おいおい斎戒沐浴するのなら順番が違うぞ“と思われそうだが、このさい堅い話は抜きだ。
屋上の露天風呂は混浴となっていて、関西系おばちゃん連と一緒になっても困るから大浴場に急遽変更した。
疲れた足を湯のなかでたっぷり揉み、汗を流して、身体も気分がさっぱりしたら、現金なものでようやく小腹が空いてきたぞォ。
そうだ、肩掛け鞄のなかに、朝のパンの残りを廃棄されるのももったいない(エライ!)とたしか二個持ってきていたな。
よし、こんぴらうどんはとりやめて節約だ。あのパンを“ことでん”の中で食べるとしよう。
→「こんぴら参り(1)」の記事はこちら
江戸時代、伊勢神宮への参拝は庶民の一生一度の夢だった。
それに並んでの庶民の夢は、『丸金』か『京六』かと言われる、讃岐の金毘羅宮と京都六条の東西本願寺への参拝が続くのだ。
現在でも、年間参拝客が金毘羅宮はざっと400万人、伊勢神宮は800万人といわれる。
門内に入ってすぐのところで、「五人百姓」の通称で呼ばれる大きな傘を広げた飴屋が<加美代飴>を売っていた。
そこを過ぎると平らな石畳が続き、しばらくは歩きやすくひと息入れることができる。
大門までは、階段脇に並ぶ店から「アンタ、無理せんとちょっと休んでいったらどーや」視線に晒されて、かえって“負けてたまるか”みたいな気が湧きおこって全身に張り詰めていた。まだまだ先は長いので、平らな石畳くらいで気を緩めてはいけない。
長いようで短かった石畳が終わり、また階段が始まった。
前からは、参拝をすませたせいか、満面に晴々とした表情を浮かべた人びととすれ違う。後ろからは、膝関節に効くサプリメントのコマーシャルにスカウトされそうな足腰年齢だけやたら若い中高年たちが、矍鑠とした足取りで次つぎとわたしを横目に抜き去っていく。わたしは、大山詣りでリハーサルしているのでマイペースを崩さない。
「資生堂パーラー神椿」のある500段目くらいからが二番目の難関、また勾配が急になる。
伊勢参りや金毘羅参りでは当人に代わって、旅慣れた人が代理で参拝する(代参)することもあった。そして代参するのは人間ばかりではなく、「伊勢参り」とか「こんぴら参り」と記した袋を首にかけた犬が飼い主の代参することもあった。袋には、飼い主の名前を記した木札、初穂料、道中費用などが入っていたそうだ。こんぴら参りの代参をした犬を、特に「こんぴら狗(いぬ)」と呼ばれた。
二番目の難関を登りきると、「ついに本宮に着いたか」と、大門で騙されなかった参拝客でさえもが勘違いしてしまうが、628段目にあるこの建物は「旭社(あさひしゃ)」である。
次郎長親分の代参で訪れた、あの森の石松もここで間違えたという逸話がある。
総欅材、二層入母屋造り銅瓦葺きで天保八年(1837年)に建てられた重要文化財である。
九神が祀られ、神仏分離以前の象頭山松尾寺金光院では金堂だった。もし旭社を参拝するのであれば、本宮をお参りしてからの帰り路での旭社参拝が正しい順序である。
大山でもそうだったが、足腰にくるというよりは息が切れまくってしまったので、ここは格好つけずに、息が整うまでたっぷり休息した。
そして最後の難関が、133段続く胸突き八丁、急角度の石段登りだ。
踊場ごとに休み休み、汗びっしょり、ヒーハ―息が切れまくりながらも、ついに本宮に到着した。
こんぴらさんは、海の神さまといわれている。金毘羅宮の祭神は「大物主神(おおものぬしのかみ)」と「崇徳天皇」の二柱を祀り、「金毘羅大明神」と称す。
その歴史は古く、金毘羅宮の鎮座する琴平山(象頭山)が、琴を平らにしたような、あるいは象が寝そべっているように見える特異な山容から瀬戸内海を航行する航海者の目印となったころから始まったそうだ。
あの有名な民謡<こんぴらふねふね>の、どうしても<ぞずさん>て聞こえるわけのわからないのはこの象頭山のことだったのか。
金毘羅船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ
まわれば四国は 讃州那珂の郡(さんしゅう なかのごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現
賽銭箱までの木の階段を登り、参拝する。用意してきた願いごとのすべてを、時間をかけてしっかり祈念した。ありったけの心をこめて。
提灯に書かれた隷書体の「金」の字は、御社紋であり、「まるこん」と呼ばれて親しまれている。ただし、本宮と直轄六社だけしか使えない紋である。
本宮の前にある神楽殿では、奉納の舞いなど様々な行事が行われる。中央には神楽に使用する立派な楽太鼓が置かれていた。
展望台が本宮の右手にある。眼下には、海抜251メートルとは思えない、参拝客へのご褒美みたいな景色が広がっている。
本宮と展望台の間の道は奥社に続き、さらに583段登ることになるが、ここ本宮でわたしはもう充分だ。
よっしゃー、これにてミッション、コンプリートだ!
階段を転げ落ちないように注意して下っていく。
参道の食堂で一杯やってこんぴらうどんを啜るなんてえのもかなり魅かれるものがあるが、ここはやはりまずは温泉だろう。長距離走のお遍路に比べるのはそもそも野暮で、短距離走のこんぴら参りもそれなりに疲れるのだ。朝からずっと我慢していた煙草も吸いたいが。
行きに見つけておいたホテル「湯元 八千代」。こんぴら温泉の宿は意外にも高いとこばかり、だから日帰り入浴(800円)だけで我慢しておこう。
“おいおい斎戒沐浴するのなら順番が違うぞ“と思われそうだが、このさい堅い話は抜きだ。
屋上の露天風呂は混浴となっていて、関西系おばちゃん連と一緒になっても困るから大浴場に急遽変更した。
疲れた足を湯のなかでたっぷり揉み、汗を流して、身体も気分がさっぱりしたら、現金なものでようやく小腹が空いてきたぞォ。
そうだ、肩掛け鞄のなかに、朝のパンの残りを廃棄されるのももったいない(エライ!)とたしか二個持ってきていたな。
よし、こんぴらうどんはとりやめて節約だ。あのパンを“ことでん”の中で食べるとしよう。
→「こんぴら参り(1)」の記事はこちら
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