<紅葉の上田城(1)>
上田駅に着いたのは昼過ぎだった。
駅舎がずいぶん大きくなったように思えるのは、前に来たときは新幹線開業前だったのだろう。駅前のロータリーに三十分無料の駐車場をみつけたのでこれ幸いと車を入れる。腹が減っては戦も観光もできぬ、だ。まずはなにか食べるとしよう。
くるまやラーメンの味噌ラーメンといきたいところだが、探す時間も惜しいので構内一階にある「麺将 武士(もののふ)」で手を打つことにした。
店内が混んでいるのは立地のいいせいもあるだろう。働いている店員たちも若いひとが多かった。
メニューをみて信州味噌らーめん「道三(どうさん)」を注文する。周りの客が食べているのをチラリとみてラーメン丼が小さかったので餃子も追加した。
表面のこってりした脂で麺が熱々は嬉しい。スープにはたっぷりの葱と刻み玉葱が入っていたせいでちょっと甘いか。ラーメンは麺が少ないので六十点、餃子の味はまあ並といったところであった。
さてと、では紅葉観光に向かうとしよう。そういえば、去年のいまごろは京都で紅葉をみたっけと思いだしてしまう。
池波正太郎が「真田太平記二 秘密」で上田駅あたりを書いている箇所がある。
『信越線・上田駅に下車し、駅前の広場をぬけ、北方へのぼる坂道を十分も行くと、上田城の大手口へ達する。
坂道といっても、この大通りは現代の上田市のメーン・ストリートで、ここ十年ほどの間に、上田市は
見ちがえるような繁華な都市となった。
真田昌幸築城のときからの、古い町すじである海野町・原町も、このあたりにある。
そのころ、現代の上田駅は、千曲川の川原であったろう。千曲川のながれは、もっと上田市の近くまでせまってい、
上田城下は断崖の上に在ったのだ。』
二の丸橋の前を通り過ぎ、その先にある上田城跡北観光駐車場に車を放り込む。この駐車場も一時間まで無料とはなんとも嬉しいことだ。
二の丸掘跡のけやき並木遊歩道を歩いて二の丸橋に向かう。
なんとも雰囲気のいい径だ。
歩きはじめてしばらくすると、いつのまに紅葉に包まれていた。
このくらいの紅葉で溜息をつくのはいかにも早かった、上田城の紅葉の序章だったと後で思い知ることになるのだった。
― 続く ―
→「くるまやラーメン」の記事はこちら
→「紅葉とあぶり餅(1)」の記事はこちら
→「紅葉とあぶり餅(2)」の記事はこちら
上田駅に着いたのは昼過ぎだった。
駅舎がずいぶん大きくなったように思えるのは、前に来たときは新幹線開業前だったのだろう。駅前のロータリーに三十分無料の駐車場をみつけたのでこれ幸いと車を入れる。腹が減っては戦も観光もできぬ、だ。まずはなにか食べるとしよう。
くるまやラーメンの味噌ラーメンといきたいところだが、探す時間も惜しいので構内一階にある「麺将 武士(もののふ)」で手を打つことにした。
店内が混んでいるのは立地のいいせいもあるだろう。働いている店員たちも若いひとが多かった。
メニューをみて信州味噌らーめん「道三(どうさん)」を注文する。周りの客が食べているのをチラリとみてラーメン丼が小さかったので餃子も追加した。
表面のこってりした脂で麺が熱々は嬉しい。スープにはたっぷりの葱と刻み玉葱が入っていたせいでちょっと甘いか。ラーメンは麺が少ないので六十点、餃子の味はまあ並といったところであった。
さてと、では紅葉観光に向かうとしよう。そういえば、去年のいまごろは京都で紅葉をみたっけと思いだしてしまう。
池波正太郎が「真田太平記二 秘密」で上田駅あたりを書いている箇所がある。
『信越線・上田駅に下車し、駅前の広場をぬけ、北方へのぼる坂道を十分も行くと、上田城の大手口へ達する。
坂道といっても、この大通りは現代の上田市のメーン・ストリートで、ここ十年ほどの間に、上田市は
見ちがえるような繁華な都市となった。
真田昌幸築城のときからの、古い町すじである海野町・原町も、このあたりにある。
そのころ、現代の上田駅は、千曲川の川原であったろう。千曲川のながれは、もっと上田市の近くまでせまってい、
上田城下は断崖の上に在ったのだ。』
二の丸橋の前を通り過ぎ、その先にある上田城跡北観光駐車場に車を放り込む。この駐車場も一時間まで無料とはなんとも嬉しいことだ。
二の丸掘跡のけやき並木遊歩道を歩いて二の丸橋に向かう。
なんとも雰囲気のいい径だ。
歩きはじめてしばらくすると、いつのまに紅葉に包まれていた。
このくらいの紅葉で溜息をつくのはいかにも早かった、上田城の紅葉の序章だったと後で思い知ることになるのだった。
― 続く ―
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→「紅葉とあぶり餅(1)」の記事はこちら
→「紅葉とあぶり餅(2)」の記事はこちら
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