月曜日は振替休日で、コロナ禍で家にこもりがちな息子を家内は連れ出し、息子が行きたがっていた遊園地に行ったようです。
下校後に毎日のように近所の子供らと遊ぶ時間はあるものの、ちょっと刺激に乏しくストレスが溜まっている様子なので、家内には感謝です。
さて本日の作品紹介は亡くなった家内の実家にあった作品で、現在義妹が仙台の自宅に飾っている作品です。
平成3年(1991年)台風第19号によって被害にあった家内の実家を補修するために家を整理している際に義父から見せられたことがあり、その時は未額装か古びて痛んだ額装であったように思います。その後、亡くなった義父のせっかくの遺品だからということで、当方にて額装に仕立てた作品ですが、2021年の仙台の地震で、義妹が自宅に飾っていた際に作品が落下し額が壊れてしまったという連絡があり、東京まで送ってもらい修理のために新たな額装にしました。
*小林喜代吉については奥入瀬渓流を中心とした題材で油彩を描き、小坂に縁のある画家という以外の詳細は不明です。
幸いにも作品自体は破損していませんでした。
思い出深い作品 十和田湖の櫻花 小林喜代吉画
油彩額装 誂タトウ+黄袋
号 全体サイズ:横*縦 画サイズ:横*縦(未測定 6号程度)
当方では地元の秋田の画家を調べるには下記の本をバイブルとしていますが、両方の本には小林喜代吉は掲載されておらず、前述のように小林喜代吉については小坂に縁のある画家という以外の詳細は不明でした。
調べていくと下記の事項が判明しています。
出身地:森田村(もりたむら)の生まれで、森田村は青森県西津軽郡に位置する村です。2005年2月11日につがる市が発足するのに伴い廃止されています。縁が深いとされる秋田県小坂町の生まれではないようです。
師事した画家「牧野虎雄」:明治23年(1890年)12月15日 ~ 昭和21年(1946年)10月18日 日本の洋画家。昭和7年(1932)槐樹社の解散後、岩井弥一郎、上野山清貢、小林喜代吉、鈴木金平等、旧槐樹社同人が発起人となり、牧野虎雄を盟主とし、その盟友、門下生を結集して「旺玄社」を組織、昭和8年3月、第1回展を東京府美術館で開催しています。
書付は小林喜代吉によるものかどうかは不明ですが、タッチから小林喜代吉本人が描いた作品に相違ないでしょう。
暫くは亡くなった家内の実家の2階に飾っていた作品で、リンゴ台風、延々と続いていた家の改装など義父・家内・義母ともに過ごした時間をこの作品を観ると思い出します。
十和田湖においては発荷峠からみる景色に十和田湖を前景としての山脈が遠望できます。
本作品に描かれている「十和田湖に突き出している岬」は小坂出身の画家「福田豊四郎」が好んで描いています。
湖上の岬 福田豊四郎筆 その49
紙本水墨軸装 軸先象牙 共箱入
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横*縦 12号(未計測)
*本ブログでは福田豊四郎、伊藤弥太らの地元出身の画家が描いた十和田湖の作品が幾つか紹介しています。郷里の画家の作品は郷里に縁のある者が蒐集するのがしっくりきます。ただ自分の故郷を振り返る方が年々少なくなっているのは気がかりですね。異論はあるかもしれませんが、ふるさと納税などよりもっと歴史を含めたふるさとへの回顧が必要だと当方では思っています。
下校後に毎日のように近所の子供らと遊ぶ時間はあるものの、ちょっと刺激に乏しくストレスが溜まっている様子なので、家内には感謝です。
さて本日の作品紹介は亡くなった家内の実家にあった作品で、現在義妹が仙台の自宅に飾っている作品です。
平成3年(1991年)台風第19号によって被害にあった家内の実家を補修するために家を整理している際に義父から見せられたことがあり、その時は未額装か古びて痛んだ額装であったように思います。その後、亡くなった義父のせっかくの遺品だからということで、当方にて額装に仕立てた作品ですが、2021年の仙台の地震で、義妹が自宅に飾っていた際に作品が落下し額が壊れてしまったという連絡があり、東京まで送ってもらい修理のために新たな額装にしました。
*小林喜代吉については奥入瀬渓流を中心とした題材で油彩を描き、小坂に縁のある画家という以外の詳細は不明です。
幸いにも作品自体は破損していませんでした。
思い出深い作品 十和田湖の櫻花 小林喜代吉画
油彩額装 誂タトウ+黄袋
号 全体サイズ:横*縦 画サイズ:横*縦(未測定 6号程度)
当方では地元の秋田の画家を調べるには下記の本をバイブルとしていますが、両方の本には小林喜代吉は掲載されておらず、前述のように小林喜代吉については小坂に縁のある画家という以外の詳細は不明でした。
調べていくと下記の事項が判明しています。
出身地:森田村(もりたむら)の生まれで、森田村は青森県西津軽郡に位置する村です。2005年2月11日につがる市が発足するのに伴い廃止されています。縁が深いとされる秋田県小坂町の生まれではないようです。
師事した画家「牧野虎雄」:明治23年(1890年)12月15日 ~ 昭和21年(1946年)10月18日 日本の洋画家。昭和7年(1932)槐樹社の解散後、岩井弥一郎、上野山清貢、小林喜代吉、鈴木金平等、旧槐樹社同人が発起人となり、牧野虎雄を盟主とし、その盟友、門下生を結集して「旺玄社」を組織、昭和8年3月、第1回展を東京府美術館で開催しています。
書付は小林喜代吉によるものかどうかは不明ですが、タッチから小林喜代吉本人が描いた作品に相違ないでしょう。
暫くは亡くなった家内の実家の2階に飾っていた作品で、リンゴ台風、延々と続いていた家の改装など義父・家内・義母ともに過ごした時間をこの作品を観ると思い出します。
十和田湖においては発荷峠からみる景色に十和田湖を前景としての山脈が遠望できます。
本作品に描かれている「十和田湖に突き出している岬」は小坂出身の画家「福田豊四郎」が好んで描いています。
湖上の岬 福田豊四郎筆 その49
紙本水墨軸装 軸先象牙 共箱入
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横*縦 12号(未計測)
*本ブログでは福田豊四郎、伊藤弥太らの地元出身の画家が描いた十和田湖の作品が幾つか紹介しています。郷里の画家の作品は郷里に縁のある者が蒐集するのがしっくりきます。ただ自分の故郷を振り返る方が年々少なくなっているのは気がかりですね。異論はあるかもしれませんが、ふるさと納税などよりもっと歴史を含めたふるさとへの回顧が必要だと当方では思っています。