夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

薔薇 宮本三郎画 その3

2024-11-20 00:01:00 | 洋画
実家に飾れられていた宮本三郎の作品。いつかは欲しいと思いながら、色紙や水彩の作品は入手できていたのですが、今回はちょっと奮発して東京美術倶楽部の鑑定書が添えられている油彩の作品を入手しました。



薔薇 宮本三郎筆 その3
東京美術倶楽部鑑定書:NO014-1602(平成26年6月25日)
油彩額装 黄袋+タトウ
F8号 額サイズ:縦555*横630 画サイズ:縦380*横455



久方ぶりに投稿する画家ですので改めての画歴は下記のとおりです。

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宮本 三郎(みやもと さぶろう、1905年5月23日 - 1974年10月13日)は、日本の洋画家。金沢美術工芸大学名誉教授。石川県能美郡末佐美村(現・小松市)生まれ。



1905年、石川県小松市に生まれ、旧制小松中学校に在学中に陸軍幼年学校を受験するも落ちたため中学校を中退、画家になることを志します。

1922年(大正11年)に上京すると川端画学校に入り富永勝重、藤島武二に師事しています。また安井曾太郎、前田寛治からも教えを受けました。
関東大震災後に京都に移り、関西美術院で黒田重太郎の指導を受けています。

1936年(昭和11年)、二科会に新会員として迎えられます。

参考作品 「金魚鉢と女」 1936年作 
世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館蔵 



油絵の他に雑誌の挿絵、新聞小説の挿絵も多く手がけ、第二次世界大戦中はシンガポールの戦いを題材に『山下、パーシバル両司令官会見図』など戦争画も手がけています。(同画は、戦後GHQに接収されましたが、1970年(昭和45年)に日本に永久貸与という形で返還、国立近代美術館に保管されています)。

参考作品 「女優」 1961年作 
世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館蔵 
 

このほか国立霞ヶ丘競技場陸上競技場の壁画や切手の原画などで知られ晩年には木版画の作品も手がけています。

娘・美音子の夫は英文学者の宮本陽吉で、宮本陽一郎は孫にあたります。

2021年(令和3年)、愛知県美術館が所蔵する『家族』(1956年)を調べたところ、キャンバスの下から別の作品が見つかり、調査の結果、1937年(昭和12年)に発表後長らく行方不明であった『裸婦』であることが判明しています。

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本作品中のサインは下記の写真のとおりです。



下記は東京美術倶楽部の鑑定書となります。



母の実家に飾られていた作品は下記の作品です。

薔薇 宮本三郎画
油彩額装共シールタトウ箱入 画サイズ:縦384*横310



 

上記作品と似たような構図で、本格的な油彩の作品には、下記のような作品があります。



当方には下記のような作品もあります。

横たわる婦人 宮本三郎筆 その1
紙本水彩色紙 裏サイン
画サイズ:縦272*横242



 

雪の中の村落 宮本三郎筆
紙本水墨淡彩額装 誂黄袋+タトウ
M12号 額サイズ:縦580*横790 画サイズ:縦410*横630





紆余曲折の当方の蒐集は続きます。

宮本三郎の詳細な画歴は下記のとおりです。

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1905年 石川県出身
1920年 画家を志して小松中学校を中退し上京
    川端画学校で藤島武二らに学ぶ。 神戸へ移住
1923年 光風会展初入選。中央美術展入選(~'29年)。 震災のため京都へ移住
1926年 再び上京し、川端画学校に復帰。 湯島写実研究所で前田寛治に学ぶ
1927年 二科展初入選(~'44年)
1931年 鉦人社展出品(~'36年)
1932年 二科会会友に推挙
1934年 初個展開催「宮本三郎油絵素描展」(銀座画廊)
1935年 東京世田谷区奥沢にアトリエを新築移住
    新聞、雑誌の仕事を数多く手掛けるようになる
    東京府美術館開館十周年記念現代総合美術展出品
1936年 二科会会員に推挙
1937年 田村孝之介、栗原信と「朱玄会」を結成、出品(~42年)
1938年 渡欧し、パリのアカデミー・ランソンに籍をおく(~39年)
1940年 二科展に滞欧作を特別陳列
    陸軍省嘱託として戦争記録画制作のため中国に赴く
1942年 戦争記録画制作のため、南方戦線に従軍
    大東亜戦争美術展特別陳列
1943年 帝国芸術院賞受賞
1944年 朝日文化賞受賞。 石川県小松市に疎開
    石川県美術文化協会設立、評議員・企画委員に就任
1946年 金沢市立美術工藝専門学校(現・金沢美術工芸大学)講師に就任
1947年 旧二科会会員の熊谷守一、田村孝之介ら9名と「第二紀会」を創立
    第1回二紀会展開催(東京都美術館)
1948年 金沢美術工芸大学教授に就任(~'50年)
    金沢文化賞受賞。 疎開先より世田谷区の自宅に戻る
1950年 選抜秀作美術展出品
1951年 サンパウロ・ビエンナーレ出品
1952年 イタリア、スペイン、ギリシア巡遊後、パリ近郊の写生に専念
1953年 帰国後、宮本三郎滞欧作品展を開催
    東京都美術館参与に就任。 多摩美術大学絵画科教授に就任(~'65年)
1954年 石川県繊維会館に壁画「産業と文化」完成
    エジプト国際展褒賞受賞
1955年 東京教育大学教育学部芸術科の非常勤講師に就任(~'64年)
1956年 安井賞評議員及び審査員に就任(~74年)
1957年 宮本三郎素描展「舞妓」開催
1958年 日本美術家連盟初代理事長に就任
1959年 日本美術家連盟が美術家会館の建設を決議、委員長に就任
1960年 国際造形芸術家連盟日本国内委員長に就任
1961年 15周年記念二紀展出品
1963年 ユネスコ国内委員会委員に就任
    日本国際美術展招待出品
1964年 国立競技場にモザイク壁面装飾完成
1965年 自選展開催(日動サロン)
1966年 日本芸術院会員に任命
1967年 二紀会が社団法人となり、初代理事長に就任
1968年 郵政審議会専門委員に就任
1969年 個展開催「宮本三郎 花・裸婦・舞妓展」
1970年 国立西洋美術館評議会評議委員に就任
    東京都美術館運営委員に就任
1971年 金沢美術工芸大学名誉教授に就任
    ユネスコ・アジア文化センター評議員に就任
    個展開催「宮本三郎作品展・花と裸婦・女神たちの復活」
1972年 東京都新美術館建設委員に就任
1973年 文化庁芸術文化専門調査会委員に就任
1974年 没(享年69歳)
    従四位に叙せられ勲二等瑞宝章を賜る
    二紀展に遺作「假眠」出品、同展から宮本賞が創設
1975年 国立近代美術館に作品寄贈
    宮本三郎遺作展開催(朝日新聞社主催、日本橋三越)
1980年 松崎町に小松市立博物館分館・宮本三郎記念美術館が開館
    七回忌記念「宮本三郎回顧展」開催
1981年 財団法人美術文化振興会主催により宮本三郎記念賞が創設
    宮本三郎素描展(愛知県美術館)
1986年 宮本三郎展開催(東京日本橋・三越、小松市立博物館)
1993年 「特集 宮本三郎と鴨居玲」(石川県立美術館)
1996年 第50回記念二紀展で特別展示
1999年 「よみがえる宮本三郎の世界」展(世田谷美術館)
    「没後25年 写実と幻想の巨匠 宮本三郎」展(石川県立美術館)
    「宮本三郎の世界」展(奈良そごう)
2000年 小松市立宮本三郎美術館開館
    開館記念展「宮本三郎-故郷にみる 実り豊かな軌跡-」展開催
2001年 「小磯良平と宮本三郎」展が開催(小松市立宮本三郎美術館)
2004年 開館記念「宮本三郎展」(世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館)

所蔵/東京国立近代美術館、石川県立美術館、茨城県近代美術館、東京都現代美術館、
神奈川県立近代美術館、群馬県立近代美術館、愛知県美術館、北海道立函館美術館、
名古屋美術館、町田市立国際版画美術館、世田谷美術館、佐久市立近代美術館、辰野美術館、
宮本三郎記念美術館、他

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ようやく本格的な油彩の宮本三郎の作品が入手できました。





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