「昼食はなにがいい?」と家内が尋ねるので「ラーメン!」と小生、「外で!」と息子。二人の意見により外でラーメン?
家内のブログから写真を拝借。
落花生を干している庭で・・。
「外は気持ちがいいね!」と息子。瓶かごをテーブルにして、息子はすべて平らげました。瓶かごやミカン箱は昔は勉強机・・・・。
さて先日の東京美術倶楽部でのアートフェアで黒田陶々庵の出店に平櫛田中作の立派な「福聚大黒天尊像」が出品されていました。
そこで思い出して当方の作品の紹介ですが、今回の作品はあくまでも残念ながら「伝」となります。
福聚大黒天尊像 その2 伝平櫛田中作
共箱
高さ165*幅180*奥行
参考にした同じような作品の箱には次のような記述があるようです。「このつちはたからうちだすつちならでのらくらもののあたまうつつち」・・、大黒天が握っている槌は打ち出の小槌ではない?
「のらくらもの」は怠け者? 怠け者の頭をコツンと叩く槌なんだという意味のようです。神仏に願いごとだけして、あとは何も行動を起こさない人に痛烈な批判のような言葉です。
参考資料 同型の作品より
こちらの参考作品は96歳の時の作で、落ち着いた顔立ちですね。
やはり地道に努力を続けることが、幸運をつかみ取る一番の近道ということらしい。
当方の作品は「伝」としているのはどうも彩色が雑な点・・。
原因は数多く作ったことによるのか、まだ彩色に技術が未成熟であることか、昭和26年は大黒天に作り始めて間もないころらしい、はたまた贋作・・??
「欲張るといけないね、地道に努力しなさい。」という戒めの作品。
知人が以前にこの作品と同じ大きさの「福聚大黒天尊像」を思文閣に買い取ってもらうことに関与したことがありましたが、その買取価格が当時で200万だったと思います。
数多く同型の作品が作られていますが、意外に人気の高い作品です。金属でできたレプリカや金一色で彩色された模倣品もありますので、贋作には十分な注意が必要です
贋作は作り、彩色、箱書き共々稚拙なものが多いのでその点で数多くの真贋が判別できるようです
平櫛田中の彩色は本ブログでも「桃太郎侍」や「弁天像」で紹介しているおなじみの平野富山が手掛けています。そちらの作品は真作と思いますが、年を経るごとにやはり彩色の出来が緻密になってきています。
*観音像などには安田靭彦が彩色をしている作品があります。
力作は一般的に台座が誂えれていますが、黒田陶々庵の出店の作品にも台座があり、かなりの力作でした。
本作品は保存状態が抜群で、ほどとんど飾られていた形跡がありません。
作品を見るときにはいいところに目がいくことも大切ですが、雑ね点も見抜けなくてはいけないようです。
一度入手すると神様や仏様は大切にしなくていけませんね。仕舞いっぱなしではなく、きちんと飾りお供えをすることです。それができない場合は神社やお寺に寄進することにしています。
当方の所蔵に大黒様はいったい何点あるのだろうか? その数だけ頭が叩かれるので頭が痛くなってきました
以前に紹介した少し小ぶりの作品もあります。こちらの絵付はおそらく平野富山でしょう。
骨董には贋作がつきもので、これは避けて通れません、信頼の置ける骨董商にそれなりの金額を支払えば間違いありませんが、そのコストは莫大になります。著名なコレクターも多くの贋作に悩みながらめげることなく蒐集したそうです。益田鈍翁でさえ、蔵一個分の贋作があったそうです。
我が蒐集に幸多かれ!
「頼むぜ! 大黒様!」おっと、冒頭の「神仏に願いごとだけして、あとは何も行動を起こさない人には痛烈な言葉です。」ということを忘れそう・・。
ともかく蒐集は贋作を恐れてなにもしない、他人の作品の批評だけするというのは蒐集するものとして失格のようです。まずは反省しながら自腹で作品を買うこと。なにごともチャレンジ!
さて小生の自腹にはラーメンがたっぷりと詰め込まれました
家内のブログから写真を拝借。
落花生を干している庭で・・。
「外は気持ちがいいね!」と息子。瓶かごをテーブルにして、息子はすべて平らげました。瓶かごやミカン箱は昔は勉強机・・・・。
さて先日の東京美術倶楽部でのアートフェアで黒田陶々庵の出店に平櫛田中作の立派な「福聚大黒天尊像」が出品されていました。
そこで思い出して当方の作品の紹介ですが、今回の作品はあくまでも残念ながら「伝」となります。
福聚大黒天尊像 その2 伝平櫛田中作
共箱
高さ165*幅180*奥行
参考にした同じような作品の箱には次のような記述があるようです。「このつちはたからうちだすつちならでのらくらもののあたまうつつち」・・、大黒天が握っている槌は打ち出の小槌ではない?
「のらくらもの」は怠け者? 怠け者の頭をコツンと叩く槌なんだという意味のようです。神仏に願いごとだけして、あとは何も行動を起こさない人に痛烈な批判のような言葉です。
参考資料 同型の作品より
こちらの参考作品は96歳の時の作で、落ち着いた顔立ちですね。
やはり地道に努力を続けることが、幸運をつかみ取る一番の近道ということらしい。
当方の作品は「伝」としているのはどうも彩色が雑な点・・。
原因は数多く作ったことによるのか、まだ彩色に技術が未成熟であることか、昭和26年は大黒天に作り始めて間もないころらしい、はたまた贋作・・??
「欲張るといけないね、地道に努力しなさい。」という戒めの作品。
知人が以前にこの作品と同じ大きさの「福聚大黒天尊像」を思文閣に買い取ってもらうことに関与したことがありましたが、その買取価格が当時で200万だったと思います。
数多く同型の作品が作られていますが、意外に人気の高い作品です。金属でできたレプリカや金一色で彩色された模倣品もありますので、贋作には十分な注意が必要です
贋作は作り、彩色、箱書き共々稚拙なものが多いのでその点で数多くの真贋が判別できるようです
平櫛田中の彩色は本ブログでも「桃太郎侍」や「弁天像」で紹介しているおなじみの平野富山が手掛けています。そちらの作品は真作と思いますが、年を経るごとにやはり彩色の出来が緻密になってきています。
*観音像などには安田靭彦が彩色をしている作品があります。
力作は一般的に台座が誂えれていますが、黒田陶々庵の出店の作品にも台座があり、かなりの力作でした。
本作品は保存状態が抜群で、ほどとんど飾られていた形跡がありません。
作品を見るときにはいいところに目がいくことも大切ですが、雑ね点も見抜けなくてはいけないようです。
一度入手すると神様や仏様は大切にしなくていけませんね。仕舞いっぱなしではなく、きちんと飾りお供えをすることです。それができない場合は神社やお寺に寄進することにしています。
当方の所蔵に大黒様はいったい何点あるのだろうか? その数だけ頭が叩かれるので頭が痛くなってきました
以前に紹介した少し小ぶりの作品もあります。こちらの絵付はおそらく平野富山でしょう。
骨董には贋作がつきもので、これは避けて通れません、信頼の置ける骨董商にそれなりの金額を支払えば間違いありませんが、そのコストは莫大になります。著名なコレクターも多くの贋作に悩みながらめげることなく蒐集したそうです。益田鈍翁でさえ、蔵一個分の贋作があったそうです。
我が蒐集に幸多かれ!
「頼むぜ! 大黒様!」おっと、冒頭の「神仏に願いごとだけして、あとは何も行動を起こさない人には痛烈な言葉です。」ということを忘れそう・・。
ともかく蒐集は贋作を恐れてなにもしない、他人の作品の批評だけするというのは蒐集するものとして失格のようです。まずは反省しながら自腹で作品を買うこと。なにごともチャレンジ!
さて小生の自腹にはラーメンがたっぷりと詰め込まれました