夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

ナザレの海 伊勢正義画 制作年不詳

2019-10-15 00:01:00 | 洋画
人命第一を尊重したラグビー世界大会、災害に学んだ原理原則の大切さを日本は忠実に実行したことに私は敬意を表したい。おかげで?雨で順延であった昨日の幼稚園の運動会も中止・・・

さて我が郷里の画家、「伊勢正義」は五回にわたり欧州各地やアフリカなどへ取材旅行に出かけており、海外を題材にした作品も数多く遺しています。本日は少女ら女性を描いた作品が印象にある異性正義の海外の風景を描いた作品の紹介です。

ナザレの海 伊勢正義画 制作年不詳
油彩額装 左下サイン 誂タトウ+黄袋 
画サイズP10号:縦409*横530 全体サイズ:縦595*横713



題名の「ナザレ」は有名なイスラエル北部地区の中心都市のことではなく、海に面していることからポルトガルの首都リスボンから北へ約120kmの位置にあるナザレという海辺の村であろうと思われます。



この村は10年ほどまではほとんど知られていなかった村ですが、冬になると大西洋に吹き荒れる嵐が生み出す壁のようなビッグウェーブが打ち寄せるため、今ではビッグウェーブサーファーたちがこぞって訪れる人気ポイントになっているそうです。



*伊勢正義については「大正14年旧東京美校(藤島武二教室)洋画科に入り卒。昭和11年、猪熊弦一郎、小磯良平らとともに新制作協会の創立に参加、帝展特選、光風会展四回受賞などの画歴を持つ。同協会の重鎮。この間、五回にわたり欧州各地やアフリカなどへ取材旅行に出かけ、丹羽文雄ら著名作家の連載小説の挿絵も手掛けた。」という記事があります。



晩年にはアラブ、アフリカの生活を題材にした作品で知られていた画家ですが、初期の頃の作か晩年の作かも不明です。



少女の肖像で人気の画家で、当時の週刊誌の表紙に何度も採用されている画家でしたが、戦前の混乱期、また画壇の紛糾していた時代に製作活動を続けていた画家でもあります。このような風景画の画家としても改めて見直すべき洋画家のひとりと言えるでしょう。



本ブログでも郷土の画家として紹介してきましたが、郷土の画家としてだけでなく、日本の洋画家として評価してよい画家であろうと思います。



左下のサインは年号? なのかどうかは不明です。



ギャルリーソノリテは現在でも存在する百貨店おろしの店のようです。



展示室の廊下では飾り切れないくらいの数が蒐集できています。



伊勢正義の作品、ひと作品くらいは所蔵してみたらいかがでしょうか?



我が郷里の方々、とくに秋田県北の方、十和田湖に近い方は日本画家なら福田豊四郎、洋画は伊勢正義の作品をお勧めします。



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