夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

黒唐津花入(瓢)

2011-03-23 06:16:05 | 陶磁器
ブログに投稿してますと、愛好から貴重なコメントがあり、こちらで今まで判断がつかなかった作品の新しい知識が加わります。たとえば大橋翠石の「正面の虎」、上野焼の「緑釉水指」などです。

過去の三陸を襲った津波を著した「海の壁」という本を読んでいます。
明治の頃の被害と現在の被害はほぼ同じ・・災害は忘れた頃に繰り返す。

事故・災害は必ず同じパターンで繰り返すというのは私も現場管理の業務の頃から学び取ったもの。過去の事例から学び、そして現場でその事例に陥りやすい時に勘が働くことが肝要・・、歴史は必ず繰り返す。・・改めて災害の恐ろしさを痛感する本です。

黒唐津花入(瓢)
径85*高さ125 時代箱入

はてさて、本作品はどこで入手したのかも忘れてしまいました。

本作品は黒唐津といわれるらしい?もので、鉄釉が黒く発色したもので、鉄の含有量が少なければ褐色や飴色を呈するようですが、この種の唐津は藤の川内、飯洞甓下、飯洞甓上、道納屋谷、阿房谷、道園などの諸窯で焼かれ、黒唐津の鉄釉の上からさらに長石釉を掛けて白濁させた蛇蝎唐津は、猪ノ古場、祥古谷などで焼かれたそうです。




黒唐津の残存数は少なく、壷、徳利が多いが、他に茶碗、皿があるとか。



この花入れは本来、徳利として製作されたものでしょう。変形し、釉薬も飛んだため失敗作として放置された可能性があり、おそらく発掘品を、上部の口部分を切断し花入れに見立てたのではないかと推察されます。新しいものをわざわざ細工する御仁もおられるので御用心らしいですが・・。

写真は古いのでピンボケ・・。



底は糸切底、茶味があり、花入の小品としてはたしかによさそうです。「達磨」とでも銘するのも一興かな。



唐津は以前に唐津茶碗を掲載しました。


唐津焼:起源についてはまだ良くわかっていない。ただ、文禄の役以前の室町時代末期から岸岳の麓の飯洞甓などいくつかの窯で焼かれていたようで、陶工はおそらく朝鮮との交易なかで移住してきた人々であったと考えられる。

素朴な抽象文や草文が鉄釉で描かれた日常雑器など、渋味に満ちた焼き物が焼かれていた。これが古唐津の創始期で、その後秀吉の朝鮮出兵を機に唐津焼は隆盛期を迎えた。

役後、大多数で移住してきた朝鮮の陶工達が、現在の唐津市の南、東松浦郡、伊万里市、武雄市、有田市や佐世保市一帯に百以上の窯を築いた。

土地によって、土味が違うため、胎土の変化に伴う釉薬の工夫、絵付けの創意が行われた。今日、唐津ほどその深い味わいを称揚されながら、制作期、作行の分類などが困難なものはないとされている。


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