藤井達吉の作品は画中に落款のないことが多いです。また印章のみ場合も多く、購入時に戸惑うことがあります。共箱でない場合には全く作品を保障するものがありません。浜田庄司や河井寛次郎の作品と同じです。購入する側の判断のみが基準になります。
本作品も画中にはなんら藤井達吉の痕跡はありません。ただ箱書きがあり共箱になっています。
金瓜図 藤井達吉筆
和紙着色軸装 軸先木製 共箱
全体サイズ:縦1490*横710 画サイズ:縦483*横595
黒一色の背景に金色の瓜の作品・・。個性的な画風は藤井達吉らしい逸品です。
藤井達吉は近所から野菜をいただくとお礼に墨で描いた作品を与えていたらしいです。しかもその作品は無落款で印章もない・・
表具が痛んでいた場合、いかにすべきか俗人の小生はおおいに悩みます。表具代金・・、4万円~5万円程度(特別価格)と作品の金銭的な価値とを思わず比べて躊躇しています。このような作品が書斎の机の脇に山積みになってきました。ガラクタ状態になってきており、いかにしたらよいものやら・・。
さて、高尚な話・・。
藤井達吉は芸術についてこう述べています。「芸術作品は、作者の人間性、全人格が優劣を決めるのであって、技術ではない。」、「最後は『人格』に帰する。何をしてもこの『人格』の表現だ。」と表現しているように人格の大切さを唱えています。
そして、芸術を行なう理由として「より人間らしく生き、人間らしく生きるために芸術をおこなうのである。」と言っています。
達吉の言う「人間らしさ」とは、常に向上するです。つまり、咋日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求めつづけるという意味でしょう。それは、人が人を、自然を愛し、慈しみ、感謝し、心豊かに生活することと言えます。芸術だけではなくすべてのことに共通する言葉です。人格というものを軽んじる傾向の多い周りを鑑みるとこの言葉は胸にしみこみますね。
友人に当てた書簡につぎの言葉がある。
芸術とは何ぞや宗教なり
宗教とは何ぞや真実なり
真実とは何ぞや愛なり
愛とは何ぞや芸術なり
藤井達吉の創作は、日本画・油彩画・刺繍・染色・陶芸・漆芸・七宝・金工・木工・竹工・紙芸・書・歌など、多くの分野に及んでいますが、美術学校にも行けず、独学で芸術の道を歩んだ達吉に美を教えたものは、「自然」であったのでしょう。草花の無駄の無い美しさに美の本質を見つけ、そこから芸術を学んだのです。
藤井達吉:1881-1964明治-昭和時代の工芸家。明治14年6月6日生まれ。名古屋で七宝店につとめたのち美術工芸の道をこころざし,新感覚の染織,紙工芸などを発表する。工芸革新運動にもくわわり,昭和2年帝展工芸部誕生の推進力となる。小原工芸和紙や瀬戸の陶芸も指導した。昭和39年8月27日死去。83歳。愛知県出身。
小原村にあった工房、瀬戸市に移築され茶室として利用されています。達吉は師も弟子もなく、生涯独身ですごし一切の妥協を排し、名利に悟淡として一所不在の生活をおくり、「孤高の芸術家」といわれました。
草花の無駄の無い美しさに美の本質を見つけ、そこから芸術を学んだ。路傍の雑草一本にも心を使い、庭は手入れをせず、自由奔放に育った雑草と四季の移り変りの美を大切にするのである。「自然を見つめる。言い換えれぱ自然を愛すること。そして自然に教えられることが芸術の第一歩ではなかろうか。」「写生から出発し、写生を超越して創造に行くのが芸術である。」と言っているように、根底にあるものは「自然を観察せよ。」の信念であり、全てここから出発している。このことは、達吉の多くの作品の基となっているとのこと。
さて私も田舎に住み移ろうか・・、果たせぬ夢か・・。
参考作品
旭日図
思文閣墨蹟資料目録 和の美 題443号 作品NO78
参考作品
百合花
思文閣墨蹟資料目録 和の美 題474号 作品NO44
本日投稿した作品と同時期に製作されたと思われる作品は下記のものです。
参考作品
朧月
思文閣墨蹟資料目録 和の美 題451号 作品NO23
作品には無落款で印章も押印されいません。
箱書きも印章以外は同じようです。箱のシミ跡まで一緒のようです。金泥を薄くのせて本作品とはまた違った叙情豊かな作品になっています。
本作品は折れが鑑賞の支障になっているようで表具の改装が必要かと思います。いい茶掛になりそうな気がしますが、金瓜という画題がどうも・・・
本作品も画中にはなんら藤井達吉の痕跡はありません。ただ箱書きがあり共箱になっています。
金瓜図 藤井達吉筆
和紙着色軸装 軸先木製 共箱
全体サイズ:縦1490*横710 画サイズ:縦483*横595
黒一色の背景に金色の瓜の作品・・。個性的な画風は藤井達吉らしい逸品です。
藤井達吉は近所から野菜をいただくとお礼に墨で描いた作品を与えていたらしいです。しかもその作品は無落款で印章もない・・
表具が痛んでいた場合、いかにすべきか俗人の小生はおおいに悩みます。表具代金・・、4万円~5万円程度(特別価格)と作品の金銭的な価値とを思わず比べて躊躇しています。このような作品が書斎の机の脇に山積みになってきました。ガラクタ状態になってきており、いかにしたらよいものやら・・。
さて、高尚な話・・。
藤井達吉は芸術についてこう述べています。「芸術作品は、作者の人間性、全人格が優劣を決めるのであって、技術ではない。」、「最後は『人格』に帰する。何をしてもこの『人格』の表現だ。」と表現しているように人格の大切さを唱えています。
そして、芸術を行なう理由として「より人間らしく生き、人間らしく生きるために芸術をおこなうのである。」と言っています。
達吉の言う「人間らしさ」とは、常に向上するです。つまり、咋日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求めつづけるという意味でしょう。それは、人が人を、自然を愛し、慈しみ、感謝し、心豊かに生活することと言えます。芸術だけではなくすべてのことに共通する言葉です。人格というものを軽んじる傾向の多い周りを鑑みるとこの言葉は胸にしみこみますね。
友人に当てた書簡につぎの言葉がある。
芸術とは何ぞや宗教なり
宗教とは何ぞや真実なり
真実とは何ぞや愛なり
愛とは何ぞや芸術なり
藤井達吉の創作は、日本画・油彩画・刺繍・染色・陶芸・漆芸・七宝・金工・木工・竹工・紙芸・書・歌など、多くの分野に及んでいますが、美術学校にも行けず、独学で芸術の道を歩んだ達吉に美を教えたものは、「自然」であったのでしょう。草花の無駄の無い美しさに美の本質を見つけ、そこから芸術を学んだのです。
藤井達吉:1881-1964明治-昭和時代の工芸家。明治14年6月6日生まれ。名古屋で七宝店につとめたのち美術工芸の道をこころざし,新感覚の染織,紙工芸などを発表する。工芸革新運動にもくわわり,昭和2年帝展工芸部誕生の推進力となる。小原工芸和紙や瀬戸の陶芸も指導した。昭和39年8月27日死去。83歳。愛知県出身。
小原村にあった工房、瀬戸市に移築され茶室として利用されています。達吉は師も弟子もなく、生涯独身ですごし一切の妥協を排し、名利に悟淡として一所不在の生活をおくり、「孤高の芸術家」といわれました。
草花の無駄の無い美しさに美の本質を見つけ、そこから芸術を学んだ。路傍の雑草一本にも心を使い、庭は手入れをせず、自由奔放に育った雑草と四季の移り変りの美を大切にするのである。「自然を見つめる。言い換えれぱ自然を愛すること。そして自然に教えられることが芸術の第一歩ではなかろうか。」「写生から出発し、写生を超越して創造に行くのが芸術である。」と言っているように、根底にあるものは「自然を観察せよ。」の信念であり、全てここから出発している。このことは、達吉の多くの作品の基となっているとのこと。
さて私も田舎に住み移ろうか・・、果たせぬ夢か・・。
参考作品
旭日図
思文閣墨蹟資料目録 和の美 題443号 作品NO78
参考作品
百合花
思文閣墨蹟資料目録 和の美 題474号 作品NO44
本日投稿した作品と同時期に製作されたと思われる作品は下記のものです。
参考作品
朧月
思文閣墨蹟資料目録 和の美 題451号 作品NO23
作品には無落款で印章も押印されいません。
箱書きも印章以外は同じようです。箱のシミ跡まで一緒のようです。金泥を薄くのせて本作品とはまた違った叙情豊かな作品になっています。
本作品は折れが鑑賞の支障になっているようで表具の改装が必要かと思います。いい茶掛になりそうな気がしますが、金瓜という画題がどうも・・・
日本の田舎でしかわからないことですね!
バンコク、ジャカルタ、シンガポールと出張し。改めて日本の田舎の良さがわかったような気がします。
自然の草花や昆虫、小動物等々、田舎の自然と七十二候が芸術の源でしょうか?
田舎暮らしが早々に実現されますように・・・。