本日は朝から九州へ・・・。
最近いろいろと考える契機になっているの後藤新平の言葉です。後藤新平の名言にはいくつかありますが、それらの代表的な例は下記の三例があります。
金を残して死ぬのは下だ。事業を残して死ぬのは中だ。人を残して死ぬのが上だ。
人は日本の歴史に50ページ書いてもらうより、世界の歴史に1ページ書いてもらうことを心掛けねばならぬ。
妄想するよりは活動せよ。疑惑するよりは活動せよ。
一番有名なのは最初の言葉ですが、企業は存続していくために、当たり前ですがこれからの人を育まななくてはならないと思います。そうすることで企業はより良き企業文化を醸成するようになると思っています。そのためには失敗の本質を共有し、新たなことに取り組み、個人や自部署の利益だけではない夢を持ち・・・・、そうすることで人は育つ・・・・。
さて本日の作品の紹介です。
至って難しいのが所謂「壺」の世界・・。本日紹介するのは「古備前(室町時代)」と推定している作品の紹介です。
古備前櫛描波状文壷 室町時代
(協同組合)岡山県備前焼陶友会 古備前鑑定委員会 鑑定(平成7年10月7日)箱
口径113*胴径244*底径約162*高さ320
古備前という言い方は「室町から桃山時代までの頃の作品」を指し、江戸時代に入った作品は評価が格段に下がるのが一般的のようです。よって、蒐集家は古備前というと桃山期以前のものとしたがる傾向?にあります。
古備前の作品は肩が張っている作品というイメージがありますが、古い物はすんなりしている形状で非常に美しい肩を形成しているようです。
田んぼの土で、ねっとりとしたきめの細かい土を岡山では「ひよせ」と呼んでいますが、この「ひよせ」を縄のようにしてグルグル積み上げ、中と外で、手のひらで成形して作っていくいわゆる「手づくね」による作りが古備前の壺です。
この壺の良さは窯の中でふった自然釉、黄色い胡麻が備前の赤い肌に作用して実に良い調和をしているいい作品だと思います。
古備前に限らず、備前焼は基本的に焼き締めで釉薬は掛けません(胎土の収縮率が大きいため釉薬は付着しにくいのが理由)が、焼成中に掛かった灰が釉薬のようになって見所になります。ただこのような自然釉がなくても、基本は土が焼成を経て味わい深くなっているのが勘所だと思います。これは焼成の偶然の産物なので作為的には難しいようです。
本作品は室町時代の中期から後期にかけて作られた古備前の壺と思われますが。この時代の壺は丹波と古備前で見分けがつきにくいと言われています。
古備前の壺は口造りは玉縁になっており、備前は一度立ち上げた口を折り返して玉縁にしているのが特徴です。本作品は玉縁はちょっと弱い感じですが、一般的には古備前の口は玉縁になっており、力強いのが魅力です。
室町時代に焼かれた備前焼の壺には肩の所に波状紋の櫛目がある作品があり、それがこの時代の特徴と言われています。
室町時代の後期に作られた作品の特徴かと思われますが定かではありません。本作品では勢いよく描かれ、単調になりがちな古備前の作行に変化を与えており、肩に掛かった自然釉とともに見所となっています。
窯印:胴に「|+」あり。備前焼に、彫られた窯印が見られる様になったのは、一般的には、室町時代中期以降であると言われています。
備前の陶印はその大部分が共同窯に於いてその所属を明らかにするための窯印であり、その窯印には家号を用いており、丹波では共同窯の場合には各窯の部屋のよって区別しているため窯印の必要がなく、主として作者名が彫ってあるようです。
備前焼に彫られた窯印が見られる様になったのは、室町時代中期以降であると言われていますが、これは大窯を共同で焚くようになって、各自の製品がわかる様に手印を入れたのが始まりであろうと思われます。
窯印も後代になっては、その様な目的だけではなく、自己の製品の優秀性を表示する商標の如きものに変わってきたようです。窯印の書かれた場所、大きさなども多様で、室町時代後期のものは大きく、肩、胴部に彫っていますが、時代が下がってくるに従って小さく、底部に彫られるようになりました。押印は桃山時代から見られるようになって、江戸中期以降は押印の方が彫印より多くなります。特殊なものに古備前大瓶の肩に彫られた窯印があります。
本作品は通常の底ですが、高台を返すと底に二本の線があるような信楽焼などによくある下駄印は古備前では極めて珍しいようです。「古備前にも珍しくない」と言われる方もいますが、他の窯の作品も含めて鑑賞に堪えうる作品の中での比率で判断すると、つまり比較という観点からは「少ない」というほうが正しいと当方では判断しています。
また胴と底を別に作り、それをはめ込んだ跡が高台に残っている作品は室町初期~中期の古い手とされていますが、本作品は室町前期までは時代が下がらないと判断しています。
「古備前櫛描波状文壷」と題された箱に収められています。
「(協同組合)岡山県備前焼陶友会 古備前鑑定委員会 鑑定(平成7年10月7日)」という箱書からも室町時代と鑑定されているようですが、当方では「岡山県備前焼陶友会」については詳しくは知りませんので正しいかどうかは解りませんが、ひとつの根拠にはなります。
箱の内部には鑑定書らしきものと領収書が同封されています。
壺というのはいいものが鑑賞に堪えうる作品が数個あればいいと思います。蒐集家らが家のあちこちに壺がごろごろと飾ってあるのは興ざめしますね。人も同じか・・・・。
当方も少しずつ理解が増してきた壺の作品ですが、それとともに不要なものが増え、紛い物は庭や屋根裏に放置され、使えるものでもメダカ専用の水槽替わりになっていきます
備前などの無釉の焼き締めに味のある作品に、故意にスプレーで水を掛けて風趣のある作品に見せるのはいいのですが、どこかの骨董店主のように脇で水スプレーを構えらえるとこれもまた興ざめですね。上記の写真には水で濡らしたものと全く乾いた状態の写真をとりまぜてあります。
理屈ばかりこねたり、よく見せようと取り繕うのもみっともないもの、骨董も人も同じ・・・。さて本作品は鑑賞に堪え得る作品か否か、しばし鑑賞することとしましょう。美を後世に伝えるのも我々先輩の年齢になったものの役目・・・・。
最近いろいろと考える契機になっているの後藤新平の言葉です。後藤新平の名言にはいくつかありますが、それらの代表的な例は下記の三例があります。
金を残して死ぬのは下だ。事業を残して死ぬのは中だ。人を残して死ぬのが上だ。
人は日本の歴史に50ページ書いてもらうより、世界の歴史に1ページ書いてもらうことを心掛けねばならぬ。
妄想するよりは活動せよ。疑惑するよりは活動せよ。
一番有名なのは最初の言葉ですが、企業は存続していくために、当たり前ですがこれからの人を育まななくてはならないと思います。そうすることで企業はより良き企業文化を醸成するようになると思っています。そのためには失敗の本質を共有し、新たなことに取り組み、個人や自部署の利益だけではない夢を持ち・・・・、そうすることで人は育つ・・・・。
さて本日の作品の紹介です。
至って難しいのが所謂「壺」の世界・・。本日紹介するのは「古備前(室町時代)」と推定している作品の紹介です。
古備前櫛描波状文壷 室町時代
(協同組合)岡山県備前焼陶友会 古備前鑑定委員会 鑑定(平成7年10月7日)箱
口径113*胴径244*底径約162*高さ320
古備前という言い方は「室町から桃山時代までの頃の作品」を指し、江戸時代に入った作品は評価が格段に下がるのが一般的のようです。よって、蒐集家は古備前というと桃山期以前のものとしたがる傾向?にあります。
古備前の作品は肩が張っている作品というイメージがありますが、古い物はすんなりしている形状で非常に美しい肩を形成しているようです。
田んぼの土で、ねっとりとしたきめの細かい土を岡山では「ひよせ」と呼んでいますが、この「ひよせ」を縄のようにしてグルグル積み上げ、中と外で、手のひらで成形して作っていくいわゆる「手づくね」による作りが古備前の壺です。
この壺の良さは窯の中でふった自然釉、黄色い胡麻が備前の赤い肌に作用して実に良い調和をしているいい作品だと思います。
古備前に限らず、備前焼は基本的に焼き締めで釉薬は掛けません(胎土の収縮率が大きいため釉薬は付着しにくいのが理由)が、焼成中に掛かった灰が釉薬のようになって見所になります。ただこのような自然釉がなくても、基本は土が焼成を経て味わい深くなっているのが勘所だと思います。これは焼成の偶然の産物なので作為的には難しいようです。
本作品は室町時代の中期から後期にかけて作られた古備前の壺と思われますが。この時代の壺は丹波と古備前で見分けがつきにくいと言われています。
古備前の壺は口造りは玉縁になっており、備前は一度立ち上げた口を折り返して玉縁にしているのが特徴です。本作品は玉縁はちょっと弱い感じですが、一般的には古備前の口は玉縁になっており、力強いのが魅力です。
室町時代に焼かれた備前焼の壺には肩の所に波状紋の櫛目がある作品があり、それがこの時代の特徴と言われています。
室町時代の後期に作られた作品の特徴かと思われますが定かではありません。本作品では勢いよく描かれ、単調になりがちな古備前の作行に変化を与えており、肩に掛かった自然釉とともに見所となっています。
窯印:胴に「|+」あり。備前焼に、彫られた窯印が見られる様になったのは、一般的には、室町時代中期以降であると言われています。
備前の陶印はその大部分が共同窯に於いてその所属を明らかにするための窯印であり、その窯印には家号を用いており、丹波では共同窯の場合には各窯の部屋のよって区別しているため窯印の必要がなく、主として作者名が彫ってあるようです。
備前焼に彫られた窯印が見られる様になったのは、室町時代中期以降であると言われていますが、これは大窯を共同で焚くようになって、各自の製品がわかる様に手印を入れたのが始まりであろうと思われます。
窯印も後代になっては、その様な目的だけではなく、自己の製品の優秀性を表示する商標の如きものに変わってきたようです。窯印の書かれた場所、大きさなども多様で、室町時代後期のものは大きく、肩、胴部に彫っていますが、時代が下がってくるに従って小さく、底部に彫られるようになりました。押印は桃山時代から見られるようになって、江戸中期以降は押印の方が彫印より多くなります。特殊なものに古備前大瓶の肩に彫られた窯印があります。
本作品は通常の底ですが、高台を返すと底に二本の線があるような信楽焼などによくある下駄印は古備前では極めて珍しいようです。「古備前にも珍しくない」と言われる方もいますが、他の窯の作品も含めて鑑賞に堪えうる作品の中での比率で判断すると、つまり比較という観点からは「少ない」というほうが正しいと当方では判断しています。
また胴と底を別に作り、それをはめ込んだ跡が高台に残っている作品は室町初期~中期の古い手とされていますが、本作品は室町前期までは時代が下がらないと判断しています。
「古備前櫛描波状文壷」と題された箱に収められています。
「(協同組合)岡山県備前焼陶友会 古備前鑑定委員会 鑑定(平成7年10月7日)」という箱書からも室町時代と鑑定されているようですが、当方では「岡山県備前焼陶友会」については詳しくは知りませんので正しいかどうかは解りませんが、ひとつの根拠にはなります。
箱の内部には鑑定書らしきものと領収書が同封されています。
壺というのはいいものが鑑賞に堪えうる作品が数個あればいいと思います。蒐集家らが家のあちこちに壺がごろごろと飾ってあるのは興ざめしますね。人も同じか・・・・。
当方も少しずつ理解が増してきた壺の作品ですが、それとともに不要なものが増え、紛い物は庭や屋根裏に放置され、使えるものでもメダカ専用の水槽替わりになっていきます
備前などの無釉の焼き締めに味のある作品に、故意にスプレーで水を掛けて風趣のある作品に見せるのはいいのですが、どこかの骨董店主のように脇で水スプレーを構えらえるとこれもまた興ざめですね。上記の写真には水で濡らしたものと全く乾いた状態の写真をとりまぜてあります。
理屈ばかりこねたり、よく見せようと取り繕うのもみっともないもの、骨董も人も同じ・・・。さて本作品は鑑賞に堪え得る作品か否か、しばし鑑賞することとしましょう。美を後世に伝えるのも我々先輩の年齢になったものの役目・・・・。