断捨離ともいうべき作品の整理に入っていますが、ひとつひとつの作品を見直していくと捨てがたいものがあります。若かりし頃にそれなりに費用を工面しながら、わりといいものを集めたものな~と思うものもありますが、それでもエイや!としなくてはいけない・・・。寄付には賛成派ではない当方にとっては下手に相続税など課されたら、いい迷惑ですからね。
さて藤田嗣治の作品についての真贋の判断は素人ではまず無理なのでしょう。それでもときおり感性の赴くままに無謀を犯すのは、はやり郷里に関連して画家という思いが当方に根強くあるのかもしれません。
*下記の写真は購入の額装で、同時に入手した杉山寧の作品と共に展示室に展示していたものです。
少女ふたり 藤田嗣治筆 1933年 その7
鑑定書在中 紙本鉛筆デッサン 額装 布タトウ+誂え黄袋
F8号程度 額寸:縦635(490)*横710(565) 画サイズ:縦410*横460
サインにある年季である1933年頃の藤田嗣治については下記のような記事がありました。
1931年からは南北アメリカに向かい、主に南米のリオデジャネイロ都市部の活気ある街角の暮らしを描いています。それはフランスびいきの上流社会が好む彼の作品の特徴でもあるモダニズム画題からの脱却の現れであろうとも評されています。
本スケッチと比較できる作品として、下記の写真の作品「リオの人々」(東京国立近代美術館蔵)があります。
この作品には5人の黒人女性の姿がバランスと取れた構成で描かれています。物憂げな表情を浮かべ落ち着かない様子で両手をいじる若い母親の隣の前景には2人の裸足の少女が立っています。他の2人の女性は両手を腰に当てて肘を張り、真っすぐに立っています。このうちの1人は背中を向け、もう1人はいかめしい表情で左を向いています。構図の中心の小さな少女だけが画家を直視しており、彼女たちのスケッチを描くフジタを前に、訝しげに頭を少し傾けています。
藤田嗣治はこの頃からこのようにして、民族誌的なスケッチを実験的に始めるようになっています。非の打ちどころのない線描と陰影はこの頃も健在だったのですが、入り組んだ生地や織物への関心は、パリの寝室のブロケードカーテンやベッドリネンではなく、民族衣装を描くことに直結しました。
フジタはこの新しいアプローチにおいて南アメリカを旅しながら熱心に追求し、1933年の日本への帰国後も長く続けています。本作品は真作ならそのような創作活動の延長線上にある作品と推定されます。
この作品には下記写真のような書付が同封されています。「平▢誠」、「工藤永蔵」なる人物らの詳細は残念ながら不明です。
本作品のサイン(下記写真左)と資料からの同年題の頃のサインとの比較です。年代によってサインが変遷していますが、この点での違和感はないようです。
素人判断ですが、いい作品ではないかと推定しています。
額装を新たにしています。