夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

龍門鯉魚之図 小畑稲升筆

2018-09-12 00:01:00 | 掛け軸
さて、母が亡くなった件でまだまだ落ち着かず、ブログの原稿は書き溜めた補っています。

鳥取画壇の祖と称される土方稲嶺に始まり、土方稲嶺に写生画法を学んだ黒田稲皐、さらには黒田稲皐に学んだ小畑稲升。この三人は鯉を得意とし、鯉を描いては名手とされた画家達です。さらに稲嶺の家系は、子の土方稲林(1796-1859)、孫の土方稲洋(不明-不明)へと続き、稲皐の家系は甥の黒田稲観(不明-不明)に受け継がれましたが、稲観は画をよくしたようですが、若くして没しています。

*この鳥取画壇の鯉を中心にした作品群は蒐集に価する作品群ですが、当時から著名だったようで贋作も多いので注意を要します。

本ブログでは土方稲嶺の1作品、黒田稲皐の2作品をすでに紹介していますが、本日は小畑稲升の作品を取り上げてみました。

龍門鯉魚之図 小畑稲升筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製加工 合箱
全体サイズ:縦1910*横430 画サイズ:縦1380*横305



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小畑稲升(おばた とうしょう):文化9年(1812年)~明治19年(1886年))は、幕末から明治時代の絵師。

因幡国鳥取(現在の鳥取県鳥取市吉方)に生まれる。父は小畑幸四郎政成、母は中山玄柳の娘。初名は成章、のち広助といい、五石、興雲などの号を持ち、稲升もそのひとつである。

はじめ黒田稲皐に画技を学び、やがてその才能を認められ、弘化2年(1845年)の鳥取城二の丸新殿造営に際しては、屏風のほか数々の画を描いた。弘化3年(1846年)、京に上って南画家・中林竹洞に師事して画を学び、その年の暮れには鳥取藩絵師として召し抱えられ、4人扶持を給せられた。

江戸から明治へと変わる激動の時代に20年余り勤め、沖九皐と並んで鳥取藩最後の藩絵師となった。自得寺(兵庫県美方郡新温泉町田井)の本堂全面を飾る表裏45面の襖絵は稲升の最高傑作と言われるもので、「遊鯉図」「雲竜図」「猛虎図」「芦雁図」「牡丹孔雀図」などの様々な画題が生き生きと描かれている。

晩年は岩美町荒金の中村家にもらい親として迎えられ、明治19年に75歳で没した。法名は稲升院無相寿量居士。鯉の絵を得意として、多数の作品を残している。

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なかなかいい作品ではないかと当方では判断しています。



本作品の落款と印章は下記のとおりです。落款から最晩年の72歳(享年75歳)の作で明治16年頃と推察されます。

  

土方稲嶺と黒田稲皐については本ブログに詳細な記事を掲載していますが、下記の再度整理してみました。作品例はあくまでも当方の所蔵作品であり、「伝」ですのでご了解ください。

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土方稲嶺(1741-1807)
寛保元年生まれ。字は子直、名は廣邦、のちに鳥取藩御用絵師になってから廣輔と改めた。初号は虎睡軒。鳥取藩の家老・荒尾志摩の家臣・土方弥右衛門の子。

幼いころから画を好み、沈南蘋の画風を慕って江戸に出て宋紫石の門に入った。門人の中でも右に出るものがなかったという。のちに京都に移住し、粟田宮家に仕えた。寛政10年帰郷し、藩御用絵師となったが、寛政12年には江戸詰を命じられた。没年にいたるまで制作を続け、

画題、技法ともに幅広く、鳥取画壇の祖と称された。子に稲林がいて、跡を継いで藩の絵師となった。高弟に黒田稲皐がいて、画系を受け継いだ。文化4年、67歳で死去した。

双鯉図 伝土方稲嶺筆
紙本水墨軸装 軸先 合箱入
全体サイズ:縦1240*横335 画サイズ:縦430*横545



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黒田稲皐については下記を参考にしてください。

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黒田稲皐(1787-1846)
天明7年生まれ。名は文祥、通称は六之丞。初号は稲葉。

幼いころから画を好み、土方稲嶺について写生画を学んだ。弓馬、刀槍、水練など、武芸全般に長じ、藩主・池田仲雅に仕えた。仲雅没後は画業に専念し、家に鷹を飼い、池に鯉を放してその生態を観察し、写生をした。

特に鯉の絵にすぐれ、「鯉の稲皐」と称された。甥の稲観、小畑稲升が画系を受け継いだ。弘化3年、60歳で死去した。

群鯉図 伝黒田稲皐筆
紙本水墨軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:縦1650*横550 画サイズ:縦1205*横505



遊鯉図 伝黒田稲皐筆 その2
絹本水墨軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:縦1270*横730 画サイズ:縦330*横590



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鳥取画壇の祖と称される土方稲嶺、稲嶺に写生画法を学んだ黒田稲皐そして稲皐に学んだ小畑稲升。ちなみに稲嶺の家系は、子の土方稲林、孫の土方稲洋へと続き、稲皐の家系は甥の黒田稲観(不明-不明)に受け継がれています。土方稲嶺、黒田稲皐、小畑稲升の三人が描いた鯉の作品は観ていて飽きのこないい作品が多いと思います。再評価されてよい画家たちですね。


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