先週末は息子の夏休み最後の週末ということもあり、休みを満喫するためにサイエンス、英語、プール、マリオと密にならないようにしながら出かけてきました。プール以外は子供らだけの時間ゆえ、小生は近くで時間を潰すこととなります。喫茶店で大概は読書かインターネットで調べものですが、今回は版画美術館へ・・。
歌川(安藤)広重、小林清親、川瀬巴水の展覧会でした。もともと版画にはあまり興味のある方ではありませんが、感想は「歌川広重は蒲原以外は退屈以外のなにものでもなく、小林清親は高輪以外は目を引く作品の展示はなく、川瀬巴水は八郎潟が気に入りました。」といったところでしょうか?
さて本日はひさかたぶりに漳州窯の呉須赤絵の大盤の作品です。本ブログでは明末の呉須赤絵は当方の蒐集対象でもあることから、多くの種類の作品が投稿されていますが、この手の作品は唐物でありながら、日本にしかないという特徴があります。これは古染付・南京赤絵などにも共通した事象です。
明末呉須赤絵 龍花文大盤
補修跡有 古箱(箱書:安政4年 1857年 丁巳)
全体サイズ:口径379*高台径*高さ88
呉須赤絵とは明時代末期を中心に福建省南部の漳州窯で焼成された色絵磁器です。その様式は景徳鎮民窯の系譜を引いており、そこから展開されたものと捉えられています。基本的に染付は下地に用いられず、乳白色の失透釉が内外に厚く施されています。
上絵付けは赤色を基調に緑や青色が加えられ、自由放胆で荒々しいまでの伸び伸びとした描写は一種の風格さえ感じられると評されています。
主に東南アジアへ輸出され、中国よりも日本、南洋、欧米等に伝世しています。中でも呉須赤絵を好んで珍重したのは日本であり、特に茶人間で愛玩されました。
本作品は惜しくも割れの補修跡がありますが、明末に制作された草花文が伸び伸びと描かれた呉須赤絵の作品です。温かみある柔らかな肌合いを呈しています。
鉄分が強い粒子の大きな砂を匣鉢の中に敷いて器物を焼成していた為、底部には砂が付着しているものが多いとされます。
特注の注文品においてはこの高台内をきれいにしようと拭き取った作品もあります。
一般的な傾向として時代が下がり、清朝初期には高台内の砂が徐々に少なくなっているようですが、最盛期の出来の良いものほど砂の付着の量が多くなります。裏面にはあまりこだわっていないという気概があります。
箱書には「安政4年新調 巳 大皿□枚入 □□長」とあり「安政4年 1857年 丁巳」に箱が新調されたようです。
この作品は江戸期の保存状態のままらしく、当時の作品保護用の藁まで入っています。当方においてもこの藁はそのままにしておくことにしました。
古い箱は必ず風呂敷に包んで保管し、どの作品の保管箱かはひと目で解るようにしておきます。このようにしておくと作品を探すのに手間がかからず、取り扱いにて破損する可能性が低くなります。
似たような図柄の当方の所蔵作品には下記の作品があります。
明末呉須赤絵 龍花鳥文大盤 清朝初期
合箱
全体サイズ:口径385*高台径220*高さ75
さらに時代が下がったと思われる作品には下記の作品があります。清朝初期には丁寧には描かれているものの豪放さがなくなり、色彩が淡白になっているようです。
明末と清朝初期ではかなりの評価差があると聞いたことがあります。とうぜん豪放さのある明末期の作品が数段評価が高いとされます。
本日はま~るい画像の連続です。息子との夏休みもコロナ禍でも「ま~る」ゆえ・・・。
歌川(安藤)広重、小林清親、川瀬巴水の展覧会でした。もともと版画にはあまり興味のある方ではありませんが、感想は「歌川広重は蒲原以外は退屈以外のなにものでもなく、小林清親は高輪以外は目を引く作品の展示はなく、川瀬巴水は八郎潟が気に入りました。」といったところでしょうか?
さて本日はひさかたぶりに漳州窯の呉須赤絵の大盤の作品です。本ブログでは明末の呉須赤絵は当方の蒐集対象でもあることから、多くの種類の作品が投稿されていますが、この手の作品は唐物でありながら、日本にしかないという特徴があります。これは古染付・南京赤絵などにも共通した事象です。
明末呉須赤絵 龍花文大盤
補修跡有 古箱(箱書:安政4年 1857年 丁巳)
全体サイズ:口径379*高台径*高さ88
呉須赤絵とは明時代末期を中心に福建省南部の漳州窯で焼成された色絵磁器です。その様式は景徳鎮民窯の系譜を引いており、そこから展開されたものと捉えられています。基本的に染付は下地に用いられず、乳白色の失透釉が内外に厚く施されています。
上絵付けは赤色を基調に緑や青色が加えられ、自由放胆で荒々しいまでの伸び伸びとした描写は一種の風格さえ感じられると評されています。
主に東南アジアへ輸出され、中国よりも日本、南洋、欧米等に伝世しています。中でも呉須赤絵を好んで珍重したのは日本であり、特に茶人間で愛玩されました。
本作品は惜しくも割れの補修跡がありますが、明末に制作された草花文が伸び伸びと描かれた呉須赤絵の作品です。温かみある柔らかな肌合いを呈しています。
鉄分が強い粒子の大きな砂を匣鉢の中に敷いて器物を焼成していた為、底部には砂が付着しているものが多いとされます。
特注の注文品においてはこの高台内をきれいにしようと拭き取った作品もあります。
一般的な傾向として時代が下がり、清朝初期には高台内の砂が徐々に少なくなっているようですが、最盛期の出来の良いものほど砂の付着の量が多くなります。裏面にはあまりこだわっていないという気概があります。
箱書には「安政4年新調 巳 大皿□枚入 □□長」とあり「安政4年 1857年 丁巳」に箱が新調されたようです。
この作品は江戸期の保存状態のままらしく、当時の作品保護用の藁まで入っています。当方においてもこの藁はそのままにしておくことにしました。
古い箱は必ず風呂敷に包んで保管し、どの作品の保管箱かはひと目で解るようにしておきます。このようにしておくと作品を探すのに手間がかからず、取り扱いにて破損する可能性が低くなります。
似たような図柄の当方の所蔵作品には下記の作品があります。
明末呉須赤絵 龍花鳥文大盤 清朝初期
合箱
全体サイズ:口径385*高台径220*高さ75
さらに時代が下がったと思われる作品には下記の作品があります。清朝初期には丁寧には描かれているものの豪放さがなくなり、色彩が淡白になっているようです。
明末と清朝初期ではかなりの評価差があると聞いたことがあります。とうぜん豪放さのある明末期の作品が数段評価が高いとされます。
本日はま~るい画像の連続です。息子との夏休みもコロナ禍でも「ま~る」ゆえ・・・。