自宅を新築した時から寝室に飾っていた「裸婦」の作品と同じ画家の「薔薇」を題材とした作品です。
薔薇 木下孝則画
油彩額装 右下サイン
画サイズ:横307*縦395(6号)
1952年作であり、他の所蔵作品である「裸婦」が1955年の製作で、やはり日動画廊からの購入であることは興味深い。
本作品のサイン 1952年
裸婦のサイン 1955年
木下孝則は裸婦の作品で著名ですが、薔薇を題材とした作品も良く描いています。
本作品は良い出来の作品とは言い難いものがありますが、どことはなしに品格があるのはさすがというところでしょうか。
京都大学法科、ついで東京帝国大学文科に学ぶが、中退して画家となったインテリな画家です。
木下孝則 :1894年2月24日東京生まれ。1906年叔父の児島喜久雄より名画の複製を見せられ、フランス印象派に魅力を感じた。1919年小島善太郎、林倭衛、佐伯裕三、前田寛治、里見勝蔵、中山巍らと交友。1921年第8回二科会展に初入選する。渡仏。1923年イタリア、ローマ、フローレンス、ベニス、ミラノの美術館を廻り帰国。1924年第11回二科会展に出品し、樗牛賞受賞。1925年第12回二科会展に出品し、二科会賞受賞。1928年渡仏。1933年サロン・ドートンヌに出品する。1935年帰国。1936年二科会会員に推挙され第23回二科会展に滞欧作19点を特別陳列。1937年木下孝則帰朝展(銀座日動画廊)に第2回滞欧作を出品。1941年第4回文展に審査員として出品。1948年第10回一水会に出品、委員となる。1952年 第8回日展に参事、審査員として出品。1955年木下孝則自薦展(神奈川県立近代美術館)を開催する。木下孝則油絵展(日動画廊)が開催される。1962年「週間朝日」の表紙絵を翌年3月まで担当。1973年3月29日歿。享年79歳。勲四等旭日小綬章叙勲。
薔薇 木下孝則画
油彩額装 右下サイン
画サイズ:横307*縦395(6号)
1952年作であり、他の所蔵作品である「裸婦」が1955年の製作で、やはり日動画廊からの購入であることは興味深い。
本作品のサイン 1952年
裸婦のサイン 1955年
木下孝則は裸婦の作品で著名ですが、薔薇を題材とした作品も良く描いています。
本作品は良い出来の作品とは言い難いものがありますが、どことはなしに品格があるのはさすがというところでしょうか。
京都大学法科、ついで東京帝国大学文科に学ぶが、中退して画家となったインテリな画家です。
木下孝則 :1894年2月24日東京生まれ。1906年叔父の児島喜久雄より名画の複製を見せられ、フランス印象派に魅力を感じた。1919年小島善太郎、林倭衛、佐伯裕三、前田寛治、里見勝蔵、中山巍らと交友。1921年第8回二科会展に初入選する。渡仏。1923年イタリア、ローマ、フローレンス、ベニス、ミラノの美術館を廻り帰国。1924年第11回二科会展に出品し、樗牛賞受賞。1925年第12回二科会展に出品し、二科会賞受賞。1928年渡仏。1933年サロン・ドートンヌに出品する。1935年帰国。1936年二科会会員に推挙され第23回二科会展に滞欧作19点を特別陳列。1937年木下孝則帰朝展(銀座日動画廊)に第2回滞欧作を出品。1941年第4回文展に審査員として出品。1948年第10回一水会に出品、委員となる。1952年 第8回日展に参事、審査員として出品。1955年木下孝則自薦展(神奈川県立近代美術館)を開催する。木下孝則油絵展(日動画廊)が開催される。1962年「週間朝日」の表紙絵を翌年3月まで担当。1973年3月29日歿。享年79歳。勲四等旭日小綬章叙勲。
マネの洒落た感覚に影響を受けたこの人の絵は私も好みです。
もう一点の裸婦もいいですね。このスキッとしたレトロ感は自分の多少美化された幼い頃の思い出の世界に似て懐かしいです。
私も一枚欲しいです。
子共の頃、薪ストーブに朝早く火をおこして暖まった思い出。
自分で薪を割り、濡れたなかなか火のつかない状況で、寒さに震えた懐かしい思い出です。
さすがに裸の女性の思い出はありませんが、ストーブの前で着替えた思い出はあります。
そしてその子共の頃からある作品です・・、銀座で買ってきたらしい。当時としては秋田の山奥からそんな洒落たことをする人は珍しいと思うのですが・・。