夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

漆絵額・双鶴図 角偉三郎作

2025-01-15 00:01:00 | 漆器
近所の公園でどんと焼・・。家族総出にて団子を焼いてきました。だいぶ近所では住民が増えているようで、次から次に人が訪れていました。今年は良い年でありますように・・・。



さて昨年は元旦から地震で、能登の地震で輪島塗の存亡が危ぶまれていますが、本日はその輪島塗の作品の紹介です。



沈金で描かれた双鶴の図。上村淳之の日本画の作品と並べて展示してみました。



漆絵額・双鶴図 角偉三郎作
蒔絵額装 共箱 誂:タトウ+黄袋
F8号程度 額サイズ:横680*縦620 画サイズ:横450*縦385



作者の「角 偉三郎」の来歴は下記のとおりです。

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角 偉三郎: (1940-2005)

1940年、石川県輪島生まれ。「おまえ頭がわるいさけぃ、沈金でもやれ」という父に押され、15歳で沈金(漆に細い線を彫り、そこに金を施す技法)の名人、橋本哲四郎の下に弟子入りします。



1962年に修業を終えると、角は沈金技法を用いた漆のパネル、絵画風の作品の制作に取り組んでいます。ジャスパー・ジョーンズ、ジャクソン・ボロック、ロバート・ランシェンバーグ、サム・フランシスなどのアメリカの前衛美術や、クレー、カンディンスキーに強い影響を受け、現代漆芸に没頭しますい。24歳で日展に初入選したのち17回入選、30代で日展特選となっています。



1970年代の初めごろ、角は能登半島の柳田村の寺で、古い、置き忘れの合鹿椀と出会います。この力強くてシンプルな椀に魅せられて、次第に「うつわ」としてのぬりものに関心を持つようになります。



1982年、角はすべての作家活動から退き、初めて椀だけの個展を開いています。この時から角は作品にサインを入れることをやめ、代わりに三つの点を並べて星のように書き入れました。



星は折々に足されていき、最後は六つ星となったようです。



1980年代半ばからアジア各地でのうるしの伝統と現状を自分の目で確かめるために、タイ、ミャンマー、中国、ブータン、ネパールなどを旅します。西洋の現代美術やアジア各地の漆など、幅広い興味を持ちながらも、角の仕事の軸になっているのは、輪島のぬりものでした。



角はこの伝統を、たしかな芸術的感覚で、自由にのびのびと現代に生かした製作をしましたが、2005年10月逝去しています。

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近年の漆器においては「蒔絵にしろ、沈金にしろ、十分な絵の修業をしていないので、絵が下手」と断言していましたが、この作品はうまいですね。



初めての「角 偉三郎」の作品の入手なので、椀製作以前の沈金の作品の評価がよくわかりませんが、おそらく作品にサインのある作品は椀にはないので希少価値があるのかもしれません。

 

共布まで付いていて、共箱に納まっています。

 

1962年、第一回日本現代工芸美術展に前衛的な作品「眼」で入選。
1964年、日展に「晩鐘」で初入選。以来、入選は一七回に及ぶ。
1978年には特選受賞。
1983年、すべての公募展から退く。
以降、漆と器の可能性や故郷・輪島の職人との協働に深く思いを巡らせ、独自の境地を切り開く。

*以上の略歴と額の裏のシール(下記写真)から1966年頃の作か?26歳頃の作と推定されます。



額裏の記載から、どなたかの古希のお祝いに差し上げた作品のようです。以前はこのように漆器類を結婚式などの引き出物に使っていたのですが、今はそのような風習が無くなりつつあり、このようなことが輪島塗衰退の一因となっています。その他に失礼ながら、日本製の漆を使わなくなり、絵がうまくなくなったり、高価であったりと原因はいろいろとあるのでしょうが、古来からの輪島塗のファンとしても存亡がかかっているのであれば、なんとかしなくてはいけない・・・。







































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