夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

菊図 中村不折筆

2011-10-05 06:02:59 | 掛け軸
中村不折の作品はなかなか縁がありませんでした。作品によって私には好みでないものが多く、興味を誘わなかったというのが本当のところです。

本作品は掛け軸としてはかなり小さな作品です。箱もなく、本作品も捨てられそうな値段(1200円)で購入した作品です。本作品は墨の滲みの技法もうまくしっかりした味わいのある作品だと思います。

菊図 中村不折筆
紙本水墨淡彩 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1900*横335 画サイズ:縦780*横320



中村不折の作品は駄作が多いことが特徴です。しっかりとした筆力がありながら南画風や戯画風に描いた作品が多く、その中にも残念ながら駄作が多いため人気が上がりません。



いま少し見直されてもいい画家とも思われますが、それはしばらくはないと思います。




中村不折:(1866―1943)父・源蔵、母・りゅうの子供として東京の京橋に生まれ幼名を太郎といった。一時は郷里の高遠に帰るも22歳の時に上京し、高橋是清の館に住み込みながら小山正太郎に師事し絵を学んだ。

その後、30歳の時には正岡子規とともに新聞「日本」の記者として日清戦争に従軍し中国に渡り書に興味を持った。

36歳の時には渡仏して、ラファエル・コランやジャン=ポール・ローランスらから絵の指導を受け1905年の帰国後は明治美術会の後身である「太平洋画会」に所属し主に歴史画の分野で活躍した。また森鷗外や夏目漱石等の作家とも親しく、『吾輩は猫である』『若菜集』『野菊の墓』などの挿絵や題字を書いた。

中国の書の収集家としても知られ顔真卿の現存する唯一の真蹟といわれる「自書告身帖」などを収集し、1936年に台東区根岸の旧宅跡に書道博物館(現在は区立)を開館した。なお、不折の筆跡は現在でも、宮坂醸造の清酒「真澄」や新宿中村屋の商品表記に用いられている。

仏留学から帰国した不折は東西の歴史を題材とする油絵を多く描いた。この時期の作品である「建国剏業」(1907年)は東京府主催の勧業博覧会に出品され第1等を獲得したが、天皇家の祖先神たる天照大神とそれを守護する7人の男神たちをすべて裸で描いたため、当時の文部大臣・九鬼隆一は「不敬である」と激怒。なおこの作品は関東大震災で焼失してしまった。別号に環山,孔固亭。


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