夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

赤絵輪花華紋皿 五枚揃

2015-05-16 04:53:39 | 陶磁器
五客ですが揃いで入手できたのは嬉しい作品です。

赤絵輪花華紋皿 五枚揃
合箱
口径152*高台径80*高さ27



高台内には「大明成化年製」とあり、砂付高台となっており、虫喰もあり、高台内にはうすく鉋の削りの跡が見えます。約束事は明末から清朝にかけての赤絵の条件を満たしていますが、写しも多いので断定はできません。

天啓で使われていた陶土は決して上質のものではなく、そのため焼成時に胎土と釉薬の収縮率の違い、特に口縁部は釉が薄く掛かるために気孔が生じて空洞となり、冷却時にその気孔がはじけて素地をみせるめくれが残ってしまいます。

本来、技術的には問題となるところを当時の茶人は、虫に食われた跡と見立て鑑賞の対象としました。このことが「虫喰い」と称して、古染付・天啓赤絵・南京赤絵に特有の特徴であることも知られています。ただこれは近代では意図的に作ること可能ですが、わざとらしくなります。

高台は、当時の通例の如く、細砂の付着した砂高台で、高台内には鉋の跡が見られるのが特徴ですが、必ずしもそうでない作品もあるようです。むろんこれも意図的に可能です。



「大明成化年製」銘にある年号は、もともとは中国明中期の成化年間(1465~1487)を示します。景徳鎮に成化という窯があって、明の官窯(国営の窯)であり、成化窯の製品に年款(大明成化年製)が書かれていました。明末から清朝の古染付や赤絵には「大明天啓年製」「天啓年製」あるいは「天啓年造」といった款記が底裏に書かれていることがあり、この他にも「天啓佳器」といったものや「大明天啓元年」など年号銘の入ったものも見られます。また年号銘でも「成化年製」「宣徳年製」など偽銘を用いた作例もあり、優品を生み出した過去の陶工に敬意を払いつつもそれまでの様式にとらわれることはなかったようです。

これら款記は正楷書にて二行もしくは三行であらわされるのが慣例とされていましたが、款記と同じく比較的自由に書かれており、まるで文様の一つとして捉えていたようにも思えます。この影響を日本の伊万里が受け、同じように年号銘が記され、製作年代とはまったく無関係なものになっています。真贋の決め手にはなりません。

天啓赤絵もまた同様と考えられますが、一般的には「天啓年製」などの銘を伴うものが多く、無銘であれば清朝初期の品であると言われています。



絵付には輪郭があり、染付が用いられています。明末から清朝時代の赤絵の代表格である天啓赤絵と南京赤絵の区別は、天啓赤絵は古染付の上に色釉を施し、南京赤絵は色釉だけで彩画した赤絵で有ると分類されていますが、例外は勿論有る様です。

絵付けからは南京赤絵ではなく希少価値の高い天啓赤絵ですが、当方では断定できません。南京赤絵は清朝まで続きますが、天啓赤絵は清初までであり、清朝に本格的には入らず、他の赤絵の南京赤絵等、明末窯の注文作品よりも製作期間が短く、圧倒的に数が少なく貴重な作品群となっています。無論、古染付と比してもその生産量はかなり少ないようです。

その分類は基本的に当方にとってはどうでもよいことです。



魯山人は「食器が最も発達したのは中国の明代だ。」と言っています。その中でも日本人の心が宿る明代末期の古染付と色絵の器はとくに珍重されていました。日本からの注文で10客揃いどころか30、50人揃いで注文されたようです。数多く日本にの残っています。中国などの蒐集家の対象外ですので、現在は廉価なため市場に数多く出回っています。



揃いものでしたが、破損や売却のために揃って売られるより、バラやペアで売られているものが多くなりました。



いずれにしても実用的な器群です。ただし赤絵は華麗な意匠のものが多く、口縁には鉄砂で口紅が施されるもの、金彩を加えた豪華なものもあります。同時期の作品群は色絵祥瑞等も含め、少しややこしいですが、それぞれの作風を持っています。



日本古来の古伊万里が贋作で満ち溢れている状況下では実用的な陶磁器としての蒐集でさえかなりの困難が予想されます。


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