夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

今日はうなぎの夕べの会

2010-07-30 00:24:56 | 日本画
鰻 木村武山筆
絹本水墨色紙 
画サイズ:縦271*横242


浦和の有名な? 鰻のお店へ・・

仕事の仲間と愉快な話です。

前部署と現部署の交流会



離れの部屋に入ると鰻の絵の掛け軸・・・
そこで思い出したのが所蔵する木村武山筆の「鰻」・・・


いつもどおり、お茶で一服後に色紙フォルダーから引き出して観ました。

脳溢血以後の左手で描かれた「左武山」といわれる作品のひとつと思われます。


木村武山:明治9(1876)年、茨城県笠間市に生まれ。

地元の南画家に絵を学んでいた武山は15歳で上京、川端玉章に師事。明治24年東京美術学校に入学、29年に卒業すると、岡倉天心が中心となって結成した日本絵画協会に参加。東京美術学校を辞職した岡倉天心と、彼にしたがって同校を去った橋本雅邦、横山大観、菱田春草、下村観山らによる日本美術院創設には(準会員)として参加した。

明治39年、経営難に陥った日本美術院の日本画部が茨城県の五浦に移転するに際しては、武山は家族をともない同地に移転。この地で数々の代表作が生み出されましたが、秦の始皇帝が築いた阿房宮炎上の様子を描いた「阿房劫火」(明治40年)は、第1回文展で三等賞を受賞し、武山の名を広く知らしめた。

大正3年の日本美術院再興には経営同人として参加。武山は古典に対する深い理解と、優れた色彩感覚とを生かした歴史画、花鳥画を得意としましたが、晩年は仏画を多く描きました。

昭和12年脳溢血で倒れた後は、左手に絵筆を持って描くようになりましたが、17年、喘息により東京で没した。





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