なにかしらに血迷って購入したとしか思えない博多人形。いつの間にか2作品になっています。母か姉が購入した博多人形らしき作品は何体かあるのですが、小生は全くの門外漢、というより、フィギュア的な作品は毛嫌いしていたはずなのに購入してしまっています。
ケースも保存箱のない状態で購入したまま放って置いたので、埃をとろうと水洗いしたら色彩が落ちてしまいました。
葵ノ上 宗田源造作
横幅約155奥行き約160高さ約390
どうも博多人形は水洗いなどもってほかであったらしい。
さらにもう一体は玄関に置いていたら、宅急便の印鑑をとろうとした弾みで右腕の手首の部分が折れてしまいました。
利休像 川崎虎雄作
185*130*200
「葵ノ上の作者である宗田源造は無形文化財保持者(人間国宝 )であるらしく、さらに「利休像」の作者の川崎虎雄(博多人形伝統工芸士 川崎幸子の父)は博多人形の名人と称せられる博多人形師らしいのです。痛んだままにしておくのも痛々しのでいつも修理を依頼している京都の人形店に見てもらったら、両方とも著名な人形師のようだったのです。
またまた修理することになりました。
さて本日はなにかと問題の多い「宋胡禄」らしき作品の紹介です。なにがと問題かというと近年は贋作(近代作を古作として売られている)が多いからのようです。当方はこちらも全くの門外漢ですが、興味だけはありますのでちょっと調べてました。当然、何らかの作品が必要ですので本日の作品を購入して題材にしてみました。
宋胡禄 鉄絵桧垣文碗
合箱
口径140*底径*高さ98
本作品の製作年代は不詳ですが、入手時には14~15世紀の作と説明がありました。古格がありそうな作品ですので、時代は間違いないでしょう? これは勘意外のなにものでもない・・・。
基本的に古くから日本にある宋胡禄は茶道具が多いものですが・・・。
宋胡禄については簡単に述べると下記の記事のようなものらしい。
*****************************************
宋胡禄/宋胡録/寸古録:(すんころく)タイのスコータイ県、サワンカローク周辺で作られる陶器に対して言われる。「宋胡禄」の語自体は産地である「サワンカローク」の音訳である。元々は、素焼きの器に、梨地の白化粧をし鉄絵で多少の飾り絵を描いたものを言ったが、後に意味は拡大されタイで産出される焼き物すべてを指すようになった。
歴史は、13世紀頃にラームカムヘーン大王が中国から陶工を呼び寄せ生産に成功した。14世紀~15世紀頃には輸出用に頻繁に作られ、中国人の商人によって日本へ持ち込まれた。日本では茶器としてつかわれ、茶道が普及し始めた戦国時代から注目を集めて、江戸時代には茶人に広くもてはやされた。秀吉以前より南蛮貿易によって日本にも輸入されていました。
*****************************************
宋胡録の魅力は何といってもその鉄絵(鉄分を多く含んだ顔料で下絵をかき、その上に釉をかけて焼きます)の面白さにあるといっていいでしょう。極く微妙な条件の違いによっても多様に変化するこの炎の芸術は、まさに宋胡録ならではのものと評価されています。
しかし、13世紀から16世紀にかけて繁栄した宋胡録の産業はその後衰亡の道をたどり、タイ国の北部の農村地帯などに分散して僅かに残りましたが、なぜかそこには宋胡録の命ともいわれた鉄絵が消滅していました。理由は解りませんが恐らくはこの鉄絵の焼成の難しさにあったのではないかと推定されています。
なお古い宋胡禄には呉須のような青い図柄は基本的にありません。中国やベトナムの陶器の影響を少なからず受けたと思われる宋胡録がなぜ、呉須(青色顔料)を使わずに鉄絵になったのかといえば、それはタイ国に呉須が産出しなかったということのようです。これがかえって宋胡録を世界的に有名にする原因になったと言われています。
呉須(青色顔料)を使った宋胡録は近年に作られた作品と思って相違ないかもしれませんね。
なお呉須(青色顔料)が主たる安南焼と混同しないようにしなくてはいけません。
安南焼との比較のために下記の作品の写真を参考にして下さい。
安南染付鳥草花文様茶碗
合箱杉製
口径110*高さ78*高台径60
安南青花染付花鳥唐草花樹紋香合
口径74*高さ35*底径40
宋胡録の釉は2種類の樹木の灰にディンナアナーと呼ばれる田んぼ上積み泥土を調合して作りますが、自然物ですからその時、その場所によっていろいろと成分の違いが出てくるし、灰にする木の樹皮に附着した土などの異物によっても釉の成分は違っいて安定していません。ですから宋胡録の鉄絵というものは呉須絵のように安定せず、ほんの少しの成分の違いや温度あるいはその炎の状態によって色調が変わり、時には絵を崩したり流したりしてしまいます。
恐らく昔の陶工たちは、新しく釉を調合した時試験焼きをして、絵がきれいに出ない場合はその陶器を失敗品として捨てたのでしょう。古美術商などの店頭で見かける絵の流れた物や、ナマ焼けのように白っぽくなっているものはこれらの失敗品の出土品だそうです。
絵を定着させない釉や、ナマ焼けで白濁したようの釉も見方によっては趣のある面白い陶芸品を作りますし、茶人の「侘び寂び」を求める心にフィットするかも知れません。
事実、白濁した釉の陶器などを「これこそ本当の宋胡録だ」と思っている人は意外と多いそうです。しかし、タイの有名な宋胡録蒐集家のコレクションにはこのような作品は無く、殆どが鉄絵の見事な芸術品で、これが宋胡録の本流のようです。白濁した釉の作品は亜流と考えていいでしょう。
宋胡録の鉄絵はようやく1965年頃から復活し、現在に至っています。1997年にバンコクで開かれた宋胡録陶芸展では鉄絵の見事な作品が数多く紹介され、内外の陶芸品愛好者の目を見張らせるに至りました。そしてこれを機に、タイ国の宋胡録研究家や学者たちによって1999年6月、元タンマサート大学学長のチャーンウィット博士を会長に宋胡録陶芸保存協会が設立しました。タイ人の誇りとするタイの伝統芸術「宋胡録」が南牧村で再び世界の目を集めようとしていまず。
宋胡録・・・、近年、多くの方が現地から購入して日本の持ち込んでるため本流の「宋胡録」がかえって見失われたようです。
当方は微力ながら本流を目指していく蒐集をしたいものと精進していきますが、本格的に宋胡禄や博多人形を蒐集しようとは思いません。
下記の作品も衝動買い・・。以前本ブログで投稿しています。
宋胡禄 鉄絵菊文香合
合箱
口径140*底径*高さ98
浜田庄司の作品や源内焼、明末呉須赤絵群の作品については当方では本格的な蒐集対象としていますが、博多人形、宋胡録の類は正直なところ興味本位です。当方では古伊万里、鍋島、古九谷、再興九谷も同じですが、基本的にどうもこれらの作品群は今では胡散臭い作品が多いので手を出しかねている状況です。専門している作品をベースにして、直観でよさそうな作品にちょっとちょっかいを出している感覚での蒐集です。
下記の作品は宋胡禄として売られていましたが、おそらく近代の作品と推察されます。
「柿香合」と称せられていますが、実施はマンゴスチンの果実を模ったといわれる香合です。
日本には伝世の名品が沢山残されていますが本国タイでは発掘品しか現存していません。この日本伝世品をタイに持参して専門の陶器工房に再現製作を依頼して作り、現在たくさん出回っています。
古法にのっとり、タイ中北部のスワンカローク地方の土を使って(灰色の粗目の土に砂が噛み微細な黒胡麻が見えるもの)かなり再現度が高い作品に仕上げています。
同じ形で呉須を使用した作品もありますが、安南手と混同したもので古い作品の宋胡禄にはないものと推察しています。
本作品に話を戻しますが、本作品は現在はじっくり鑑賞中です。
茶事ではどうも重くて使いづらいので茶事の茶碗は不向きですね。
向付には良いのでしょうが、揃いでの蒐集は難しい。
絵付けは素朴でいいと思います。
見込みが濃い茶色というのは茶碗というより、やはり向付にして使ったほうが料理が映えるかもしれません。
桧垣文のような文様は日本からの注文でしょうか? 内側にもあるのがいいですね。
底に作り方はまるで盃洗のようです。
箱は一応下記のようにしておきました。
記事が長くなりましたが、内容は独断と偏見の部分もあろうかと思いますが、読まれた方がいくらかでも参考になればと思います。
日本画(掛け軸を含む)、洋画、漆器、刀剣、陶磁器、博多人形とあちこちの知識が小生の頭の中で混乱してきました
ケースも保存箱のない状態で購入したまま放って置いたので、埃をとろうと水洗いしたら色彩が落ちてしまいました。
葵ノ上 宗田源造作
横幅約155奥行き約160高さ約390
どうも博多人形は水洗いなどもってほかであったらしい。
さらにもう一体は玄関に置いていたら、宅急便の印鑑をとろうとした弾みで右腕の手首の部分が折れてしまいました。
利休像 川崎虎雄作
185*130*200
「葵ノ上の作者である宗田源造は無形文化財保持者(人間国宝 )であるらしく、さらに「利休像」の作者の川崎虎雄(博多人形伝統工芸士 川崎幸子の父)は博多人形の名人と称せられる博多人形師らしいのです。痛んだままにしておくのも痛々しのでいつも修理を依頼している京都の人形店に見てもらったら、両方とも著名な人形師のようだったのです。
またまた修理することになりました。
さて本日はなにかと問題の多い「宋胡禄」らしき作品の紹介です。なにがと問題かというと近年は贋作(近代作を古作として売られている)が多いからのようです。当方はこちらも全くの門外漢ですが、興味だけはありますのでちょっと調べてました。当然、何らかの作品が必要ですので本日の作品を購入して題材にしてみました。
宋胡禄 鉄絵桧垣文碗
合箱
口径140*底径*高さ98
本作品の製作年代は不詳ですが、入手時には14~15世紀の作と説明がありました。古格がありそうな作品ですので、時代は間違いないでしょう? これは勘意外のなにものでもない・・・。
基本的に古くから日本にある宋胡禄は茶道具が多いものですが・・・。
宋胡禄については簡単に述べると下記の記事のようなものらしい。
*****************************************
宋胡禄/宋胡録/寸古録:(すんころく)タイのスコータイ県、サワンカローク周辺で作られる陶器に対して言われる。「宋胡禄」の語自体は産地である「サワンカローク」の音訳である。元々は、素焼きの器に、梨地の白化粧をし鉄絵で多少の飾り絵を描いたものを言ったが、後に意味は拡大されタイで産出される焼き物すべてを指すようになった。
歴史は、13世紀頃にラームカムヘーン大王が中国から陶工を呼び寄せ生産に成功した。14世紀~15世紀頃には輸出用に頻繁に作られ、中国人の商人によって日本へ持ち込まれた。日本では茶器としてつかわれ、茶道が普及し始めた戦国時代から注目を集めて、江戸時代には茶人に広くもてはやされた。秀吉以前より南蛮貿易によって日本にも輸入されていました。
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宋胡録の魅力は何といってもその鉄絵(鉄分を多く含んだ顔料で下絵をかき、その上に釉をかけて焼きます)の面白さにあるといっていいでしょう。極く微妙な条件の違いによっても多様に変化するこの炎の芸術は、まさに宋胡録ならではのものと評価されています。
しかし、13世紀から16世紀にかけて繁栄した宋胡録の産業はその後衰亡の道をたどり、タイ国の北部の農村地帯などに分散して僅かに残りましたが、なぜかそこには宋胡録の命ともいわれた鉄絵が消滅していました。理由は解りませんが恐らくはこの鉄絵の焼成の難しさにあったのではないかと推定されています。
なお古い宋胡禄には呉須のような青い図柄は基本的にありません。中国やベトナムの陶器の影響を少なからず受けたと思われる宋胡録がなぜ、呉須(青色顔料)を使わずに鉄絵になったのかといえば、それはタイ国に呉須が産出しなかったということのようです。これがかえって宋胡録を世界的に有名にする原因になったと言われています。
呉須(青色顔料)を使った宋胡録は近年に作られた作品と思って相違ないかもしれませんね。
なお呉須(青色顔料)が主たる安南焼と混同しないようにしなくてはいけません。
安南焼との比較のために下記の作品の写真を参考にして下さい。
安南染付鳥草花文様茶碗
合箱杉製
口径110*高さ78*高台径60
安南青花染付花鳥唐草花樹紋香合
口径74*高さ35*底径40
宋胡録の釉は2種類の樹木の灰にディンナアナーと呼ばれる田んぼ上積み泥土を調合して作りますが、自然物ですからその時、その場所によっていろいろと成分の違いが出てくるし、灰にする木の樹皮に附着した土などの異物によっても釉の成分は違っいて安定していません。ですから宋胡録の鉄絵というものは呉須絵のように安定せず、ほんの少しの成分の違いや温度あるいはその炎の状態によって色調が変わり、時には絵を崩したり流したりしてしまいます。
恐らく昔の陶工たちは、新しく釉を調合した時試験焼きをして、絵がきれいに出ない場合はその陶器を失敗品として捨てたのでしょう。古美術商などの店頭で見かける絵の流れた物や、ナマ焼けのように白っぽくなっているものはこれらの失敗品の出土品だそうです。
絵を定着させない釉や、ナマ焼けで白濁したようの釉も見方によっては趣のある面白い陶芸品を作りますし、茶人の「侘び寂び」を求める心にフィットするかも知れません。
事実、白濁した釉の陶器などを「これこそ本当の宋胡録だ」と思っている人は意外と多いそうです。しかし、タイの有名な宋胡録蒐集家のコレクションにはこのような作品は無く、殆どが鉄絵の見事な芸術品で、これが宋胡録の本流のようです。白濁した釉の作品は亜流と考えていいでしょう。
宋胡録の鉄絵はようやく1965年頃から復活し、現在に至っています。1997年にバンコクで開かれた宋胡録陶芸展では鉄絵の見事な作品が数多く紹介され、内外の陶芸品愛好者の目を見張らせるに至りました。そしてこれを機に、タイ国の宋胡録研究家や学者たちによって1999年6月、元タンマサート大学学長のチャーンウィット博士を会長に宋胡録陶芸保存協会が設立しました。タイ人の誇りとするタイの伝統芸術「宋胡録」が南牧村で再び世界の目を集めようとしていまず。
宋胡録・・・、近年、多くの方が現地から購入して日本の持ち込んでるため本流の「宋胡録」がかえって見失われたようです。
当方は微力ながら本流を目指していく蒐集をしたいものと精進していきますが、本格的に宋胡禄や博多人形を蒐集しようとは思いません。
下記の作品も衝動買い・・。以前本ブログで投稿しています。
宋胡禄 鉄絵菊文香合
合箱
口径140*底径*高さ98
浜田庄司の作品や源内焼、明末呉須赤絵群の作品については当方では本格的な蒐集対象としていますが、博多人形、宋胡録の類は正直なところ興味本位です。当方では古伊万里、鍋島、古九谷、再興九谷も同じですが、基本的にどうもこれらの作品群は今では胡散臭い作品が多いので手を出しかねている状況です。専門している作品をベースにして、直観でよさそうな作品にちょっとちょっかいを出している感覚での蒐集です。
下記の作品は宋胡禄として売られていましたが、おそらく近代の作品と推察されます。
「柿香合」と称せられていますが、実施はマンゴスチンの果実を模ったといわれる香合です。
日本には伝世の名品が沢山残されていますが本国タイでは発掘品しか現存していません。この日本伝世品をタイに持参して専門の陶器工房に再現製作を依頼して作り、現在たくさん出回っています。
古法にのっとり、タイ中北部のスワンカローク地方の土を使って(灰色の粗目の土に砂が噛み微細な黒胡麻が見えるもの)かなり再現度が高い作品に仕上げています。
同じ形で呉須を使用した作品もありますが、安南手と混同したもので古い作品の宋胡禄にはないものと推察しています。
本作品に話を戻しますが、本作品は現在はじっくり鑑賞中です。
茶事ではどうも重くて使いづらいので茶事の茶碗は不向きですね。
向付には良いのでしょうが、揃いでの蒐集は難しい。
絵付けは素朴でいいと思います。
見込みが濃い茶色というのは茶碗というより、やはり向付にして使ったほうが料理が映えるかもしれません。
桧垣文のような文様は日本からの注文でしょうか? 内側にもあるのがいいですね。
底に作り方はまるで盃洗のようです。
箱は一応下記のようにしておきました。
記事が長くなりましたが、内容は独断と偏見の部分もあろうかと思いますが、読まれた方がいくらかでも参考になればと思います。
日本画(掛け軸を含む)、洋画、漆器、刀剣、陶磁器、博多人形とあちこちの知識が小生の頭の中で混乱してきました