夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

菜の花下雲雀図 平福穂庵筆 慶應3年(1867年)頃

2019-02-07 00:01:00 | 掛け軸
現在、平福穂庵の作品を制作年代順に整理しています。新たな発見は今まで贋作と当方でも考えていた作品に意外に真作が多いという点です。こういう判断は数多く蒐集し、資料を広く拾い上げた結果だと自画自賛していますが、あくまでも平福父子の作品は贋作が多いの注意はしています。特に平福百穂の作品は要注意ですね。



本日はそのような整理の中で真作と判断した作品の紹介です。この作品を平福穂庵の真作と認める方は小生を除くとあまりいないかもしれませんね。それほど平福穂庵には贋作が多いという風評が多いからでもあります。

菜の花下雲雀図 平福穂庵筆 慶應3年(1867年)頃
紙本水墨淡彩軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:横737*縦2230 画サイズ:横595*縦1310
*分類第1期:文池から穂庵へ (安政5年~慶応3年)

 

本作品で注目されるのは白文朱方印の「文池」の大きめの印章が押印されている点です。落款の字の癖も前半は「庵」のハネが極端になっているのも特徴です。



平福穂庵は初期の頃の1860年代まで落款と印章共々「文池」と併用していたと思われます。初期の頃の作品は非常の数が少なく、資料的な価値は高くなります。

当方でも初号の「文池」の落款の下記の作品を本ブログで紹介しています。

業平東下之図 平福穂庵筆 慶応2年(1865年)
紙本淡彩軸装 軸先陶器 誂え合箱二重箱
全体サイズ:横*縦 作品サイズ:横538*縦843
*分類第1期:文池から穂庵へ (安政5年~慶応3年)

 

平福穂庵の号が「穂庵」に落ち着くのは明治2年頃からです。それまでは「文池」、「穂葊」(穂庵号の「庵」の字画が「葊」になっている)を併用しています。その制作年代の特定にはこれらがひとつの根拠になります。本作品は明治直前の幕末頃の作と推定されます。



「文池」の印で確認されているのは白文「文池之印」、朱文円印「文池」、主文楕円印「文池」、朱文「文」と白文「池」がありあますが、本作品の白文「文池」は確認されていないので資料的には初出の作品となります。



平福穂庵は初期の頃は四条派の影響の色濃い花鳥画を初期の頃に数多く描いています。



人のよっては贋作と分類する人がいるかもしれませんが、当方の判断では初期の貴重な作品と判断しました。



贋作を真作と思っている人は売買しない限り微笑ましいのですが、逆に真作を贋作として扱うことは百倍罪深いものです。このことを認識している人は決して他人の所蔵作品に贋作とは言わないようです。

格のある骨董店で所蔵品をよく見てもらう方がいますが意外に贋作とは言わないものです。親しい方には正直な感想を言いますが、一見さんには通常は「結構な作品ですね。」と言われます。私もそうですが、買取でないかぎり正直なところは口に出さないのが流儀のようです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。