peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都40:正林寺

2010年03月09日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

P1860733

P1860775

2010年2月6日(土)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」第3日目。六波羅蜜寺~清水寺と巡って、この日3箇所目の京都市東山区渋谷(しぶたに)通東大路東入3丁目上馬町(かみうまちょう)にある正林寺(しょうりんじ)を訪ねた。清水寺を予定よりだいぶ早く出発したので、正林寺の駐車場に着いたのは、10:10時ごろ。ここの参拝予定時間は35分間。

 脇門から直接駐車場に入ったので、正門に廻って写真を撮る。同行した皆さんは誰も来ないので早々にバスに戻る。門の脇に植えられている夏蜜柑の木が、沢山実を付けていた。

P1860803

P1860783

P1860787

P1860797

P1860801

正林寺:正式には、清涼山光明真言院正林寺という浄土宗の寺院で、通称を「小松谷正林寺(こまつたにしょうりんじ)。本尊は阿弥陀如来。建仁2年(1202)正月創建、開基は法然(開山)、中興 義山・恵空。法然上人二十五霊跡第14番札所。御詠歌「千年経る小松のもとをすみかにて無量寿仏の迎えをぞ待つ」。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%9E%97%E5%AF%BA_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)[正林寺(京都市)-Wikipedia]

P1860798

 小松谷御坊旧跡(こまつたにごぼうきゅうせき):ここはもと平清盛の長男・平重盛(たいらのしげもり)の別邸で、48の燈籠を灯して念仏させたという燈籠堂のあった所で、平家没落後、関白九条兼実(1149~1207)の山荘となっていた。兼実は法然(1133~1212)を請じ度々法談を行った。建仁2年(1202)正月、ここで法然を戒師として兼実が剃髪出家した旧跡である。法然がここに居住していたこともあるという。元久2年(1205)8月、法然が瘧(おこり)を患い、その時聖覚が修法を施したという。建永2年(1207)3月、四国に流罪の時も当御坊から出発した。

 応仁の乱で、ここは灰燼に帰し、一時廃絶したが、江戸中期に義山が復興に努め、弟子の恵空が意思を継ぎ、北野(真盛辻子)にあった正林寺を移して中興した。享保20年(1735)九条家より河原殿の建物が移築され、大師堂・方丈などになった。宝暦年間(1751~1761)建立の本堂に阿弥陀如来像、大師堂に園光大師(法然)像を中心に九条兼実・聖光国師像を祀る。上の石標は、正林寺中興以前の小松谷御坊の跡を示すものである。

 兼実は母が高階基章の娘であったことや、妻が成親の娘だったことから一門の中でも微妙な立場であった。保元・平治の乱に功績があり内大臣となった。邸宅の地名から「小松殿」と呼ばれた。清盛に先立って死んだ。「平家物語」では、冷静沈着で文武に優れ、かつ信仰心に篤い理想的な人柄に描かれている。保延3年(1137)~治承3年(1179)

P1860790

 http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hi042.html [HI042 小松谷御坊跡]

P1860788

 上馬町・小松谷地蔵尊

P1860751

P1860764

 平重盛公の私邸(「平家物語」巻2)跡と伝えられている正林寺

P1860741

P1860745

 正林寺本堂扁額。

P1860746

P1860748

P1860774

P1860766

http://www.sawadamikio.info/temple%2025/r14/r14.html [正林寺]

P1860736

(上)小松谷保育園&小松谷児童館。

P1860756

 サザンカ(山茶花)と思われる花が咲いていました。

P1860768

(下)スイセン(水仙)も咲いていました。

P1860770


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都39:清水寺(きよみずでら)その4

2010年03月06日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

P1860622

2010年2月6日(土)、平家物語ゆかりの地を巡る旅第3日目。この日2番目の目的地・清水寺には、予定より30分ほど早く到着した。仁王門~本堂(清水の舞台)~奥の院と参拝した後、なだらかな道を歩いて本堂/奥の院下の音羽の滝に至る。近くにあったアテルイ・モレの顕彰碑前で少し時間をかけたが、その後は一路もと来た道を戻るだけ。

P1860627

P1860626

曹洞宗太祖 常済大師 顕彰碑:常済大師(じょうさいだいし)は瑩山禅師(けいざんぜんじ)ともいう。道元から四代目にあたる瑩山は、多くの弟子を育て禅を広く大衆に広め、曹洞宗(そうとうしゅう)の基礎をつくった。曹洞宗では道元を宗派の父、瑩山を母にたとえている。能登総持寺を開き、曹洞宗を広めた瑩山は明治42年皇室から常済大師、弘徳円明国師などの称号を贈られている。

 http://www.butsuzou.com/jiten/taiso.html [太祖 常済大師・瑩山禅師(仏教事典)]

P1860628

P1860632

P1860623

P1860625

P1860634

P1860635

P1860644

戻り道から見た西門(せいもん)

P1860641

P1860646

これから清水坂(参道)を戻るだけだが、時計はまだ9:27時(予定時間は10:30時)。

P1860653

 清水寺善光寺堂(旧地蔵院):清水坂(参道)を登りつめた山門手前左側にある。洛陽三十三所観音霊場第10番札所。庇下右側の見える小さな祠には通称名・首振地蔵が安置されている。(京都市東山区清水1丁目294)。

 鎌倉時代以前から地蔵菩薩を祀る地蔵堂であったが、如意輪観音を併祀して「地蔵院」となり、明治の初め、奥の院南庭にあった善光寺如来堂を合併して「善光寺堂」と称している。如意輪観音像は鎌倉末期作の秀逸な六臂坐像で、本尊の地蔵菩薩立像と並んで崇敬されている。

 http://rakuyo33.jp/10.shtml [洛陽三十三所観音巡礼 第十番札所 清水寺善光寺堂(旧地蔵院)]

  http://blogs.yahoo.co.jp/haduki223/28157232.html [洛陽三十三所巡礼~第十番 清水寺善光寺堂~-もう一度輝くために-Yahoo!ブログ]

 http://tuusyou.hp.infoseek.co.jp/t162.html [162.首振地蔵]

P1860657

 同行者たちは、清水坂(参道)の両側にある土産物屋などに立ち寄ったりしていたが、私は買う気もないので、ただ美しいと思った店先の写真を撮るだけ。三年坂(産寧坂)より清水寺の清水坂は修学旅行シーズンともなると大変な人混みになるとのこと。いわゆる定番京都土産に混じって、修学旅行生向きのファッション、アクセサリなどの店も幾つか見られるそうです。

P1860662

P1860665

P1860675

P1860677

P1860687

P1860679

P1860682

P1860683

P1860692

 経書堂(きょうかくどう):清水道(坂)の途中、清水道、五条坂、三年坂(産寧坂)の合流点の北側にある。清水寺塔頭の来迎院(らいごいん)の仏堂で、創建年代は不明。中世に成立した清水の花見を主題とした謡曲「熊野(ゆや)」に「御法の花も開くなる 経書堂はこれかとよ」と謡われていることから、古くから清水寺の参詣道にあって親しまれてきた事が伺われる。本尊は、三尺(約90㎝)程の16歳の聖徳太子像で、脇壇に三尊像を安置している。

 http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1700/20705066.html [聖徳太子を祀る清水寺の小さな境外塔頭(経書堂)]

  http://tuusyou.hp.infoseek.co.jp/t161.html [161.経書堂]

P1860695

P1860700

P1860701

 参道:東大路通の清水道交差点から清水寺までの約1.2kmの坂道は清水道と称され、道の両側には観光客向けのみやげ物店などが軒を連ねている。この道は松原通(かつての五条通)の延長である。

 その南、東山五条の交差点から北東に上り、清水道に合流する五条坂も参詣道となっている。さらに、五条坂の途中から分岐して清水寺仁王門付近に達する清水新道(茶わん坂)もある。

 これらの参道が開けたのは近世以降のことであり、中世までは八坂の塔(法観寺)を経て産寧坂(三年坂)を南方向へ上り、経書堂(きょうかくどう)のところで左(東)へ折れるルートが参道であった。[以上、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)清水寺より]

  http://kiyomizuderara.com/approach-to-a-shrine/ [清水寺パーフェクトガイドより]


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都38:清水寺(きよみずでら)その3

2010年03月05日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

P1860549

P1860557

P1860576

P1860574_2

(下)伝福禄寿:清水寺縁起によれば、奈良時代宝亀9年(778)、当地(音羽の滝)一帯を中心として練行中の行叡居士より大和の子島寺僧延鎮上人が霊水を嘱され観音像を奉納し祀ったことにより当山の草創がある。

 この石像はその頃、練行中の行叡居士のお姿として伝えられ、当地の仏教行者は道教の熟達であった事が十分想像される数少ない資料の一つである。

 しかし、後世では宝冠に似た頭巾と広袖の衣、長髪の顎ひげをたらし、右手に持つ錫杖、左手の経巻などの形から、七福神の一つ福禄寿として信仰をあつめ祀られてきた。

P1860573_2

P1860577

P1860580

清水の舞台(下から見たところ)

P1860584_2

音羽の滝:奥の院の建つ崖の下にある。清水寺の寺号の由来である霊水で、3本の筧(かけい)から水が流れ落ちている。http://www.kiyomizudera.or.jp/otowa.html

 御詠歌:松風や音羽の滝の清水をむすぶ心は涼しかるらん

P1860591

 音羽の滝は、音羽の山中から涌出する清泉で、四季増減なく昔より名水をもってきわめて有名であります。音羽の滝には不動明王を祀っております。当山

P1860583

 修学旅行の生徒たちが群がって「霊水」を受けていた。55年も前のことになるのだが、同じようにして水を受けて飲んだことを覚えている。

P1860587

崖の上に阿弥陀堂と奥の院が見える。本堂(清水の舞台)と同じように見える。

P1860552_3

 本堂から奥の院方面に行くと、右手に音羽の滝(不動堂拝堂)方面に下り手行ける長い石段がある。修学旅行の生徒たちは皆その石段を下りてくる。

P1860593_2

P1860618

 (上)音羽地蔵尊

P1860650

 清水寺境内図:「アテルイとモレの慰霊碑」は、本堂(清水の舞台)の下の方にあった。

P1860602

 アテルイとモレの慰霊碑:坂上田村麻呂のゆかりから1994年に建立されたもので、音羽の滝から仁王門方面へ戻る道の左手に立つ。碑面には「北天の雄 阿弖流為 母禮之碑」とある。

P1860615

P1860611

 顕彰碑:八世紀末頃、日高見国胆沢(岩手県水沢市地方)を本拠とした蝦夷(えみし)の首領・阿弖流為(サテルイ)は中央政府の数次に亘る侵略に対し十数年に及ぶ奮闘も空しく、遂に坂上田村麻呂の軍門に降り同胞の母礼(モレ)と共に京都に連行された。

 田村麻呂は敵将ながらアテルイ、モレの武勇、人物を惜しみ政府に助命嘆願したが容れられず、アテルイ、モレ両雄は802年河内国で処刑された。

 この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内にアテルイ、モレ顕彰碑を建立す。

P1860608

http://www.kiyomizudera.or.jp/aterui-more.html [音羽山 清水寺公式ホームページ/アテルイ、モレの碑]

http://www.kiyomizudera.or.jp/kaizan.html [音羽山 清水寺公式ホームページ/重要文化財・田村堂(開山堂)]

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Renge/3393/sakanouenotamuramaro.html [坂上田村麻呂の墓]


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都37:清水寺(きよみずでら)その2

2010年03月05日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

P1860545

2010年2月6日(土)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」第3日目。この日最初に参拝した六波羅蜜寺を予定より早く出発したので、清水寺の駐車場にバスが到着したのは9:00前。

 境内は標高242mの清水山(音羽山)中腹に石垣を築いて整地され、多くの建物が軒を接するように建ち並んでいる。入口の仁王門を過ぎ、西門(さいもん)、三重塔、鐘楼、経堂、田村堂(開山堂)、朝倉堂などを経て本堂に至る。 本堂(清水の舞台)参拝は9:10時。

 清水寺本堂(附:厨子3基)は国宝に指定されているが、文化財保護法第2条に基づき、建物とともに清水寺境内地も1993年9月1日付けで国宝に追加指定されている。[以下、写真説明などは、全てフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」より]

 http://www.kiyomizudera.or.jp/keidai-map.html [境内案内図]

 ここから皆で、奥の院の前を通って岩手県ゆかりの「アテルイとモレの慰霊碑」に行くことになった。

本堂(清水の舞台)を出ると、すぐ左手にある。サザンカ(山茶花)越しに地主神社(じしゅじんじゃ):京都市東山区清水1丁目317が見えた。

P1860507

 地主神社(じしゅじんじゃ):本堂の北にある神社で、清水寺の鎮守社で縁結びの神として信仰を集めている。本殿、拝殿、総門は清水寺本堂と同じく寛永10年(1633)の再建である。ちなみに清水寺・仁王門前にある狛犬は地主神社のものである。なお、地主神社本殿・拝殿・総門および地主神社境内地も社殿と一体をなして価値を形成するものとして重要文化財に指定されている。

http://kaiwai.city.kyoto.jp/search/view_sight.phpInforKindCode=1&ManageCode=1000087

[京都市観光文化情報システム:地主神社]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%BB%E7%A5%9E%E7%A4%BE [地主神社-Wikipedia]

http://www.jishujinja.or.jp/ [縁結びの神社 京都地主神社] 

P1860509

P1860513

 (上と下)釈迦堂(重要文化財):本堂の先の山腹に建つ、寄棟造、檜皮葺きの三間堂。寛永再興時の再建。昭和47年(1972)の集中豪雨による土砂崩れで倒壊したが、3年後に旧材をもって復元された。

P1860518

http://www.kiyomizudera.or.jp/syakadou.html [釈迦堂]

P1860515

P1860516

(上)西向地蔵堂

P1860514

 (上)左は釈迦堂、右は奥の院。(下から見ると清水の舞台と同じような所に建っている。)

P1860520

 阿弥陀堂(重要文化財):釈迦堂の右(南)に建つ入母屋造、瓦葺きの三間堂。寛永再興時の再建。前面の旧外陣部分を改造して奥の院への通路としている。内陣正面には後柏原天皇筆の「日本最初常行念仏道場」の額が架かる。文治4年(1188)、法然がこの地で念仏を修したとの故事により、法然上人二十五霊場の十三番とされている。

http://www.kiyomizudera.or.jp/amida.html [阿弥陀堂] 

P1860523

P1860525

P1860529

(上と下)濡れ手観音:http://www.kiyomizudera.or.jp/nuretekannon.html

P1860530

P1860547

http://www.kiyomizudera.or.jp/okunoin.html [奥の院]

P1860526

 奥の院(重要文化財):阿弥陀堂の先(南)、本堂の全貌を見渡すことができる位置に建つ、寄棟造、檜皮葺きの五間堂。寛永再興時の再建。本堂より小規模ながら、崖にせり出した懸造の建物である。本堂と同様に千手観音、毘沙門天、地蔵菩薩、二十八部衆、風神・雷神の諸仏を安置する。ただし中尊は本堂本尊と異なり坐像である。洛陽三十三所観音霊場第11番札所。

P1860527

重要文化財(美術工芸品):木造千手観音坐像(奥の院本尊・秘仏)、木造十一面観音立像(本堂本尊とは別個の像)、木造伝・観音勢至菩薩立像(もと阿弥陀堂安置)、木造大日如来坐像(もと真福寺大日堂安置)、木造毘沙門天立像(塔頭慈心院所有)、これらは全て宝蔵館に収蔵され非公開

P1860535

P1860539


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都36:清水寺(1)

2010年03月04日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

P1860433

P1860436

2010年2月6日(土)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」の3日目。この日最初の目的地・六波羅蜜寺での時間が予定(8:20~9:10時)よりだいぶ早く終わったので、清水寺(きよみずでら:京都市東山区清水)の大駐車場に着いたのは8:55時。

P1860438

 P1860441

清水寺の参道(清水坂)を登りながら、道の両側に並んでいる土産物店などの写真を撮る。宇治茶や京扇子、八ツ橋の店が目立ちました。

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%AF%BA[清水寺-Wikipedia]

P1860443

P1860448

P1860444

 一足先に歩き出した修学旅行の生徒たちを追い越して行きます。

P1860446

P1860449

P1860450

P1860451

P1860452

 清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山と称する。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三箇所観音霊場の第16番札所である。[出典:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」より、以下の写真説明を含む。]

P1860453

P1860454

 仁王門(重要文化財):境内入口に建つ朱塗りの門。三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺きで、正面左右に鎌倉時代末期の金剛力士(仁王)像を安置する。室町時代の建立で、馬駐(うまどめ)、鐘楼とともに寛永6年(1629)の大火を免れた。

  http://www.kiyomizudera.or.jp/niou.html [仁王門]

P1860473

隋求堂(ずいぐどう):仁王門から参道を進んだ正面に位置する。もとは塔頭慈心院の本堂で、慈心院を中興した僧・盛松により、享保20年(1735)に建立された。本尊の秘仏・大隋求菩薩像は八臂(ひじ)の坐像で、享保18年(1733)の作である。脇侍として吉祥天立像と毘沙門天立像(重要文化財)を安置していたが、後者は宝蔵館に移されている。堂の地下の暗闇を歩く「胎内めぐり」が行われている。

http://www.kiyomizudera.or.jp/zuigudou.html

P1860474

 西門(重要文化財):仁王門を潜って右方の小高い位置に建つ。寛永8年(1631)の建立。切妻造、檜皮葺きで、形式的には八脚門だが、正面に向拝、背面には軒唐破風(のきからはふ)を付し、内部には床板と格天井を張る特殊な形式の門である。全面朱塗り、軒下の組物や蟇股(かえるまた)などは極彩色とするなど、門というよりは神社の拝殿のように見え、特殊な用途をもった建物と推定されている。

  http://www.kiyomizudera.or.jp/seimon.html [西門(せいもん)]

P1860488

(左奥)三重塔(重要文化財):西門の先に建つ和様の塔。寛永再興時の再建。高さ30.1m。昭和62年(1987)に完了した解体修理により、外部の極彩色が復元されている。内部には、曼荼羅の密教世界が造形されて、中央には大日如来が安置されている。

  http://www.kiyomizudera.or.jp/sanjyuu.html [三重塔]

(手前右)経堂(重要文化財):三重塔の隣に建つ入母屋造、瓦葺きの五間堂。寛永再興時の再建。内部には釈迦三尊像(脇侍は文殊菩薩と普賢菩薩)を安置する。堂は工芸品などの展示場として使用されることもある。

  http://www.kiyomizudera.or.jp/kyoudou.html [経堂]

P1860482

P1860485

P1860489

 田村堂(重要文化財):経堂の隣に建つ入母屋造、瓦葺きの三間堂。開山堂とも称する。寛永再興時の再建。内部には開放形の厨子内に坂上田村麻呂夫妻像を安置し、その向かって左に行叡と延鎮の像を祀る。いずれも清水寺創建に関わる人物である。堂内は通常は非公開。

http://www.kiyomizudera.or.jp/kaizan.html [田村堂(開山堂)] 

P1860493

P1860490

轟門(普門閣):寛永年間(1630年代)の建立。

  http://www.kiyomizudera.or.jp/todoroki.html [轟門] 

P1860494

P1860497

「出世大黒天」

P1860496

P1860500

  http://www.kiyomizudera.or.jp/hondou.html [本堂(清水の舞台)]

 P1860543

 (上)本堂(国宝):徳川家光の寄進により寛永10年(1633)に再建されたもの。「清水の舞台」とも呼ばれる。屋根は寄棟造、檜皮葺きで、正面(南面)左右に入母屋造の翼廊が突き出し、外観に変化を与えている。建物の前半部分は山の斜面にせり出すようにして建てられ、多くの長大な柱(139本という)が「舞台」と呼ばれるせり出し部分を支えている。(釘は使われていない。)このような構造を「懸造(かけづくり)」、あるいは「舞台造」と言い、観音菩薩は補陀洛山(ふだらくさん)に現われるという「法華経」「観世音菩薩普門品」(観音経)の所説に基づくものである。洛陽三十三所観音霊場第12番。

 P1860499

 (上)本堂前の清水の舞台。(下)下から見た「清水の舞台から飛び降りるつもりで」と形容される「清水の舞台」

P1860588

清水の舞台:思い切って物事を決断することを「清水(きよみず)の舞台から飛び降りるつもりで」と言うが、清水寺の古文書調査によれば、実際に飛び降りた人が1694年から1864年の間に234件に上り、生存率は85.4%であった。明治5年(1872)に政府が飛び降り禁止令を出し、柵を張るなど対策を施したことで下火になったという。

P1860503

(上)清水の舞台から見た奥の院

「平家物語」と清水寺:父後白河法皇と対立する二条天皇は、強引に故近衛天皇の后を入内させるが<二代后(にだいのきさき)>若くして崩御し、六条天皇が即位する。葬送の夜、墓所にかける額の順序をめぐり興福寺と延暦寺の衆徒が衝突する。<額打論(がくうちろん)>。その結果、山門の大衆は、興福寺の末寺清水寺を焼き払う。後に、後白河法皇が山門に平家追討を命じたのだとの風聞が流れる。<清水寺炎上(きよみずでらえんじょう)>。

http://www.kiyomizudera.or.jp/ [音羽山 清水寺 公式ホームページ]