peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都35:六波羅蜜寺(2)

2010年03月04日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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 平清盛坐像 鎌倉時代(重要文化財):平家一門が栄華を極めていた時期、清盛並びに平家一門が住んでいたのは、平安京の東にあった六波羅である。六波羅は東山の麓に開けた穏やかな傾斜地で、清盛の邸宅である泉殿を始め、一門の居館がずらりと建ち並んでいたといわれる。

 もっとも六波羅は、墓地だった鳥辺野への葬送地であり、人々から忌み嫌われていた土地であった。それを承知で、六波羅を選んだのは、都に近く、様々な街道に通じる交通の要所であったからだ。慣習より実用性を重んじる点が、清盛らしい選択といえるだろう。さぞ広大な光景が広がっていたであろうと思うが、現在は居館跡はない。

 現在は京都市東山区となっているかつての六波羅付近を歩いてみると、商店や住宅が建ち並ぶ一画に六波羅蜜寺がある。六波羅蜜寺は、平氏がこの地に住む以前から建立されており、平氏が住むようになって縁ができたといわれる。[以上、山と渓谷社発行、見延典子著”「平家物語」を歩く”より]

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平氏一門の屋敷跡に建つ六波羅蜜寺本堂(正面)

 http://www.rokuhara.or.jp/ [六波羅蜜寺]

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 阿古屋塚:阿古屋の菩提を弔うため鎌倉時代に建立す。石造宝塔(鎌倉時代)で、その下の台は、古墳時代の石棺の石蓋を用いている。浄瑠璃、壇ノ浦兜軍記三段目”阿古屋の琴責め” 平家の残党、悪七兵衛景清の行方をさがすため、想い人で五条坂に住む白拍子、阿古屋を捕え、代官、畠山重忠は、彼女が景清の所在を心に秘めていることを知っていたが、弾かせた三味線、琴などの調べに一点の乱れのないことに感動し、彼女を釈放する。

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嵯峨天皇と弘法大師:嵯峨天皇(786~842)の時代というから、平安遷都から20数年後(820年前後)のこと、弘法大師(774~835)が六波羅に地蔵堂を建立し、自作の地蔵菩薩を安置した。

 地蔵さまは六道にいる人間の苦を救う仏で、この世からあの世へ、またあの世からこの世へ、さ迷える魂の送迎をする。それは重要な役割を担う神で、地獄に落ちた亡者を救えるのは唯一、地蔵菩薩しかいないのでる。

 こんな昔話が残っている。「小野妹子の先祖に小野篁(たかむら)がいるが、冥府にいた篁が満米上人と地獄へ出かけた。火の中を一人の僧が走り回っている。『亡者を助けるために、苦患を受けているのだ。』それが六道の地蔵菩薩だったという。」

 弘法大師は時の嵯峨天皇と親交を深め、大覚寺の前身・嵯峨離宮建設に協力したり、逆に天皇から高野山開創の勅許、東寺の下賜と恩竉を賜っている。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/rokuhara-mituji2.htm [名所旧跡めぐり:六波羅蜜寺]

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平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都34:六波羅蜜寺

2010年03月03日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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(上)十一面観音立像と本堂(重要文化財)、所在地:京都市東山区松原通大和大路東入2丁目

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2010年2月6日(土)、平家物語ゆかりの地を巡る旅の第3日目。最初に訪れるのは、六波羅第(平家一門の公邸)に建つ六波羅蜜寺(ろくはらみつでら)。ホテルを予定通り8:00時出発。

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 朝早いためか、人通りはほとんどない。昨夜からと思われる雪が降っている。

(下)何度目なのだろう、バスは桂川に架かる橋を渡り、六波羅蜜寺へ(300m先)。

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 歩道橋のある広い道路脇にバスが停まり、100mほどだろうか、狭い路地を六波羅蜜寺まで歩く。8:16時。

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 六波羅蜜寺(京都市東山区五条通大和大路上ル東)の拝観時間は、通常8:00~17:00時。宝物館は8:30~17:00(受付終了16:30)。宝物館拝観料:大人600円、大学生・高校生・中学生500円、小学生400円。

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六波羅蜜寺(ろくはらみつじ):天暦5年(951)、疫病平癒にため空也上人により開創された真言宗智山派の寺院で、西国三十三所観音霊場の第17番札所として古くから信仰を集めている。空也上人の自刻と伝えられる十一面観音立像(国宝)を本尊とする。空也上人は醍醐天皇の第2皇子で、若くして出家し、歓喜踊躍(かんきゆやく)しつつ念仏を唱えたことで知られ、今に伝わる六斎念仏の始祖である。往時は寺域も広く、平家の邸館や鎌倉幕府の探題が置かれるなど、源平盛衰の史跡の中心でもある。 宝物館には定朝(じょうちょう)の作といわれる地蔵菩薩立像のほか、空也上人立像、平清盛坐像、長快作の弘法大師像など数多くの重要文化財を安置し、境内の十輪院が仏師運慶一族の菩提寺であったことから、本尊の脇に祀られていたという運慶・湛慶坐像も所蔵している。 年中行事として、正月三が日の皇服茶(おうぶくちゃ)、8月の萬燈会(まんとうえ)かくれ念仏として知られる12月の空也踊躍(ゆやく)念仏(国の重要無形民俗文化財)が有名である。京都市

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 入口の掲示板に有名な空也上人立像と平清盛坐像の写真が貼られていた。(宝物館内は撮影禁止)

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(上)空也上人立像 鎌倉時代(重要文化財):運慶の四男康勝の作。胸に金鼓を、右手に撞木を、左手に鹿の杖をつき、膝を露わに草鞋をはき、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現われたという伝承のままに洗練された写実彫刻である。

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(上)平清盛坐像 鎌倉時代(重要文化財):経巻を手にしたその風姿は平家物語に描かれている清盛の傲慢さは全くなく、仏者としての気品を覚える。一門の武運長久を祈願し、朱の中へ血を点じて写経した頃の太政大臣浄海入道清盛公の像である。

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 (上)宝物館に安置されている重要文化財:一つ一つ丁寧に説明していただきました。

    画像は、下記のWebサイトにアクセスしてみてください。

     http://rokuhara.or.jp/cal/ [六波羅蜜寺/重要文化財#a1]

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(上)平清盛公の塚

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(上と下)本堂正面

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(上)弁財天堂

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C%E5%AF%BA [六波羅蜜寺-Wikipedia]


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都33:京都タワー

2010年03月03日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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2010年2月5日(金)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」第2日目。この日最後の目的地・京都市祇園の見学を終えて、ホテル(京都第2タワーホテル)には予定の時間(17:30時)より少し早く帰って来ました。夕食は各自自由となっていましたので、昨日皆で夕食を摂ったお食事・居酒屋の”飯田屋・惣平”に決め、妻と2人ですぐに出かけました。

 妻が「平家物語を歩く」という本の購入を頼まれているというので、京都タワーの3階にある本屋さんに行ってみましたが、「その出版社の本は置いていない」というので買うことができませんでした。

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 未だ夕食には早い時間だったので、京都タワーに上ってみたいと思ったのですが、妻が「700円以上も出さなければならないのであれば上らない」というので、タワーの乗り場入口の券売り場まで行って見たら770円でした。諦めようと思った時、妻がホテルから「無料券」を貰っていたことを思い出してくれたので、地上100mの所にある5階の展望室まで上って、京都市内の夜景を展望してきました。4階展望室は地上97m、エレベーターの3階は地上46.65m、テレビアンテナまでの高さは131m。

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(下)17:18時 京都タワー www.kyoto-tower.co.jp

         京都市下京区烏丸通七条下ル(JR京都駅烏丸口正面)

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(下数枚)京都タワー5階(地上100m)の展望室からの眺め

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(上)すぐ近くにある京都劇場。17:46時

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京都タワー展望台で、同行の女性1人と出会ったので、3人で一緒に夕食を摂りました。お食事・居酒屋”飯田屋・惣平”

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平家物語ゆかりの地を巡る旅33:祇園~円山公園

2010年03月01日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

2010年2月5日(金)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」第2日目。この日最後の目的地は「祇園」。ここは各自「自由行動」だったが、私はもちろん、妻も下調べをして行かなかったので、どこへ行ったらよいかわからない。浄土宗総本山知恩院前にある駐車場から降りた同行者たちが行く方向に従いて歩いていると、知恩院を参拝するつもりのようである。しかし、既に参観時間を過ぎていたようで入場できない。

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 同行者たちが、知恩院南門を潜って円山公園の方に行くので従いて行く。

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 池で遊んでいるマガモを見たりしている中に時間が過ぎて行く。

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 マップで円山公園の奥の方に建礼門院ゆかりの「長楽寺」があるのを見つけたので、入口まで行ったが、時間がないので公園内を散策しながら帰ることにする。

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 「坂本龍馬と中岡慎太郎銅像」が建っていた。

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 ここでの予定時間は、15:50~16:30時。既に16:22時になっていた。


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都32:祇園~知恩院

2010年02月24日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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2010年2月5日(金)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」第2日目。この日最後の目的地は「祇園」。ここは各自「自由行動」だったが、私はもちろん、妻も下調べをして行かなかったので、どこへ行ったらよいかわからない。浄土宗総本山知恩院前にある駐車場から降りた同行者たちが行く方向に従いて歩いていると、知恩院を参拝するつもりのようである。しかし、既に参観時間を過ぎていたようで入場できない。

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知恩院(ちおんいん):浄土宗の総本山で法然上人を開基とする。この地は法然上人が比叡山から下り、草庵(吉水の草庵という)を結び、初めて浄土の教えを宣布した所である。法然の死後、文暦元年(1234)に弟子勢観房源智が廟所を整えて華頂山智恩教院大谷寺と号し、自ら当寺第2世となった。応仁の乱の時には、一時兵火を近江に避けたが、のち徳川家康の手厚い帰依を受け、広大な寺地の寄進を受けて寺観を整えた。三門は徳川秀忠が元和(げんな)7年(1621)に建立した広壮雄麗な大楼門で、国宝に指定されている。このほか、本堂(御影堂・国宝)は寛永16年(1639)、大方丈・小方丈(いずれも重要文化財)は寛永18年(1641)の建築で、本堂と集会堂と大方丈をつなぐ三角間の長廊は、知恩院七不思議の一つに数えられる「鶯張りの廊下」として有名である。寺宝として阿弥陀二十五菩薩来迎図=らいごうず(国宝)ほか多数を蔵する。京都市

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 円山公園の入口近くに「祇園小唄」の歌曲碑が建っていた。

祇園小唄:祇園小唄は、長田幹彦(1887~1964)が昭和初期に祇園のお茶屋「吉うた」で作詞し、佐々紅華(1886~1961)が作曲、マキノ映画「絵日傘」(昭和5年)の主題歌として全国的に大流行し、不滅の名曲になりました。また、四世井上八千代師の振り付けで、祇園の芸舞妓さんがお座敷で必ず舞うようになり、京の花街を代表する舞踊になっています。歌詞が誕生した縁で「吉うた」の二代目女将お龍さんが長年奔走し、京都市・京都新聞社・祇園甲部を中心に各界が集まり、昭和36年11月23日、長田幹彦自筆のこの歌曲碑が、佐々紅華の譜面銅板とともにここに設置されました。平成14年11月23日 京都市長

http://www.gion.or.jp/gion_tenkei/m32.html> [祇園小唄碑]

http://ryu3.cocolog-nifty.com/dragontail/2006/11/post_41ef.html [dragon-tail:京都と「作家」その6 長田幹彦]

http://blogs.yahoo.co.jp/meitoku55305/22604027.html[祇園小唄に感謝の献花 舞妓ら歌詞も朗読 円山公園 歌碑の前-]

http://www.gion-fukuzumi.com/mycom/?mid=89[京都 旅館 福住 京都市東山区祇園]

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 「祇園小唄」の歌曲碑の近くに、お多福南天(おたふくなんてん)と呼ばれるナンテン(南天)の矮性種があった。真っ赤に紅葉した葉がとてもきれいだった。

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メギ科 ナンテン(ナンディナ)属 Nandina:</atrong>インドから日本に1種が自生する常緑または半落葉性低木。ナンテン(南天)N.domestica>は、日本では中部以南の山林に自生する常緑低木で、縁起木として庭園に多く植えられる。ナンテンの語源は「難転」とか「「成る天」であるといわれる。Nandina(ナンディナ)は、日本語の「ナンテン」が語源。

オタフクナンテン(お多福南天/於多福南天) Nandina domestica cv.Otafukunanten

別名:オカメナンテン(阿亀南天)、ゴシキナンテン。ナンテンの矮性種で耐寒性常緑低木。成長がとても遅く、樹高は30~60㎝ぐらいでおさまりあまり大きくならない。普通剪定いらずでコンパクトにまとまる。(ただ、自然環境で放任して栽培した場合は、もっと伸びるものもある。)花期:5~6月。紅葉:12~2月。日陰でも良く育つので北側のグランドカバーに向く。

 紅葉が素晴らしく、冬花壇のグランドカバーにおすすめ。5月ごろから葉色が戻っていき、ライムグリーン~青葉になる。冬の低温にあたると葉色が赤くなる。普通のナンテンは果実がなるが、お多福ナンテンの果実は見たことがない。

 3~5月が最も葉が少ない時期になる。理由は古い葉が落葉すること、新芽が春風で乾燥して傷みやすいことによる。新芽はしんなりしていてビロビロ。風を長時間受けて急激に乾燥すると黒くなってチリチリになる。耐寒性、耐暑性、耐病性が共に強く、害虫がつきにくい、日陰に強い、潮風や乾燥に強い、やせ地に強い、萌芽力が強い、刈り込みに耐えるなど魅力満点。

 用途:グランドカバー、鉢植え、盆栽、記念樹、花壇、工場緑地帯、街路樹、学校、公園、ゴルフ場。

 

http://www.hanahiroba.com/niwaki-nanten_otafuku.htm [オタフクナンテン 花ひろばお買い物]

http://www.kawasakimidori.main.jp/webzukan/otahukunantan.html [オタフクナンテン(お多福南天)]

http://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_2238.html[四季の山野草(オタフクナンテン)]

http://www.hana300.com/otafuk.html [お多福南天(オタフクナンテン)]