peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

奥州市衣川区の葦/葭(よし)&衣河関跡擬定地 2013年11月6日(水)

2013年11月19日 | 植物図鑑

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2013年11月6日(水)、奥州市衣川区にある安倍氏の12柵跡擬定地などを訪ねました。初めに訪ねた衣川左岸(北側)堤防沿いにある接待館跡の近くに群生した葦(アシ/ヨシ)が、花穂を沢山出していました。

http://www.is-field.com/koromogawa/about-koromogawa.html [ABOUT 衣川]

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(上と下6つ)小松館跡(擬定地)に向かって歩いて行ったら、衣川に架かる月山橋がありました。その橋を渡ってすぐ右側が「小松館跡」でした。真っ直ぐ進んだ所には東北自動車道のガードがあり、そこを潜るとすぐ前が「月山神社」の入口でした。

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(下)右側が東北自動車道に沿って伸びている一般道路で、左側の道は民家への入口。

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(下)車が1台通れるだけの一般道路で、400mほど西に行った高速道路沿いに「衣河関跡」(擬定地)がありました。

衣河関は延暦21年(802)に胆沢城が築かれ東国の俘囚4000人が胆沢の柵戸に配置された頃に設けられたと伝えられ、当初は胆沢郡の最南端宝塔谷地にあったとの説もある。しかし、永承元年(1045)頃当時の胆沢郡司安倍頼良(後の頼時)が、本拠を上衣川の安倍館からこの地に移した時、関所も当地に転移したものとみられている。

この地点の西は葭ガ沢で北側は登攀不可能な絶壁が延々と続き、東は衣川の本流でここから下流は徒渉不能になり、「件の関は素より隘路にして険阻なり。崤函(こっかん)の固めは一人嶮を拒めば万夫も進むあたわず」という陸奥話記の表現と一致している」(解説版より)ので、前九年合戦時の関がこの衣河関であるとの見解がある。

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(上)この橋の終端の所はT字路になっており、右側の道は山の上の方に伸びていました。左側の道は高速道路の下を通り伸びていました。

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アシ(葦、芦、蘆)/ヨシ(葭)イネ科 ヨシ属 Phragmites australis

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7 [ヨシ(Wikipedia)]

http://www.hana300.com/asi000.html [葦(アシ、ヨシ):季節の花300]

http://www.bioweather.net/column/ikimono/manyo/m0511_2.htm [葦:万葉の生きものたち]


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