WLANの5GHzバンドを試している。映像が止まらなくなった。NASとルーターは現在Cat.7ケーブルを2019年に購入して、LAN接続に使っている。10GBit、最高600MHzなので流れることは流れる。機会があればCat.8を使ってみたい。
DLして観ていなかった音楽劇場作品を流した。その年度にマンハイムで初演して年度最高初演賞をとったチャヤ・チェルノヴィンの「インフィナイト」を流した。マンハイムに続く2017年4月のアントワープでの再演らしいが指揮は同じティテュス・エンゲル。
予備知識なしには流し切るのが精一杯だった。音楽自体は比較的薄く、演出も殆ど動きがない。舞台も証明だけでミニマルで暗い。それが2時間半続く。マンハイムで振るのを知っていたら出かけていたが、同じものをバーゼルでやっても出かけるにはそれなりのアポイントメントを組み合わせたい。
作曲家の女性は1993年から日本の入野インスティテュートに二年間いたようだが、作曲家ご本人が生きていたら違ったのではないか。ジーメンス賞も授与されていたようだが、エンゲルの指揮の力も大きかっただろう。それでも映像で体験する限り弱い。
その前に、これまた通していなかったラヴェル作曲「子供と魔法」の2019年の再演が映像化されて残っている。最初の管の鳴らせ方からして中々凝っている。個人的に興味を持ったのはフランス物をどのように熟しているかであり、今年最大のイヴェント「アシスの聖フランソワ」の指揮に繋がる。リヨンでも活躍していることからもフランス物は得意なのだが、オペラをどのようにである。
その次には、これまた賞を獲得したショトックハウゼンの光から「木曜日に」の第一部を流した。以前は状況が分からない映像だったが、昨秋バーゼルの劇場を再訪して、ロビーからの階段のところに舞台を作ってバンドが演奏しているのは分かった。因みに演出は、復活祭でペトレンコの音楽的意思を反映した演出をする筈のリディア・シュタイアーである。
台本がどのようになっているかは知らないが、ロビーにお客さんが座っていて、写真などをとりながらを開始を待っている。そこに時代遅れのマッシュルームヘアーなどをしたバンド面が咥え煙草や手にウイスキーグラスを持って、ロビーでうろうろしている。
私がそこにいたならば、一体何してんのと声をかけそうな雰囲気なのだが、バンドメンの服装がやはり奇抜で、気が付かないような人もいるのだが、やはり浮いている。しかし、それなりの劇場効果とシュトックハウゼンの真意は何となく見え隠れしている。第二部、第三部を見通して観ないといけない。
いづれにしても先の音楽とは異なり、あのシュトックハウゼンのそれですら途轍もなく保守的な音楽で、その演奏の良し悪しがはっきりする。エンゲルの指揮も最初からパンチの聴いたとても鮮烈な音を出している。これならば遠くでも出かけていきたいと思わせる上演のようで、2016年10月のことだった。当時はミュンヘンに通って、秋にはペトレンコ指揮国立劇場管弦楽団の欧州ツアーにボンにまで出かけたのであった。
参照:
スッキリする白いキョゾウ 2007-12-11 | マスメディア批評
紙一重の読み替え思考 2022-09-17 | 文化一般
DLして観ていなかった音楽劇場作品を流した。その年度にマンハイムで初演して年度最高初演賞をとったチャヤ・チェルノヴィンの「インフィナイト」を流した。マンハイムに続く2017年4月のアントワープでの再演らしいが指揮は同じティテュス・エンゲル。
予備知識なしには流し切るのが精一杯だった。音楽自体は比較的薄く、演出も殆ど動きがない。舞台も証明だけでミニマルで暗い。それが2時間半続く。マンハイムで振るのを知っていたら出かけていたが、同じものをバーゼルでやっても出かけるにはそれなりのアポイントメントを組み合わせたい。
作曲家の女性は1993年から日本の入野インスティテュートに二年間いたようだが、作曲家ご本人が生きていたら違ったのではないか。ジーメンス賞も授与されていたようだが、エンゲルの指揮の力も大きかっただろう。それでも映像で体験する限り弱い。
その前に、これまた通していなかったラヴェル作曲「子供と魔法」の2019年の再演が映像化されて残っている。最初の管の鳴らせ方からして中々凝っている。個人的に興味を持ったのはフランス物をどのように熟しているかであり、今年最大のイヴェント「アシスの聖フランソワ」の指揮に繋がる。リヨンでも活躍していることからもフランス物は得意なのだが、オペラをどのようにである。
その次には、これまた賞を獲得したショトックハウゼンの光から「木曜日に」の第一部を流した。以前は状況が分からない映像だったが、昨秋バーゼルの劇場を再訪して、ロビーからの階段のところに舞台を作ってバンドが演奏しているのは分かった。因みに演出は、復活祭でペトレンコの音楽的意思を反映した演出をする筈のリディア・シュタイアーである。
台本がどのようになっているかは知らないが、ロビーにお客さんが座っていて、写真などをとりながらを開始を待っている。そこに時代遅れのマッシュルームヘアーなどをしたバンド面が咥え煙草や手にウイスキーグラスを持って、ロビーでうろうろしている。
私がそこにいたならば、一体何してんのと声をかけそうな雰囲気なのだが、バンドメンの服装がやはり奇抜で、気が付かないような人もいるのだが、やはり浮いている。しかし、それなりの劇場効果とシュトックハウゼンの真意は何となく見え隠れしている。第二部、第三部を見通して観ないといけない。
いづれにしても先の音楽とは異なり、あのシュトックハウゼンのそれですら途轍もなく保守的な音楽で、その演奏の良し悪しがはっきりする。エンゲルの指揮も最初からパンチの聴いたとても鮮烈な音を出している。これならば遠くでも出かけていきたいと思わせる上演のようで、2016年10月のことだった。当時はミュンヘンに通って、秋にはペトレンコ指揮国立劇場管弦楽団の欧州ツアーにボンにまで出かけたのであった。
参照:
スッキリする白いキョゾウ 2007-12-11 | マスメディア批評
紙一重の読み替え思考 2022-09-17 | 文化一般