Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

楽聖のアッカンベー

2023-01-27 | 
金曜日に生中継のあるベルリンの演奏会の初日の批評が載っている。先ずはベートーヴェンの第八交響曲が、なんと癖のある辱めもない交響曲だと感嘆している。三つ重ねられたフォルテ、シシシモがどの曲よりも頻繁に表れて驚かされる。ペトレンコとその敏捷な楽団で、コメディー風からはしゃぎ過ぎへの曲へと駆り立てる。当時の形式の掟を逆さとって、名を成したベートーヴェンがあかんべーをしていたかのように、指揮に呼応するフィルハーモニカー。

25分ばかりの曲のオペラティックなブッファ要素、即ち第九において少なからずも革命的なベートーヴェンの真顔ではとってもあり得なかったと思われる「へん顔」をここで見せる。ペトレンコが昨夏のあの足故障においても決してショ―的なものではない仕草とその軸のしっかりした敏捷さで管弦楽を導いたものでである。

ある時は舞踏会の様にある時はオペラティックにと、その時々目まぐるしく天秤にかけて行われる。

それは最終的にやり過ぎたのかもしれない。短い全休止前、反復の主張、最終楽章でのコントラバスの殆んどピチカートのような叩かせ方。そう、それを皆理解した。スケルツァンドでのハイドン流のビックリを最終楽章の落ち着かないそれが受けていることを。ウィットが天から落ちてくるとベルリオーズが評したベートーヴェンのスケルツォ。ペトレンコはそれを面白がって、それを咬み応えのあるユーモアとした。

既に初日の映像がトレイラーとして出ているが、なるほど九番の前の交響曲はこうなるかと思わせる。七番交響曲に続いてである。音楽的にプログラム前半で演奏されるブラームスやシェーンベルクの眼を通してだけではなく、その後の少なくとも20世紀最後迄のベートーヴェンの交響曲への視線をそこに感じる。

日曜日に雪道を走った時になぜか記録を出していた。理由は分からないのだが、久しぶりに心肺数が170を超えるようになっている。理由は、雪見散歩の人が多かったので力が入ったのと、昨年二月に左足、十一月に右足と悪くなっていたのが久しぶりに両足とも問題が消えて、アクセルを踏み込めるようになったことがある。信じれない数字は歩数で、一分240歩とかが出ている。恐らく雪で滑る動作で歩数が加算されるのだろう。火曜日も残っていたが、木曜日も轍の圧雪が凍っていた。相変わらず心拍数は上げられている。少し乍今後の期待が生じて来た。膝は少しがくがくする時があるのだが、痛めないようにしたい。氷の上はコンクリートのように固くて気を遣う。

なんだかんだと数え切れない程コロナに感染してきたが、12月からの喉と気管支の不調が治るまで数週間かかった。ここに来て漸くコロナから身体も心も解放されたような気がする。明らかに2020年1月末から三年間は運動能力もその気力も落ちていたような気がする。体重は若干落ち目で理想に近づいている。あとは筋力だけ再構築したい。



参照:
Übermut tut manchmal gut, Christiane Peitz, Tagesspiegel vom 26.1.2023
二つあることは三つめも 2023-01-26 | 雑感
ならなくてよかった趣味 2023-01-21 | 生活
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