Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

二つあることは三つめも

2023-01-26 | 雑感
階下の暖房をボンボンと焚いている。今迄やったことがないほどに二つのフィンを完熱状態にお湯を通している。なぜそうしなかったか、その上にスピーカーをつけているからだ。しかし今回フィンの上を塞いでいるので、殆ど温まらないことが分かった。要するにフィン自体はお湯で熱せられるが、そこを通る空気が遮られると直接上は温まらない。

そこからもう少し考えて、仕事机の下の足元が温まる様に、そこの熱気を手前に出してやることが出来ないか。若しくはその上で効率よくコーヒーを温めておきたい。篭り部屋では網に鉄板を置いている。もう少し効果が上がる様に長めの鉄板が欲しい。空気のベンチレータを兼ねる様になれば最高である。主婦開発製品としては洗濯干し下げ器などはあるのだが、塞ぐという発想があるのかどうか。

最近ネットのCMによく出ているのは、蛇口の先を延長して上から下からとぐるぐるとまわして、洗面所で頭まで洗える如何にも中華のお兄さんが考えるような商品が出ている。あれも見ていると数ユーロぐらいなら試してみたくなる。

暖房の不調のお陰で、メインシステムで音出しが出来ている。スークの大管弦楽作品を流している。これらの曲は、ボックスとしてキリル・ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの演奏で選集として発売されるが、同時にフィルハーモニカーの発展として、マーラ―交響曲七番、シェーンベルク「管弦楽の為の変奏曲」への流れの中でとても重要な演奏記録ともなるだろう。ペトレンコはベルリンの座付き楽団を指揮して録音までしていて、到底管弦楽団の糧になったとは思えないほどの難しさである。

正直その中の一曲「夏のメルヘン」をルツェルン音楽祭で生で聴くまでは、そこ迄やれる曲だとは全然思っていなかった。つまりそこ迄書け切れていない創作で終る所だった。まさかあんな演奏が目されている創作だとは到底思わなかった。あの演奏がなければ昨年の七番の成功はなかっただろう。

ミュンヘンのガスタイクの総合文化センターの投資者が見つからないことになった。既存のホールなどを利用して、総合文化センターとして改築されて、フィルハーモニーなども修繕され改良される予定だった。それがご破算になりそうで、新たなホール「ヤンソンスザール」建設を断念する州をパートナーとする案も出ているようだ。もしそうなれば、改修されたガスタイクのホールをBR交響楽団とミュンヒナーフィルハーモニカーが分けて使うことになるのか。恐らくフィルハーモニカーにとってイザールフィルハーモニーを使うことに利があるだろうから、BR交響楽団は新指揮者ラトルとガスタイクでの演奏がメインとなるのかもしれない。

いずれにしてもサイモン・ラトルが出向くところは、ロンドンでも新会場建設が中止になって、またミュンヘンでもとなる。呼ぶ方がその知名度が欲しくて就任して貰うのだが、そこ迄の経済的な価値が見積もられなかったとなる。都落ちのタレントに期待する向きがあれば、二つあることは三つにもなるかもしれない。



参照:
夜明けとなる大飛躍 2021-03-09 | マスメディア批評
人生における省察の日 2021-09-09 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする