Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

音楽劇場を担う幸福の手

2023-01-12 | 
復活祭のザルツブルク復帰の話題を読む。矢張り最終的には資金の話題となっている。つまりベルリナーフィルハーモニカーが一晩ごとに特別支給を摂っていることから、そこが経済的なネックとなっていて、不正会計で、嘗ての復活祭音楽祭の改革が必要となり、フィルハーモニカーがバーデンバーデンへと移った。今度はその反対で、ザルツブルクが2026年からの資金源を獲得したに違いないとされている。

バーデンバーデンからはロシアンマネーが引いて行ったことは明らかだろう。それを有志で支え合ったことがコロナ危機時に話題になった。また夏のザルツブルクはそのロシアンマネーの扱い方で今でも重荷を背負っている。

他方からの声では、その資金源に拘わらず今後こうした興業の形の見直しを迫られるのは必至とされていて、この儘では進まないとされている。

2026年のザルツブルクの復活祭を想像すると、カウフマンとグリゴーリアンの共演でカラヤンが音楽祭を始めたように、夢の舞台を演出するとしても、その入場料や演奏回数の相応しい興業となるかどうか。

上の言及からすれば、二夜の上演をバーデンバーデンでは四夜にしてと同じく、それなりの売り上げを計算できたとして、キリル・ペトレンコが理想とする演出と舞台として成功するかどうかはまた別の課題となる。

支配人のバッハラーの綱引きの強さは今回も証明された形となったのだが、その興行形態などから必ずしも理想的な制作がなされた訳ではなかった。そして、明らかにそうした興行形態自体が懐疑されているのも事実である。

二月の「ジュディッタ」再演一般発売開始に際して、一昨年の初日の録画を久しぶりに観た。その時は入場制限で二百人ぐらいだったと思うが、自分自身の興奮状態もあり、またその後の放送で当日の録画を観賞しても、今程冷静客観的には観れていなかった。暮の「ヘンゼルとグレーテル」での出来の確信もあって、更に批判的に聴けるようになった。

やはり挿入されたシェーンベルクの「幸福の手」の歌唱も指揮も見事である。それも前後のレハールの和声との絡みも十二分に考えられた鳴らし方がされていて、当夜感じていたマイクロフォンの使い方との音響差よりも上手に嵌められていた。更に芝居のその意味合いを味わえるようになればなるほど、その音楽の表現力の強さに打たれる。

和声の力感とそのダイナミックスを伴った加速感が、まさしく過去のドイツ指揮者の其れであり、それもフルトヴェングラーのように能動的よりもじっくりと弾み車が回ってくるようなクナッパーツブッシュ感があるというのはまさしくしそれだ。

この映像は将来も顧みられる出来となっていて、ただ演出のマルタ―ラーファンのアイテムだけでは決してないと分かった。観客動員数は少なくても記録されているのがティテユス・エンゲル指揮の音楽劇場である。二月には口コミで充分な観客数を動員して欲しい。途中から引き受けた、10月のフランクフルトの「マスケラーデ」に続く新制作だった。


参照:
マーラーが為せなかった事 2021-12-19 | 音
ほぼ決まった今夏の予定 2022-03-09 | 女
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