金曜日、土曜日にはベルリンからの中継があった。バレンボイムの事実上最後のベルリナーフィルハーモニカー指揮の実況中継だった。
64年ピアニストとしてブーレーズと共演してバルトークの協奏曲を演奏してデビュー。その時は双方ともあまり経験がなくて、管弦楽団が準備をしていたことから無事に終わったと本人が回想している。そしてその時の三者の出会いが続いていたという事らしい。
69年にカーゼンの伴奏をして指揮者としてデビュー。そのピアノの色彩的なテクニックを熱心に語るバレンボイム。その時には言葉がはっきりしていた。
フルトヴェングラーとの繋がりを持つ数少ない音楽家は、ビュローメダルを徐与されているらしいのだが、バレンボイムの持ち味は音響だと語られる。この点は、やはりバレンボイムをずっと追いかけていた人の意見でもそうなのかと合点がいく。
パリ管の時もシカゴ交響楽団の時もそうだったが、この元フィルハーモニカーの公報の人は、ピアノからのその音楽性についても示唆している。
週末の演奏で気が付いたのは、同郷の一歳年上のアルゲリッチとの共演でのその色彩感覚や、後半のブラームスでのカラヤン時代のフルトヴェングラー風のアマルガムの中での色彩感だった。シュターツカペレを振るようになってからのバレンボイムには全く興味がなくなってしまったのは、その色褪せ方であり、無理をしてのドイツ語発声だったが、先祖返りのような音を聴けた。
やはり独特の音色感があって、上の解説によればフルトヴェングラーそれを感じたのではないかというのだ。1980年代にはフィルハーモニーから中継を聴いていて、小澤と並んでバレンボイムのその音楽はポストカラヤンの可能性を感じさせないことはなかった。しかし二度も外されることになった背景には、ベルリンでの別のポストとの競合以上に、所謂ネオロマンティズムのあり方に多くのそしてフィルハーモニカーの楽員が懐疑をもったに違いないと改めて思う。
話し手のグリューンヴァルト氏はそれをして新旧を結ぶ架け橋にもなったとしているが、既に20世紀のネオロマンティズムな音楽への結論が出てしまっている現在はバレンボイムが芸術的な顔にならなかったことは正しかった。
それでも、亜流のティーレマンなどに比較するとやはりやっていることは本物であって、とても才能に溢れている。反面、嘗ての東ドイツを代表するシュターツカペレのズイットナー指揮の瀟洒さも古典的な美しさも失せてしまっているのが現在のシュターツカペレであり、ウンターデンリンの劇場だと思う。
往年のフィルハーモニカーよりも上だった時代に振っていたエーリッヒ・クライバーなどの指揮の歴史的な録音を聴けば、決してバレンボイム時代が成功していなかったことは明らかだ。それでも再びインターナショナルな地位へともって来た中興の祖であったことは間違いない。
参照;
大喝采のそのゆくへ 2022-06-06 | 女
Velvetの風合いの響き 2023-01-08 | 音
64年ピアニストとしてブーレーズと共演してバルトークの協奏曲を演奏してデビュー。その時は双方ともあまり経験がなくて、管弦楽団が準備をしていたことから無事に終わったと本人が回想している。そしてその時の三者の出会いが続いていたという事らしい。
69年にカーゼンの伴奏をして指揮者としてデビュー。そのピアノの色彩的なテクニックを熱心に語るバレンボイム。その時には言葉がはっきりしていた。
フルトヴェングラーとの繋がりを持つ数少ない音楽家は、ビュローメダルを徐与されているらしいのだが、バレンボイムの持ち味は音響だと語られる。この点は、やはりバレンボイムをずっと追いかけていた人の意見でもそうなのかと合点がいく。
パリ管の時もシカゴ交響楽団の時もそうだったが、この元フィルハーモニカーの公報の人は、ピアノからのその音楽性についても示唆している。
週末の演奏で気が付いたのは、同郷の一歳年上のアルゲリッチとの共演でのその色彩感覚や、後半のブラームスでのカラヤン時代のフルトヴェングラー風のアマルガムの中での色彩感だった。シュターツカペレを振るようになってからのバレンボイムには全く興味がなくなってしまったのは、その色褪せ方であり、無理をしてのドイツ語発声だったが、先祖返りのような音を聴けた。
やはり独特の音色感があって、上の解説によればフルトヴェングラーそれを感じたのではないかというのだ。1980年代にはフィルハーモニーから中継を聴いていて、小澤と並んでバレンボイムのその音楽はポストカラヤンの可能性を感じさせないことはなかった。しかし二度も外されることになった背景には、ベルリンでの別のポストとの競合以上に、所謂ネオロマンティズムのあり方に多くのそしてフィルハーモニカーの楽員が懐疑をもったに違いないと改めて思う。
話し手のグリューンヴァルト氏はそれをして新旧を結ぶ架け橋にもなったとしているが、既に20世紀のネオロマンティズムな音楽への結論が出てしまっている現在はバレンボイムが芸術的な顔にならなかったことは正しかった。
それでも、亜流のティーレマンなどに比較するとやはりやっていることは本物であって、とても才能に溢れている。反面、嘗ての東ドイツを代表するシュターツカペレのズイットナー指揮の瀟洒さも古典的な美しさも失せてしまっているのが現在のシュターツカペレであり、ウンターデンリンの劇場だと思う。
往年のフィルハーモニカーよりも上だった時代に振っていたエーリッヒ・クライバーなどの指揮の歴史的な録音を聴けば、決してバレンボイム時代が成功していなかったことは明らかだ。それでも再びインターナショナルな地位へともって来た中興の祖であったことは間違いない。
参照;
大喝采のそのゆくへ 2022-06-06 | 女
Velvetの風合いの響き 2023-01-08 | 音