カレンダーをいただいた。
フォットグラファー飯野高拓、ダンササー&パフォーマ五十嵐結也さんのコラボレーションです。
昨年このパフォーマンスの写真を見て「いいねー!」と絶賛したらカレンダーいただいた。今年もそのカレンダーをいただいた。
じゃーん
ジャンプ力がすごいのと、いつも面白い撮影場所を探してきます。
いわゆる赤ふんどしで、私が小学生の時に水泳実習では使っていました。
もしかすると中学校の時まで赤ふんどしだったかもしれない。
千葉の興津の臨海学校で、新宿区の私達が赤ふんどしで、千代田区の学校が普通の海水パンツだったのが、、、羨ましかった!
その後、他校との交流があると、時あるたびに「赤ふん」の話題になった。
赤ふんどしは遠泳の時に救助するときに便利なんだと聞かされていた。
万が一溺れたら、おぼれた生徒の後ろからふんどしを掴みやすいのだそうです。
戦後、20年もたっていないころだったので、戦前の頭の先生がわんさかいたころなんです。
ロケ地は日本全国で北から南までです。
面白いことを企画している方がいらっしゃいます。
キレイな女性写真だったら当たり前で、普通ですが「むくつけきオヤジ・ダンサー」のふんどし姿のジャンプとは~~~!
手前に主役で、バックに雄大な風景は、映像の基本ですからねー。
そうそう、ここからは自分ごとになりますが、カメラマンになってよかったことと言えば、大したことがあったわけじゃないが、日本全国、世界各国に行けていろんな食事ができたことに尽きるかな。仕事をやって良かったということは、私的にはどちらかと言うと、どーでもよくて、ロケで訪れた所の名物を現地の方からごちそうしてもらったことが、私のいちばんの楽しかった思い出です。仕事じゃなかったら、自分自身の思いをたたきつけた作品や事象はありますけど、世界の貴重な食べ物を食べれたのは、大事な体験や記憶です。
カスピ海の南岸の田舎で、路傍のレストランでヨーグルトの原型みたいなものをいただいたのは、あたまの記憶に強烈に残っています。土の家で木のテーブルに座って待っていたら、大きめの土器に油紙をかぶせた物をうやうやしく運んできた。油紙を取り去ると中には真っ白なヨーグルトが詰まっていた。それを各自が大きなスプーンですくって食べた。たぶん、作り方もヨーグルトの原型だったんだと思う。カスピ海沿岸と東欧とは比較的にた文明だったのだろう。そこの山の中、2000mの山奥を道なき道を走っていたら、ウイリアムテルのような服装の狩人に出くわした。一瞬、中世にまぎれこんでしまった感じもした。
やはりカスピ海沿岸だったが、道端で魚売りが立っていました。川魚のエラにササを通して手でぶら下げて道端で売っているのだ。その魚は何だ?と聞くと、大きなのも小さな魚も一様にトラウトだと言っていた。たぶん、魚のことを何でもかんでもトラウトと言っていたようだ。その食べ方はけっこう豪快で、大きな魚も小さな魚もフライでカリカリに揚げています。それにたっぷりのご飯(パラパラ米)をのせて、バターをてっぺんに置いているだけ。すごく乱暴な食べ方だった。
東欧の宮廷料理はおいしかったなー。
食べ物の記憶が残っているだけですね、、、人生は。食い意地が張っているからだろう!